様々な論点で対立する先進国と途上国:意味のある条約の制定は可能か?
地球規模感染症(パンデミック)への対策のあり方を包括的に定める「パンデミック条約」の交渉は、12月5日~7日の3日間に渡ってジュネーブで開催された「多国間交渉主体」(Intergovernmental Negotiation Body: INB)の第3回会合で本格化した。昨年12月の臨時世界保健総会(WHA)で策定プロセスや枠組みが定められ、それ以降、ワーキング・ドラフトの策定や公聴会、専門家からのヒアリングなどを経て、11月16日には、条約のたたき台となる「概念的基礎草案」(Conceptual Zero Draft)が発表され、今回の会合では各国政府を始め、業界団体や市民社会団体がこの草案で示された各論点について意見を表明したほか、今後、議論を踏まえて、現行の「概念的基礎草案」を「基礎草案」(Zero Draft)へとヴァージョンアップさせていくプロセスやスケジュールなどが決められた。
会合の報告書(A/INB/3/6)によると、「基礎草案」はINBのビューロー(WHOの定める世界の6地域区分から選出された6ヵ国の代表で構成される、交渉の取りまとめを行うグループ。オランダと南アが議長、他の4ヵ国(日本、タイ、ブラジル、エジプト)が副議長)が事務局のサポートを得て作成し、英語版は2月1日、各国語版は2月10日までに加盟国に供される。第4回INBは2月末から3月上旬にかけて、第5回INBは4月上旬に開催される。草案作成グループ(drafting group)は、加盟国により構成され、非国家主体も参加出来るINBの開会全体会合と閉会全体会合の間に開催され、これはビデオ中継されない。草案作成グループの選出は次回の第4回INBで行われることになった。また、2024年5月の世界保健総会までのINB開催日程等も定められた。
会議のインターネット中継と録画の提供:透明性の高い交渉運営
INB第3回会合は、WHOのウェブサイトで、だれでも閲覧できる形で中継され、録画もアップロードされて一般公開に供されるという、極めて透明性の高い形で開催された。その結果、私たちは、この会議でどの政府代表や業界団体・市民団体等の代表が何を言ったのかを知ることができる。ここでは、この動画や、専門的な業界紙での報道などを梃子に、この会合で何が話されたのかを見ていこう。
今回の交渉のたたき台となった「概念的基礎草案」は、44段落からなる前文と、条約のビジョン、「用語の定義」と「他の合意等との関係」からなる「導入」(第1章)、「目的・原則・方向性」(第2章)、「パンデミック予防・備え・対応(以下PPPR)、保健システムの回復に関する衡平性(Equity)の達成」(第3章)、「PPPRと保健システムの回復に関する能力の強化と維持」(第4章)、「PPPRと保健システムの回復と調整・協力・協働」(第5章)、「財政」(第6章)、「組織面での調整」(第7章)で構成され、基本、合意がどのように形成されても対応できるように、全ての論点を前向きに進めるという形になっている。逆に言えば、パンデミック条約交渉は、この「なんでもあり」の「概念的基礎草案」から、各国が合意出来なかったものをそぎ落としていく作業であると言える。
知的財産権の免除や制限に反対する先進国
国際保健政策の形成や変遷を市民社会に近い立場から取材し、詳細を報道している「ジュネーブ・ヘルス・ファイルズ」によると、各国からの意見表明はかなり真剣なものとなった。まず用語の定義の部分では、「パンデミック」の意味について、実際にパンデミックを宣言する手続き等を示す「国際保健規則」(IHR)との関連でどう定義すればよいのか、また、「衡平性」(equity)や「主権」(sovereignty)の定義についても議論された。また、「衡平性」については、途上国が、全ての課題に関わることとして強く主張した一方、先進国勢は、これを「医薬品アクセスの衡平性」に限定せず、より広い領域に拡散させる方向性を示した。また、「衡平性」と強く関係する「知的財産権」については、先進国や業界団体が、知的財産権を制約する文言について、医薬品を開発する民間セクターを委縮させるといった理由で、否定的な態度を示した。日本政府は、衡平性を盾に過剰な措置をとるべきでないこと、世界貿易機関(WTO)の「知的財産権の貿易の側面に関する協定」(TRIPs)が保障する強制実施権の発動などのいわゆる「TRIPSの柔軟性」について、パンデミックに関わる医薬品について一律に適用すべきでないこと、途上国等への技術移転によって製造した製品に関する責任は、技術移転を受けた国が負うべきであることなど、知的財産権の課題について、かなり強硬な立場を主張した。一方、途上国はこうした論調に強く反対し、ナイジェリアは技術移転の義務化を、また、ブラジルは知的財産権をより広く分野横断的に議論することの重要性を訴えた。今回会合では、政府の他に、業界団体や市民社会団体も一部参加・発言が可能で、これらの団体はそれぞれの立場から、知的財産権の課題について述べた。
この草案で先進国と途上国の対立点となるもう一つの点は、(病原体等の)情報へのアクセスと利益配分である。途上国側が、生物多様性条約の名古屋議定書を援用して、病原体等を含む情報へのアクセスと利益配分という概念の導入の必要性を訴えたのに対し、米国など先進国側は、情報へのアクセスと利益配分を絡めることへの警戒心を表明しつつ、「透明度の高いデータの共有」の重要性などを主張した。
その他、「ワン・ヘルス」や、「締約国会議」(COP)、「確定締約国会議」(E-COP)など、この条約に基づくガバナンスの仕組みについてもかなりの議論があったとされる。
非国家主体の積極的な関与が鍵
今回の会議には、条約において知的財産権等に関わる規定を作ることに当初から反対し、声明なども発表している「国際製薬団体連合会」(IFPMA)などの業界団体や、逆に、公正なアクセスのために知的財産権の包括的な免除を支持してきた「ピープルズ・ワクチン連合」(PVA)の主要構成団体であるオックスファム、米国の「健康への権利アクション」(Rights to Health Action)、また、この間、知的財産権の課題などについて取り組んできた知識環境インターナショナル(Knowledge Ecology International)等の市民社会団体もステークホルダーとして参加し、それぞれの立場を表明した。このような形で、国家政府と等価というわけではなくとも、非国家主体が自らの立場を同じ会合で表明できるのは、透明性やアカウンタビリティという点からも評価できることと言えるだろう。次の「第4回INB会合」は2月末から3月頭にかけて予定されており、これに向けて、2月には、第3回会合の意見を反映して「基礎草案」が発表されることになる。