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難民としての私の旅、他の人の希望になりたい

My refugee journey, hope for others

『アフリカNOW』 No.113(2020年2月29日発行)掲載

本稿は、2020年1月25日に開催した「在住アフリカ人と共に生きる勉強会・交流会」の第3回「アフリカからの難民」におけるオウマリ アビドゥラヒ カシムさんの発表をもとに加筆しました。

オウマリ アビドゥラヒ カシム:1979年にエチオピア・オロミア州で生まれる。長男で6人の弟妹がいる。大学、大学院で化学を専攻し、教育省に勤務したが、反政府活動を理由に解雇。2014年に日本で難民認定を申請し、2016年に認定された。(株)栄鋳造所で勤務しながら上智大学地球環境研究科博士課程で研究。妻と子ども3人と八王子市に在住。


私は、オウマリ アビドゥラヒ カシムです。エチオピア連邦民主共和国オロミア州出身で、2014年にJICA(国際協力機構)の研修で来日した際に難民認定申請をして、2016年末に難民認定を受けました。日本政府は国連難民条約を批准し、とても限られた数ですが難民を受け入れています。2016年は28人でした。「難民」はステレオタイプなイメージで語られがちですが、難民や難民申請中の私たち一人ひとりに、生きてきた人生、難民となった理由や弾圧、日本での苦労や喜びなどいろいろあります。それを知ってほしい、私たちも日本社会に貢献するよう努力し、理解しあい、共に生きることで日本社会にとってもプラスになることが多くあると思います。

エチオピアでの政治的な弾圧

まず、エチオピアについて紹介します。エチオピアは人口が1億1千万人で、世界で12番目(日本は11番目)です。面積は日本の約3倍で、9つの州と2つの自治区があり、80以上の多様な民族が住んでいます。公用語のアムハラ語はアムハラ文字を使い、オロモ語などはラテン文字を使用します。私はオロモ語、アムハラ語、英語、そして今では日本語も話します。宗教は、エチオピア正教、イスラム教、プロテスタントなどで、私はイスラム教徒です。

エチオピアの独自のユリウス暦は13ヵ月あり、月30日が12ヵ月と13ヵ月目が5日間です。事もテフという穀物で作るインジェラなど伝統的な食文化があります。オロモのイレチャ祭りは千年以上の歴史がある伝統行事です。ユネスコ世界遺産は9つあり、外国からの観光客も多く訪れます。標高3,000mにあるラリベラの岩窟教会群は、12-13世紀に造られたものですが、その精巧で立派な建造物を見ると当時の人々の偉大さを感じます。

エチオピアでは、真の民主主義を求めた抗議行動が続いてきました。5年ごとに総選挙が実施されますが、野党への弾圧や言論統制、逮捕や拷問などがあり、民主的な選挙とは言えません。選挙結果に対して毎回抗議行動が起こってきました。また、首都のアディスアベバを拡大する総合開発計画のもとで、土地が収奪されているという問題もあります。

私は政府に反対するスピーチをしたことで、州政府教育省の仕事を解雇され、投獄されそうになりました。また、父は1990年代に反政府運動で殺害され、家族への弾圧も続いてきました。

日本で難民として認定される

2014年にJICAの研修で来日し、1ヵ月の研修が終わる前に難民認定申請をしました。その後の6ヵ月間は人生で最も困難な時間でした。住む場所がない、家を借りるにも保証人がいない、お金がない、就労許可がない、友人や家族がいない、コミュニケーションができない、とないものばかりで、孤独と不安で、精神的にも非常に厳しいものでした。エチオピアで築いてきたものを失い、ゼロになりました。日本は難民認定率が非常に低く0.3%ですが、カナダでは60%です。そのことは難民申請した後に知りました。

そういった中で、本当にありがたかったのは、JAR(難民支援協会)やRHQ(難民事業本部)などの支援です。支援そのものもそうですが、相談できる人、親身になってくれる人の存在は一人じゃないと思えるありがたいものでした。

難民申請した6ヵ月後に就労許可が出て、JARの紹介で2015年7月に八王子市の(株)栄鋳造所に就職し、工場で働き始めました。仕事内容や職場環境はこれまでとまったく違うものでした。土日の休みには、車の免許を取るために自動車学校に通いました。言葉の壁、交通ルールや技能試験の厳しさで試験に10回も落ちて、やっと合格しました。

就職した会社は、のちに大学院で勉強したいと申し出た時も将来への投資として理解してくれました。今も同じ会社で働き、マーケティング部に移り、海外の取引先との交渉や営業を担当しています。

2016年12月に難民認定が出ました。その後、RHQによる定住支援として1年間夜間で日本語を学び、日本語ができることが安定した生活や仕事に欠かせないので、読み書きも必死にがんばりました。

また、上智大学の地球環境研究科修士課程に入りました。四谷にあるJARの事務所に行こうとして道に迷った時に上智大学を見つけたのです。パンフレットをもらい、英語で学べるコースがあるのを知り、入学するようチャレンジしました。1回目の試験では入学できませんでしたが、2回目で合格できました。

「難民」へのステレオタイプのイメージを変える

そして、もう一つやらなければいけない、一番大切なことが、家族の呼び寄せのための入国管理局(現在は出入国在留管理庁)への申請でした。妻と3人の子どもたちはエチオピアにいて、3人目の子どもは私が日本に来てから生まれたので、まだ抱いたこともなかったのです。この家族を呼び寄せる申請がとても大変で、「本当に結婚しているのか」「本当に自分の子どもか」など、何度も同じことを聞かれ、それを証明するためにメールやFacebookのメッセージのやりとりなど全部訳して提出し、出生証明書などの必要書類も時間がかかったり、出ないものもあり、大変すぎて担当の弁護士にも必要書類をそろえるのは無理だと言われてしまいました。その後は自分一人でやりました。

そして、ついに家族の呼び寄せが認められ、2018年に家族が来日しました。妻は下の子2人を連れて定住支援の日本語クラスに通い、長女は小学校で学び始めました。今は、八王子市の団地に住み、子どもたちは保育園と小学校に通っています。子どもたちは、最も流ちょうに話せる言語が日本語になり、家での会話も日本語が多くなっています。職場も同じ市内で近いです。週に1日は上智大学に通っています。地球環境研究科修士課程を終え、博士課程に在籍しています。Phytoremediationという、植物を使って水や土壌から汚染物を削減や分解・除去する研究で、特に水の浄化について研究しています。

難民認定を受けると、海外に行く時はパスポートの代わりに「難民旅行証明書」を使います。私も調査や国際会議で海外に行くことがあるのですが、空港の出入国審査の職員でさえこの証明書について知らない人が多いのです。私だけ飛行機に乗り遅れそうになり、困りました。今は常に「難民生活ハンドブック」を持ち歩き、該当するページを見せるようにしています。こういった難民の権利や難民に関わる情報を広く理解してほしいです。難民認定をしても長年認定を受けられず、不安な生活が続いたり、入管センターに長期間収容されたり、「仮放免許可」の人たちは就労できず、健康保険にも入れず、隣の県に行くのも事前に許可が必要です。私たちも、持っている技術や能力、経験、やる気を生かして仕事し、社会に貢献していきたいと思っているのです。「難民」への理解を広げ、ステレオタイプのイメージを変えるよう、皆さんと一緒に活動していきたいです。


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