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ナイジェリア・人権の夕べ

オゴニの人々の平和な暮らしのために

特別寄稿

『アフリカNOW』 No.22(1996年発行)掲載

名和 葉子/(株)イオンフォレスト コミュニケーション部

ザ・ボディ・ショップは、昨年11月に処刑された、ナイジェリアの著名な作家であり、環境保護、人権活動家の故ケン・サロウィワ氏の義理の妹ダイワナ・ウィワ女史を、去る5月29日から6月4日にかけて日本に招待しました。アムネスティ・インターナショナル日本支部、グリーンピース・ジャパン、地球の友ジャパン、熱帯林行動ネットワークと共に行ってきたオゴニ支援キャンペーンの一つである東京における集会に合わせての来日でした。大阪、京都でも地元の市民団体の協力により集会が実現し、多くの方にオゴニの問題を訴えることができました。本誌には、上記のNGOとともに共同主催した「ナイジェリア・人権の夕べ~オゴニの人々の平和な暮らしのために~」と題した集会の報告を致します。
6月1日銀座教会東京福音会センターにて約90人の参加で行われたこの日の集会では、司会の挨拶に続き、アフリカ事情に詳しい国学院大学教授、楠原彰先生よりナイジェリア情勢の概略をお話いただきました。続いて、ケン・サロウィワ氏の最後のメッセージの翻訳が朗読されました。その後にダイアナ・ウィワさんのスライドによるオゴニの土地に引き起こされた環境破壊と人権蹂躙の報告が行われました。

ダイアナ・ウィワさんの報告

1993年世界先住民の国際年に立ち上がる

オゴニが暮らすニジェールデルタはその豊富な石油資源でナイジェリアの経済の90%を支えているといわれています。オゴニの人々は昔からここで農業や漁業を営み暮らしてきました。しかし、1958年にニジェールデルタで石油が発見されて以来、シェル石油を中心に石油会社は石油採掘の施設を建設しました。農地は奪われ、高圧なガスや石油を通すパイプラインがむき出しで村の真ん中、家の庭先や畑を横切って敷設されるようになりました。人々は文字どおり、危険と背中合わせの生活を強いられたのでした。また、石油採掘に伴って発生する天然ガスは家の裏で燃やされ、大気汚染を引き起こし、腐蝕したパイプラインから漏れ出す原油によって土壌汚染、ひいては、水源までも汚染され農業も漁業も困難になり、飲み水の汚染によって病気も増えてきました。石油会社は、軍事政権と結託して利益を欲しいままにしています。1958年からこれまでオゴニの土地から採掘された石油は、約300億ドルに換算されるといわれます。しかし、オゴニの村々には、水道も電気も学校もなく、何も還元されていないのです。
こうした状況にたまりかね、1990年にケン・サロウィワとオゴニの首長たちは、「オゴニの人々の基本的権利に関する宣言(Ogoni Bill of Rights)」を作り、これを政府と石油会社に送り、状況の改善を求めました。そして、国連の世界先住民年である1993年に1月4日をオゴニデーと定め、約30万人もの人々が参加し、大規模で平和的なデモ進行を行いました。

不当な裁判で絞首刑

私たちのこうした講義に対し、政府は治安軍を作り、武力による弾圧を加え始めました。1993年の8月から9月にかけてオゴニの村々は襲撃され、家は破壊され、人々は銃で撃たれ、怪我をしたり殺されました。一日の間に2つの村が破壊され、800人以上の人々が殺されたこともありました。こうした軍隊による弾圧で1993年から1995年の間に2000人以上のオゴニの人々が亡くなりました。シェルはと言えば、自分達が起こした環境破壊の言い訳をするパンフレットを作ることにお金を費やしただけでした。
翌年5月に起きたオゴニの4人の保守派の首長殺害事件でケン・サロウィワとMOSOP(「オゴニ生存運動」)活動家たちは容疑者として逮捕されました。政府は、1995年2月に裁判を開始するまでの9ヵ月間彼らを拘束し、有罪にするための文書をねつ造しました。裁判が始まると世界の人々がケン・サロウィワの釈放を求めキャンペーンを行いました。しかし、ケン・サロウィワたちを裁くために準備された特別軍事法廷では、シェルと軍事政権に買収されて証言をしたと告白した証人が法廷から追い出され、弁護側の証拠の提出も却下されるなど惨憺たるものでした。とても弁護しきれないとして弁護人は降り、結局10月の死刑判決は弁護人不在のまま下されました。その上、訴猶予期間中であり、死刑が確定する以前の10月31日にはすでに死刑執行指令書は署名され、1995年11月10日、家族にも知らされないまま、ケン・サロウィワと8人の活動家は絞首刑に処せられたのです。ケンの絞首刑は、5回試みられたといわれています。5回目に、彼は落とし戸に落ち、足を折った痛みから叫び声を上げました。その上から酸が掛けられ、それが彼の死因となったのでした。
「神よ、私の魂を奪っても、それでも戦いは続くだろう」これが、ケン・サロウィワの最後の言葉でした。

静かな外交ではなく具体的な行動を

1996年1月4日のオゴニデーに人々は、ケン・サロウィワと8人の活動家の死を悼むデモ行進を決行しましたが、兵士の発砲により6人が亡くなり、60人が逮捕され、多くの人が傷つきました。4月に国連の調査団が派遣された時には、事前に情報を知った政府が調査対象の6つのオゴニの村から知人を追い出し、兵士を村人に仕立てましたが、調査団の到着とともに森に逃げ込んだオゴニの人々が飛び出し、事実を訴えました。しかし、調査団が去った後、60人が逮捕されました。また、現在850人の人々が隣国のベニンに難民となって逃れています。今なお、オゴニの土地では、兵士による暴行、略奪が続いており、私たちのように国を脱出したものは、世界中を回り、人々に説き、各国政府に行動を呼びかけています。この問題の解決のためには、静かな外交(quiet diplomacy)ではなく、具体的な行動が必要だと訴えています。軍事独裁政権とシェルを動かすには、軍の資産の凍結といった具体的な措置が必要なのです。また現在、ケン・サロウィワと同じ裁判にかけられるべく拘束されている19人のオゴニの人々の釈放を求める手紙をナイジェリア政府、各国の政府宛に書いてくださることをお願いしています。この19人は、ザ・ボディ・ショップのアニータ・ロディック会長宛に獄中から手紙を送り、助けを求めました。
軍事政権はそのことを知ると、19人は独房に移し、毎日拷問を行うようになりました。彼らは拘留場から軍の監獄に移され隔離されているということです。ケンの言葉通り私たちの闘いは続いているのです。

環境の権利=人権(Environmental Right = Human Rights)

オゴニの人々は、昔から環境を尊敬し、尊重してきました。なぜなら、人間は環境であり、環境は人間であり、どちらかを破壊すれば、もう一つも破壊されると知っていたからです。ですから、環境に対して害を与えるものは、害を与えることに慎重にならなければなりませんし、自然資源を採掘するということは、そのコミュニティから利益をあげるのですから、そこに住む人々との共生ということを考えなければいけないはずです。しかし、シェルは、その環境への配慮のなさから、私たちの環境を破壊し、地域に還元もしませんでした。シェルは、我々の環境を取り上げ、我々の人権を取り上げてしまったのです。シェルという世界的に名の知れた多国籍企業も、オゴニの人々にとっては寄生虫のような存在なのです。

日本でもサポートグループを

オゴニの人々は、まだまだ多くの人々の支援を必要としています。各地の講演会で多くの方がオゴニの人々の問題に関心をもってくださり、今後も支援を続ける私たちにとっても大きな励みになりました。
各講演の最後にダイアナさんは、ベニンで難民生活を送る人々への経済的支援、講義の手紙書きを訴えていました。そして、日本で彼らをサポートしてくれるグループが日本にも生まれることを願っていました。

ザ・ボディ・ショップは、1993年以来、オゴニの人々を支援し続けています。それは、「企業たるものダブルスタンダードで行動してはならない、すべての企業には、ビジネスを行う地域社会と人々の生活を支援し、環境を守るという責任があり、この『社会的責任』が企業の行動規範の第一にあるべきだ」と考えてきたからです。また、この問題はビジネスに携わる人だけでなく、消費者(すなわち全ての人々)にも、大きな警告を発していると思います。なぜなら、オゴニの人々のような事例は、世界の他の地域でも起きており、日頃何気なく使っている製品が「どこでどのように生産されたものなのか」その実態を知り、問題を良い方向に変えていく力をすべての消費者がもっていると思うからです。企業で働く者であると同時に一消費者として、遠いナイジェリアで起きているオゴニの人々の問題は、地理的に遠い国のこととして無関心でいることはできないのではないかと思います。


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