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マイストーリー 「ダブル」として得られたこと、できること

What I have gained and can do as a Ghanaian Japanese

『アフリカNOW』 No.113(2020年2月29日発行)掲載

本稿は、2019年11月16日に開催した「在住アフリカ人と共に生きる勉強会・交流会」の第1回「アフリカの暮らし・文化、日本で共に生きるために」におけるボンクジョビ セナさんの発表をもとに加筆しました。

ボンクジョビ セナ:ガーナ人の父と日本人の母を持ち、1995年に東京で生まれる。2歳でガーナに移住し、首都のアクラで育つ。United World Colleges(UWC)の奨学生に選ばれ、コスタリカの高校に進学。米国のミドルベリー大学を卒業し、2018年より日本であしなが育英会に勤務。2019年にJaspora(African Diaspora in Japan)を立ち上げ、活動を続けている。


東京で生まれ、ガーナ・アクラで育つ

私は1995年に東京で生まれ、父はガーナ人、母は日本人です。父はマジシャン(手品師)として、インドやマレーシアなどを経て、日本で仕事をしていました。「どこにいても黒人、アフリカ人として見られる。世界で生きていくためにアフリカのアイデンティティを誇りに思って生きていてほしい。そのためには日本で育つよりガーナで育つ方がよいだろう」という父の考えがあり、2歳のときに家族でガーナに移住しました。1歳下の弟がいます。首都のアクラの学校で学び、土曜日は日本語補習校に通いました。

日本語補習校は、駐在員や大使館職員などの日本人の子どもが日本と同じ教科書で学習するもので、僕のようにガーナ育ち、日本で学校に行くかどうか分からないダブルの子供たちのためのものではなく、特に国語は難しかったです。補習校に通うのが嫌で仕方ありませんでしたが、今ではすごく感謝しています。

群馬県の母の実家には毎年訪れ、6歳のときには半年間暮らし、小学校にも通いました。「外人、外人」と言われ、差別的な態度をとられ、「自分を受け入れてくれない社会にいる必要はない」「日本には絶対に住みたくない」と思いました。

ガーナは人口が約3000万人、きれいな海もあり、自然が豊かな国です。カカオの栽培が世界2位、1位は隣国のコートジボワールで、両国あわせて世界のカカオの6割ほどの生産量を占めています。ガーナの公用語は英語ですが、現地の言語は250以上あります。1957年にサブサハラアフリカで、最初に植民地支配から独立した国であり、”Global Peace Index 2019”(1)(世界平和度指数)の平和な国ランキングでは、アフリカで4位、世界で44位です。英国(45位)や米国(128位)よりも平和な国とされています。先祖を祭って日本のお盆と同じようなことをする儀式もあり、ガーナの伝統宗教は日本と共通する文化だと思います。ガーナの一番好きなところは「人」です。「いとこ」という言葉は存在しなくて、みんな兄弟姉妹。僕も100人以上の「いとこ」がいて、大きな家族の中でみんなに育ててもらったと感じています。

自分の経験を生かし、あしなが育英会で働く

中学までアクラの学校で学んだ後、United World Colleges(UWC)という国際的な民間教育機関の奨学生としてガーナ代表に選ばれ、コスタリカの高校、米国の大学に進学しました。高校は、世界79ヵ国からの生徒と一緒に2年間学びました。そこでの学校生活で自分の価値観が大きく変わり、もっと世界が良くなるために活動をしたいと思うようになりました。学校の授業は英語でしたが、学校の外ではすべてスペイン語でした。ガーナは公用語が英語、第二言語としてフランス語を学ぶので、英語、日本語、フランス語、スペイン語が話せます。

大学は、米国のミドルベリー大学(Middlebury College)に進学し、国際政治経済学とアフリカ学を専攻しました。また、コスタリカでの高校生活時代、周りからは日本とガーナのダブルとして見られるのに、日本についてはまったく知らなかったので、日本語、日本の文化、歴史についても一生懸命勉強しました。大学4年生の時には、モーリシャスのAfrican Leadership University(ALU)に3ヵ月間留学をしました。

自分の人生を振り返った時、教育がとても大きく関係していると感じ、これからの若い人が画期的な教育を受けられるような支援がしたいと思うようになりました。大学卒業後、2017年6月に来日し、3ヵ月間、一般財団法人あしなが育英会でインターンシップをしました。その後はワシントンでコンサルティングの仕事をするつもりで、住む場所の契約も済んでいましたが、アメリカにいるよりも日本やアフリカにいる方が日本とアフリカのダブルとして自分が貢献できると気がつき、あしなが育英会に就職することにしました。

あしなが育英会では、アフリカ留学生のキャリア支援やリーダーシップ育成、日本人学生とアフリカ人学生の交流をサポートしています。「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」では、サブサハラ49ヵ国の各国から毎年一人ずつ選考して留学を支援し、母国の様々な分野で活躍するリーダーを育成しています。

毎年開催するサマーキャンプ(つどい)では、あしなが奨学生の大学生・専門学校生と30ヵ国からの外国人学生、全部で400人位が3泊4日を共に過ごします。「高校奨学生のつどい」は、のべ1,000人近くの学生が3泊4日、全国8ヵ所で参加し、アフリカからの留学生も参加します。日本人の奨学生にとって、アフリカを知り、多様な価値観に出会う場にもなっています。経験を話し合うことで心のケアをし、自分は一人じゃないと気づくことができるようにしています。

アフリカの学生と日本の学生の大きな違いは、海外に興味があるかどうかだと思います。日本の学生は、お金やチャンスがあっても海外に行こうとしない、海外に興味がない。理由は英語ができないから、海外は治安が悪くて危険だから、などです。日本の学生が海外に関心を持って夢を広げ、より自分らしく生きられるようにと手助けをしています。世界に出て行って得たものを日本に持ち帰ってくることは、日本社会にとってもとてもプラスになるはずです。

Jaspora(ジャスポラ)の活動を始める

あしなが育英会での仕事とは別に、「アフリカをこれからどう発信していくのか」「もっとアフリカからの人が主体的に行動していこう」という思いで、2019年から弟とセネガル人の友人と始めたのが’African Diaspora in Japan’、略して’Jaspora’(ジャスポラ)です。月に一回テーマを決めてイベントを開催し、アフリカにルーツをもつ人を中心に、関心がある他の人も含めて毎回、50~100人ぐらいが集まります。

海外から日本に来た人は、日本のよい部分と海外の文化から新しい三つ目の文化をつくることができます。日本にきた外国人が日本人のようにならなくていいのです。日本とアフリカのよい部分から三つ目の文化を作っていく活動をしていきたいと思っています。

【質問に応えて】

Q 日本で育ったダブルと自分の違いはありますか 

A 日本で育ったダブルとアフリカで育ったダブルは、価値観やユーモアの感覚、礼儀などがまったく違います。日本で育ったダブルはシャイな人が多いのが、特に大きな違いだと感じます。それは自分の意志や意見をあまり言わない日本社会で育ったということが大きいでしょう。ダブルとして自分のアイデンティティがどこにあるのか悩むのは、どこで育っていても共通のことだと思います。日本で育ったダブルと私のようにアフリカで育ったダブルで、教えたり気づき合うことがたくさんあるから、情報共有や交流をしていきたいです。

Q ガーナ、コスタリカ、米国など様々な教育を受けてきたなかで、日本の教育をどうしていったらいいと思いますか 

A ディスカッションをしながら勉強する場を増やすべきだと思います。授業で学んだことをランチを食べながらディスカッションすることが日本ではないです。セミナーや講演会が終わった後も、話さずにみんな帰っていくのにとても驚きました。また、世界に通用する語学を勉強すること。その言語で何をしたいかが具体的になった時に、言語を勉強する意欲が高まると思います。

Q ずっとお話のなかでダブルという表現をしていますが、ハーフとダブルの違いは?

A 自分も以前はハーフと言っていましたが、日本に来て、「少ない、珍しい」、「日本が半分しかない人間」というニュアンスも感じられ、使うのを躊躇するようになりました。ダブルは二つの国の文化と人格をもつというニュアンスになり、ハーフよりよいと思います。ハーフと言われることに抵抗があるわけではないですが、できるだけダブルと言うようにして、この言い方を広げていきたいです。

(1) http://visionofhumanity.org/app/uploads/2019/06/GPI-2019-web003.pdf


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