誰にとってのWSFなのか

Who is WSF for?

『アフリカNOW』76号(2007年3月25日発行)掲載

執筆:茂住 衛
もずみ まもる:『アフリカNOW』編集人。2006年バマコと今年のナイロビでの世界社会フォーラムに参加。

 

WSFナイロビの概要

第7回世界社会フォーラム(WSF)は、今年1月20日~25日にケニアのナイロビで開催された。 昨年1月のバマコ(マリ)に続き(1)、現在のグローバリゼーションの負の影響に対して最も脆弱なサハラ以南アフリカの地でのWSF開催が、それ自体として大きな意義を持つことは間違いない。 1月20日のオープニング・セレモニーと25日のクロージング・セレモニーは、ナイロビ市内中心部のウフル・パークで開催。 それ以外の日は、郊外のカサラニ地区にあるモイ国際スポーツセンターを会場にして、プログラムに掲載されただけで1,100以上のセミナーやワークショップが実施され、多種多様なテーマについての討論が行われた。 昨年のバマコでのWSFとは異なり、会場が1ヵ所に集中していたために、スタジアムの観客席を区切ったり、巨大テントを建てたり、会場の既存施設を利用するなどの方法で、会場全域にセミナーやワークショップのためのスペースが何百もつくられた。 またスタジアムの周辺には100を超えるブースが設営され、アフリカン・グッズを販売しているかたわらで常にいくつものパフォーマンスやデモンストレーションなどが行われていた。 その一方で、プログラムの配布が遅れ、さらにテーマごとにまとめられていなかったために、参加者が混乱する姿も見受けられた。 今年のWSFの参加者数は、報告者によってかなりの人数の違いがあるが、ケニア組織委員会は46,000人の参加登録者がいたと発表している(2)。 日本からも、私が知るだけでも約40の人たちがWSFに参加した。 ブース名、プラカードや旗、横断幕などをみても、世界の多様な国や地域からの参加者がいることがわかるが、私が観察した範囲では、半分以上はサハラ以南アフリカ以外から参加者であろうか。 ポルトアレグレやムンバイでのWSFに参加した人々の発言やインターネットで公開されているWSF閉会後の各種のレポートによると、2006年を除いた例年のWSFに比べて、参加者自体が少ないだけでなく、開催地であるケニアの参加者が少なかったと報告されている。 そしてこの事態の背景に、WSFの組織の仕方や運営をめぐる対立が存在していることを指摘している報告も少なくない。

WSFの商業主義化?

「抗議者は『ごく少数派』だと組織委員会は語る」[Protestors were a ‘tiny minority’ say organisers]”TERRAVIVA”4号(1月25日発行)には、 このタイトルの記事が掲載されている(”TERRAVIVA”については、【注】の2を参照)。 WSFの参加者のほとんどに配布されているこの新聞に、今年のWSF参加者からケニア組織委員会への抗議があったという事実が報道されたこと自体が、単なるロジスティック上の不備を超えて、WSFの組織の仕方や運営をめぐる対立が存在していることを示唆しているといえよう。 この「抗議者」は、何について抗議していたのか。この事態は、今年のWSFにどのような問題を投げかけているのか。  毎年のWSFと同様に、今年のWSFにおいても北の先進国と南の途上国からの参加者には、異なる金額の参加登録料が設定されていた。 WSFでは、この参加登録料の支払いと引き換えに入場パスが発行される。 今年のWSFの場合、北の先進国からの参加者の登録料は個人で110USドルであるのに対して、アフリカからの参加者は個人で7USドル=500Ksh(ケニア・シリング)であった。こうして北と南で異なる参加登録費という設定自体は納得できるが、それでも地元のケニアの大多数の人々にとって、500Ksh(WSF開催時のレートで約900円)という金額が、WSFの参加登録料として安価であるとはいえない。 この金額は、ナイロビのダウンタウンでの食事の5~10回分に相当する(3)。 この事態に対してケニア組織委員会への「抗議者」は、ケニア人がWSFに無料で(入場パスなしで)参加できることを要求するとともに、会場内での高額すぎるミネラルウォーターや食事の価格を下げることも要求していた。  さらに、WSFケニア組織委員会が語るように、この抗議が「ごく少数派」の声であると捉えることも適切ではない。 確かに、WSF会場内でケニア人への参加料とミネラルウォーターの無料化を要求する行動を展開していたのは、私が見た範囲では常に100名強の人数であった。 しかし、高額な参加登録費以外にも、会場内でのミネラルウォーターや食事の価格の高さに対しては、参加者の多数からも不満の声があがっていた(4)。 しかも、セミナーの会場や展示ブースに最も近いフード・ストールの料金が最も高額であり、それより安価なフード・ストール(それでも普通のケニア人にとっては高額なものだが)は、案内の掲示も見あたらず、メインの施設からは離れた場所に置かれていた。 さらに、組織委員会が用意したナイロビ市内中心部から北東のモイ国際スポーツセンター(10km以上離れている)までのWSFオフィシャル・トランスポーテーションは、ケニアの乗り合いバスであるマタトゥなどを利用しているにもかかわらず、1人あたりのチケット代は、1台のタクシーを4人で利用した場合と同額の片道250Ksh(約450円)に設定されていた。そのために、こうした事態をWSFにおける商業主義化として捉え、批判する主張がなされていた。 これまでのWSFや世界貿易機関(WTO)に対する対抗アクションで繰り返されてきたスローガン「世界は売り物ではない!」[The World is not for Sale! ]をもじって、「WSFは売り物ではない!」[WSF is not for Sale! ]というスローガンも掲げられた。 この主張はまた、本来はこのWSFに最も参加が求められるケニアの貧困層が、実質的にWSFから排除されているという非難も含んでいる。  WSFケニア組織委員会が「ごく少数派」の要求を受け入れたためなのか、1月23日午後からは、WSF会場の入場ゲートが開放され入場料は実質無料になり(5)、その日から会場内の雰囲気に変化があらわれた。 どこから来たのかはわからないが、WSFのプログラムを入れたバッグを抱えた子どもたちの姿が多数見受けられるようになり、さまざまなグッズを抱えた物売りも増えてきた。 同時に、モイ国際スポーツセンターでの最終日にあたる1月24日には、2つのフード・ストールが子どもたちに占拠(新聞(6)の表現によれば「襲撃」)されるという「事件」が起きた。 だが、この場を現認した日本からの参加者によると、「襲撃」というよりは実際にはフード・ストール側が子どもたち(と何人かの大人の)要求に応じて、無料で食事を配給したらしい。 この2つのフード・ストール内の1つは、ケニアの内務大臣ジョン・ミチュク(John Michuku)の所有するウインザー・ゴルフ・カントリー・クラブのフード・ストールで、前述したように会場内で最も便のよい位置にあり、同時に食事代は最も高額であった。

WSFの可能性を拡げるために

WSFの商業主義化やWSFからの貧困層の排除の批判の中心にいたのは、ケニアの団体、ピープルズ・パーラメント(People’s Parliament / Bunge La Mwananchi)である。 この団体は、モイ国際スポーツセンターでのWSFの開催中に、WSF会場での抗議行動を行うとともに、ナイロビの中心街に近いジヴァンジー・ガーデンで、別のフォーラムを開催していた。 このフォーラムはWSFにくらべるとかなり小規模なものだが、ケニア国外からのWSF参加者も含めて、最大で数百人を集めていた。 1月22日の午前中に、私もこのフォーラムに参加してみたが、参加費は当然にも無料で、約10ヵ国からの参加者が確認できた。  ピープルズ・パーラメントがWSFの参加者に配布していたビラによると、ピープルズ・パーラメントは特にケニアに貧困層に焦点をあてた各種のキャンペーンを展開しているとともに、WSFプロセスに対しては肯定的に評価していることが理解できる。  WSFの組織の仕方や運営をめぐる対立が露わになってきたということは、2001年から続いてきたWSFのプロセスが世界規模での注目を集め、WSFの参加者自身が多様化していることを逆説的に示しているのかもしれない。 あるいは、WSFが掲げる「もうひとつの世界は可能だ」[Another World is possible]という共通のイメージが、世界の具体的かつ多様な現実と交差しながら、よりリアルなものとして人々の想像力を喚起する課程にあることを示しているのかもしれない。  さらに、WSFがオープン・スペースとして運営されてきたという事実だけでなく、これからのWSFが誰のためにどのようにしてオープン・スペースを保証するのか、どのような人々と運動、体験が相互に出会う場になるのかということが、よりストレートに問われてくるだろう。

【注】
(1) 2006年のWSFは世界3ヵ所での分散開催になり、バマコの他にカラカス(ベネズエラ)とカラチ(パキスタン)で開催された。
(2) ”TERRAVIVA” 2号(1月23日発行)。”TERRAVIVA”はIPS- Inter Press Serviceにより、毎回のWSF期間中に連日発行され、参加者に無料で配布されている。
(3) ”TERRAVIVA” 3号(1月24日発行)掲載の記事を参照。
(4) 同上
(5) 前述した”TERRAVIVA”4号(1月25日発行)の記事では、「抗議者」からの要求によって入場ゲートを開放したことを否定する組織委員会のメンバーのコメントが掲載されている。
(6) ”DAIRY NATION” 1月25日号