途上国でのコロナ治療薬アクセスは改善されるか

医薬品特許プールの活用は実現、しかし新たな阻害条項や対象国の限定で課題解決には至らず

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対策については、まず物理的距離戦略など社会的な予防対策、次にワクチンによる予防対策が先行してきた。しかし、ここ数か月、WHOが重症患者へのトシリズマブ(Tocilizumab)、サリルマブ(Sarilumab)などインターロイキン6(IL-6)レセプターによる治療や、軽症患者へのモノクローナル抗体薬カシリビマブ(Casirivimab)とイムデビマブ(Imdevimab)のカクテル療法を推奨するなど、治療に関する進展の動きがみられるようになった。さらに、10月になって、抗ウイルス薬の一種で経口薬であるモルヌピラビル(Molnupiravir)が開発され、COVID-19の治療薬の導入への期待が高まっている。ここで登場する問題が、COVID-19の治療の導入において、ワクチンで問題となった、先進国と途上国のアクセス格差にどう取り組むかという問題である。

モルヌピラビルは米国アトランタ所在のエモリー大学の非営利バイオ技術企業である「ドライブ」(DRIVE: Drug Innovation Ventures at Emoly, LLC, エモリー医薬品イノベーション・ベンチャー)が当初開発した医薬品で、現在、大手開発系製薬企業メルク社とリッジバック・バイオセラピューティックス社が開発を進め、10月11日には米食品医薬品局(FDA)に申請がなされた。一方で、途上国でのモルヌピラビルの生産拡大と供給に向けて、メルク社はアウロビンド社、シプラ社などインドのジェネリック薬メーカー8社と個別にライセンス契約を結んだ。そのうえで10月27日、知的財産権と途上国の医薬品アクセスの調和を目指す「医薬品特許プール」(MPP:Medicines Patent Pool)とメルク社がライセンス契約に調印したことが発表された。これにより、世界の105の低所得国・中所得国において、MPPとサブライセンシング契約したジェネリック医薬品メーカーが製造するモルヌピラビルの法的な安定性が保たれることになる。COVID-19にかかわる医薬品について、MPPとのライセンス契約が締結されたのはこれが初めてである。

これについて、国連合同エイズ計画(UNAIDS)は歓迎の声明を発表している。ウィニー・ビャニマ・UNAIDS事務局長は「これは利益よりも公衆衛生に優先順位を与えるための重要な最初のステップだ」と述べたうえで、「同様の協定が、COVID-19のワクチンについても結ばれる必要がある」と述べる。

一方、国境なき医師団(MSF)国際治療準備連合(ITPC)、米国の「保健地球規模アクセス・プロジェクト」(Health GAP)など市民社会は、この合意が結局、開発系製薬企業の主導による自発的ライセンシングという手法の限界を示すものであるとして批判している。まず、ITPCは、この協定の対象となる105か国に、COVID-19の深刻な感染拡大を経験しているアルゼンチン、ブラジル、コロンビア、ペルーやタイ、トルコなど主要な上位中所得国が含まれていないことを批判する。実際、ヘルスギャップの上級政策アナリストであるブルック・ベイカー・ノースイースタン大教授によれば、2021年前半に低所得国・中所得国で生じたCOVID-19感染の半分がメルク社とMPPの協定で対象国から外された中所得国で生じている。これらの国々がリストから外された理由は明確にされていない。これは2020年に米ギリアド・サイエンシズ社による、レムデシビルに関するジェネリック薬メーカーとのライセンス契約において生じた問題と共通する。

もう一点、市民社会が指摘しているのは、MPPとメルク社のライセンス契約に盛り込まれた、自発的ライセンス契約の停止条項である。同条項では、モルヌピラビルに関してMPPとサブライセンス契約を結んだジェネリック薬メーカーがメルク社の保有するモルヌピラビルに関する特許権に異議申し立てをした場合、メルク社はMPPとの自発的ライセンス契約を停止できる、という規定を盛り込んでいる。このような条項がMPPと開発系製薬企業との間で結ばれるのは初めてである。これについて、ITPCのオスマン・メルーク氏は「特許への異議申し立ては世界貿易機関(WTO)の『知的財産権の貿易の側面に関する協定』(TRIPS)の柔軟性として認められているものであり、市民社会もジェネリック薬メーカーも、無意味もしくは有害な特許権の行使に対して異議申し立てを行ってきた経緯がある」と述べる。

MPPの専門家諮問グループ(EAG)は、この条項がメルク社ではなく、メルク社に対する特許権保有者であるエモリー大学の創薬ベンチャー企業「DRIVE」と、メルクと提携してモルヌピラビルの開発を進めるリッジバック・バイオセラピューティックス社の意向で盛り込まれたものと推測したうえで、MPP理事会に対して、「この条項はMPPの基本原則に適合しておらず、MPPはこの権利を行使するつもりはないことを明確に表明すべき」と勧告している。

モルヌピラビルの途上国へのアクセスは、コロナ・ワクチンに比べて一部進展した形で進められるものと考えられる。この点は一定の評価に値する。一方で、「国境なき医師団」などの市民社会やMPPの専門家諮問グループが指摘するように、これはベストなものとはいえない。パンデミックにおける医薬品アクセスの拡大については、WTOで取り扱われているTRIPS免除など、知的財産権の幅広い免除と、対等な関係での技術移転、生産能力向上への迅速な取り組みが制度化される必要がある。