書評 Race Against Time : Searching for Hope in AIDS-Ravaged Africa

『アフリカNOW』 No.76(2007年3月25日発行)掲載

評者:戸田 真紀子
とだまきこ:大阪大学大学院博士課程後期修了。博士(法学)。天理大学国際文化学部教授。専門は比較政治学(アフリカ地域研究)。「多民族国家における紛争解決モデルの構築」と「アフリカの草の根の女性のための開発モデルとNGO」を研究テーマとする。近著に、戸田真紀子編『帝国への抵抗』世界思想社(2006)。

 

Race Against Time : Searching for Hope in AIDS-Ravaged Africa
by Stephen Lewis
*日本語翻訳本は出版されていません。

 

何度アフリカに足を運んでも、見聞きする以上のことはわからない。どれだけたくさんの本を読んでも、執筆者が調べたこと以上のことは書いていない。良書に出会うことがどれほど重要なことか、本書を読んで、改めて実感している。

今まで訪れた東アフリカの町や村では、0歳から60歳代まで、各年代の人々に会ってきた。ある年代の人々が、ごそっと消えている光景など、想像したこともなかった。しかし、スティーヴン・ルイス(Stephen Lewis)は言う。ザンビアのルサカ郊外のある町を訪れたとき、そこには、20歳代後半から50歳代の人々の姿はなかった。子育てをしている世代がエイズで死んでいく。祖父母が孤児となった子どもたちを育てる。これが大部分のアフリカの「新しい顔」だと。

たしかに、アフリカのエイズ問題の深刻さはこれまで聞いてきた。2001年に調査地に行ったとき、地元NGOをアメリカ大使館が後援するかたちで、エイズ啓蒙セミナーが開かれた。レヴィレート婚(1)のために感染が広がり、存亡の危機に直面しているという民族の名前も出てきたが、知識と適切な治療により感染拡大も母子感染も防げる、患者への差別を止めようという内容の話だったので、楽観的に考えていた。子どもの頃に親を失うことがどれほど辛いことかわかっているつもりだったが、孤児のことはアフリカの大家族制が守ってくれると安心していた。実際には、孤児の面倒を見てくれるはずの叔母(伯母)たちもエイズの犠牲となってしまった。10人いたはずの息子や娘をすべて失った70歳代や80歳代の祖父母が何十人もの孫たちを育てている。年老いてからの子育てはどれほど体に厳しいことだろう。頼りにしていた祖父母を失って、8歳の子どもが世帯主となり、弟妹たちを養っている。どんなに心細いことだろう。

病魔は確実にアフリカ大陸を食い尽くそうとしている。ルイスは、この10年間に国際社会がみせてきた「冷酷な無関心と犯罪ともいえる無視」に怒りを覚えながら、本書Race Against Timeの元となるMassey Lecturesを2005年に行った。5回にわたる講演の最後の言葉をまず記そう。「2005年、世界の年間軍事予算は1兆ドルを超えるでしょう。私たちは、年500億ドルの対アフリカ援助を得るために闘っています。軍事費は人間にとって必要なもの(human need)を20対1で凌駕しているのです。私たちの時代の価値バランスをどなたか私に説明していただけないでしょうか」。

ルイスは、カナダ国連大使、国連事務総長アフリカ問題特別顧問、国連児童基金(UNICEF)副事務局長などを歴任後、2001年からアフリカHIV/AIDS担当国連事務総長特使を務めた。 2005年にはTIME誌で、「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。ルイスの魅力は、歯に衣着せぬ、しかも的確な物言いだろう。スワジランド国王への進言は後悔していると書いてある(パートタイムの自分ではなく国連高官が発言すべきという意味で)が、南アフリカのムベキ政権のエイズ政策、特に、抗エイズ薬の副作用を言い立て、薬よりも栄養を重視する保健相マント・チャバララ=ムシマン(Manto Tshabalala-Msimang)への批判は手厳しい。本書出版後の2006年12月に、保健相のこれまでの発言を否定する新しいエイズ対策が打ち出されたのも、ルイスの発言の影響が大きいといえよう。

批判の相手は、各国政府だけではない。世界銀行(世銀)は悪の権化のように登場する。構造調整プログラム(SAP)の悪評は本書以外でも見聞きしてきたが、ルイスの世銀批判は、SAPを生んだ世銀の価値観を明らかにする。世銀というところは、エイズ対策の費用を無償援助ではなくローンを組ませて貸すところである。世銀の現場担当者は、世銀の援助の一部をエイズ治療に充てたいと奮闘し、ルイスに口添えを頼んだ。ルイスの電話での要請に対し世銀の高官は、エイズで死に行く人々に金を使うよりも予防に使ったほうがよいと、エイズ治療へのわずかなパーセントの配分を断った。親が治療を受けられれば、子どもたちがエイズ孤児になることはないし、飢餓に直面することもない。この高官は、エイズ孤児の惨状について現場から報告を受けているはずなのに、どうしてこのような政策を打ち出せるのだろうか。SAPを作り出した価値観の母胎が変化しないかぎり、世銀の政策はSAPの遺伝子を受け継いでいく。

世銀よりも批判されているのが国連である。アフリカの女性は母として介護者として農民として、家族と共同体の大黒柱であるのに、その女性(と少女たち)が、HIV感染率が最も高い。この現実との闘いを邪魔しているのが、国連内部の女性差別であるとルイスは主張する。国連といえば、ジェンダー平等を達成するために努力しているという印象があったが、本書の第4章「女性:世界の半分を占めながらほとんど代表されていない人々」によって、目から鱗が落ちた。ジェンダー平等達成を妨げているのが、国連の組織であり(一部の)スタッフなのである。

1945年に発足した国連で、女性が国連事務次長になるのを1987年まで待たなければならなかったこと自体は、男性優位社会日本に住んでいるので、たいした驚きではない。しかし、国連の人事全般で女性差別があるとは想像もしていなかった。国連の様々な専門機関において、33%を女性が占めているといっても、女性はランクの低いポストにいる。どれだけ有能な女性がいようと、アファーマティヴ・アクションもなく、彼女たちはなかなか昇進できない。

ミレニアム開発目標(MDGs)は「2015年までにジェンダー平等を達成」するとしているが、国連が変わらない限り、絵に描いた餅にすぎない。これまで何度も女性会議が開かれ、有益な合意が形成されてきた。しかし、そういった合意が実現されないのは、実現させていくための機関が国連には「ない」からだという説明には驚いた。

ジェンダーの問題なら、国連女性開発基金(UNIFEM)が担当できるはずであるが、その中核スタッフは45人から50人くらいしかいない。子どもの問題を扱うUNICEFには8,311人の常勤スタッフがいる。世界の半数を占める女性の問題を扱うUNIFEMの予算は、2004年で4,500万ドル。一方、UNICEFは20億ドルで、40倍以上である。さらに、UNIFEMは、国連開発計画(UNDP)の一部門にすぎない。人口の半分を占める女性の問題を議論しようとしても、担当機関のトップの国連内部でのランクが低ければ、対等な立場で発言ができない。さらには、経済社会局女性の地位向上部(DAW)が、UNIFEMの足を引っ張るという。母たちがエイズで死んでいくために、農業生産力が低下し、エイズ孤児が飢餓に直面しているというのに、頼りの国連が十分に機能していないのである。

国連文書をみれば、ほとんど例外なくジェンダーという文字が書かれているのに、どうしてこのような状態が放置されているのだろうか。国連は各国代表が意見を述べる場である。各国代表がジェンダーに関心がなければ、何の対策も変化も期待できない。ルイスは、2015年までに国連職員の男女比を50対50とし、UNIFEMと国連人口基金(UNFPA)とDAWを統合した女性問題専門の機関を新たにつくることを提案している。これらの提案に共感できる人が各国代表になってほしいものである。

エイズ対策の遅れに最も責任があるのは、アフリカ諸国でも国際機関でもない。最大の責任は先進国にある。45年前、アフリカの人々は貧しいながらも食べていくことはできた。今は、慢性的飢餓がアフリカを覆っている。1970年から2002年までにアフリカは2,940億ドルの金を借りた。そして2,600億ドルの返済をしたのに、まだ2,300億ドルも借金が残っている。先進国がアフリカから高い利息を取り立てた証拠である。先進国が支えてきた独裁者たちの借金、それも元本ではなく利息を返すために、医療や教育やインフラ整備に使うはずのお金が消え、貧しい人々、何より子どもたちが犠牲となったのである。

1969年、カナダの第14代首相レスター・ B・ピアソン(Lester Bowles Pearson)の提唱により、先進国は、GNPの0.7%を途上国援助にまわすという約束をした。この約束はいまだに実現しない。2005年のグレンイーグルス・サミットでは、2010年までにアフリカ援助を2倍にするという約束がなされた。ルイスの予想は厳しい。約束を果たせるのは英仏だけだという。米国やカナダも批判されているが、日本への批判が何とも読んでいて情けない。日本は安全保障理事会の常任理事国入りを狙っているから、アフリカの票欲しさに援助の倍増を約束したにすぎない。だから、もし常任理事国になるとしても、「援助倍増を果たせなければ資格剥奪」という条件付にすべきだというのが、ルイスの提案である。日本は約束を果たさないだろうと言われているようなものである。「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という憲法の前文の思いは、いまだ実現していない。日本のすべての人に読んでほしい本である。

 

【注】
(1) 夫が死亡したとき、妻を夫の兄弟または近親者と再婚させる制度。和田正平「レヴィレート(婚)からの解放」和田編『アフリカ女性の民族誌』明石書店(1996)を参照。


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