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「アフリカ障害者の10年」を支える同伴者・協力者相互の経験交流を

Who is the disabled in Africa going with, and How?

『アフリカNOW 』No.92(2011年10月発行)特集記事

執筆:斉藤龍一郎

息子を介助者として伴った障害者

今年8月27日、JICA(国際協力機構)東京とDPI(障害者インターナショナル)日本会議の主催で開催された「話そう、語ろう、アフリカの障害の状況を? アフリカ・カントリーレポート発表会」で、日本のアフリカ政策と障害者支援についてプレゼンテーションを行った。2002年からJICAの事業として取り組まれてきた「アフリカ障害者の地位向上コース」が、昨年の中間フォローアップ調査を経て、今年から名称を「アフリカ障害者地域メインストリーミング研修(自立生活プログラム)」に変更して再開された。この研修の一環として、アフリカの障害者団体リーダーたちが作成したカントリーレポートを発表する機会に、私も報告者の一人として参加することができた。
このプレゼンテーションの最後に、2008年5月に横浜で開かれたTICADⅣ(第4回アフリカ開発会議)のときにアフリカ市民社会代表の一人としてオブザーバー参加した南部アフリカ障害者連合のアレクサンダー・ピリ(Alexander M. Phiri)さんが電動車いすで本会議場に入場しようとしたが、「セキュリティ」を理由にエレベーターが停止されていたため立ち往生するという事態が発生したことを紹介した。エスカレーターや階段の前で立ち往生する車いすユーザーのことをまったく想定していない会議主催者はまだまだ多い、機会をとらえて同じテーブルに着くことを要求した方がよいと提起したところ、アフリカ各国から参加していた障害者リーダーたちからは、「そんなことがあったのか」「よく知らせてくれた」との声があがった。また、「TICADとはどういう会議なのか」「JICAはTICADに関係していないのか」といった質問も出たので、主催者として参加していたJICAアフリカ部長が、TICADⅣで採択された横浜宣言や横浜行動計画、フォローアップメカニズムを紹介するという一幕もあった。
こうしたやりとりの後で迎えたランチタイムのときに、参加していた障害者リーダーたちとあいさつを交わし、うち数人とは同じテーブルでランチを食べた。そのとき目の前に座っていたマラウイ障害団体連盟事務局長のムッサ・チワウラ(Chiwaura Mussa Albert)さんは、「アレクサンダー・ピリは亡くなったよ」と声をかけてくれた。「5月に日本からもお悔やみを送った」と伝えると、「彼とは年齢も近く長いつきあいだった」と話していた。
50代半ばのチワウラさんの隣に若い健常者の男性がいるので、「介助者なのか」と聞いたところ、「息子なんだ。介助のために連れてきた」とのことだった。同じテーブルに着いていた全国障害学生支援センターの殿岡翼さんをはじめ、日本側の参加者には介助者と一緒の人が何人もいたが、アフリカからの参加者が介助者と一緒という姿は初めて見た。しかも、介助者は息子さん。家族による介助しか得られないために、自立生活を選ぶことのできない障害者が多数いるという日本の状況を出発点に考えると、さまざまな疑問がわいてきた。

介助・介助者をめぐる経験の交流が必要

介助者といってもなじみのない人が多いだろう。基本的には、近年よく見かけるようになったヘルパー派遣事業所が派遣するホームヘルパーあるいは介護福祉士の資格を持って働く人ということになるが、通常その人は「介護者」と呼ばれ、従事している仕事は「介護」と呼ばれる。「介助者」「介助」という表現は、障害者の自立生活運動の関わりが深い。また、介助者と呼ばれる人びとのなかには、ホームヘルパー・介護福祉士といった法的資格とは関係なく、障害者の自立生活に関わっている人もいる。私も、そうした介助者として30年来、とある脳性マヒ者の生活に関わっている。
今日のようなヘルパー派遣事業所が全国にできるようになったのは、2000年の介護保険制度導入以降である。高齢者の生活支援を目的に制度化された介護保険に基づき、各種資格が設けられ、派遣事業者など異業種からの参入を含む多数の事業者が登場し、事業所が各地に設けられるようになった。そうした事業所の多くは障害者が営む自立生活を支援する制度にも対応しており、それらの事業所からヘルパー派遣を受けて自立生活を営む障害者の数も増えている。
私が介助者として生活に関わっている脳性マヒ者は、1981年に金沢から東京へやってきてから20数年間、独自に組織した介助者たちによる24時間介助体制で暮らしてきた。数年前から、ウィークデーの泊まり介助は以前からの介助者たちが入り、日中は近くの事業者が派遣するヘルパーが決められた時間に決められた回数やってきて、洗濯・掃除・調理・食事・用便の支援を行うようになった。私を含む介助者は無給だが、ヘルパーたちは介護保険や障害者の自立生活を支援する制度に基づき、事業所から給与を得ている。
チワウラさんは、マラウイから介助者を伴ってきた。介助者として同行した息子さんは、日本のヘルパーのように法的な資格を持っているのだろうか? それとも、私と同様に資格とは関係なく介助にあたっているのだろうか? また、普段からチワウラさんの介助にたずさわっているのだろうか、それとも日本へ行くことになったので、介助者として同行することを決めたのだろうか?
JICAが、アフリカの障害者団体を対象に日本とタイで実施してきた研修では、「地位向上」「メインストリーミング」という研修の名称から、また、カントリーレポート作成を最初のそして公開での発表会の課題としてきたことからも明らかなように、法的・社会的な権利や地位そして障害者団体の組織づくりと運営に焦点が当てられてきたと言えよう。日本では自立生活する障害者宅へのホームステイのプログラムがあり、また、タイでは障害者自立生活センターで宿泊を含む体験をするというプログラムもあるが、アフリカから一人でやってきて研修プログラムに参加することができる障害者リーダーたちを対象とした研修のなかでは、介助や介助者との関係はあまり重要な課題にならないのだろう。
今回、チワウラさんが介助者を伴って来日したことがきっかけとなって、日本の障害者運動においても、制度をめぐる取り組みや差別との闘いと並んで重要なテーマとなってきた介助や介助者のいる生活に関わる経験交流や課題検討が深まってほしいと考える。

障害者自身の取り組みに学び 共に生きる社会作りを

2008年5月に国連障害者の権利条約が発効し、今日では障害者も共に生きる社会を作ることは、国際的な目標として広く共有されている。この目標の達成は、障害者本人(当事者)だけの課題ではなく、すべての人びとの課題になる。障害者が自らの権利を主張し、自立生活を営むための課題を検討し、差別を許さない取り組みを進めているとき、非障害者も障害者自身の取り組みに学びつつ、共に生きる社会を作っていくための課題にどのように挑んでいくのかを考え、また行動していかなければならない。
日本ではこの20年間に、鉄道駅へのエレベーターやエスカレーターの設置が進み、道路や公的な施設での段差解消の取り組みも進んだ。低床バスや超低床路面電車を導入する動きも各地で広がっている。このような取り組みが、公共交通網の整備や都市再開発あるいは新たな街づくりを進めようとする途上国での都市計画にも活かされるならば、障害者と共に暮らす社会作りに大きく寄与するだけでなく、多くの人びとの生活にとっても利便性があるだろう。
障害者の日常生活を支え、また行動の自由を保障することにつながる介助についても、障害者の体験や要望に学びつつ、すでに介助に関わっている人同士の国境を超えた経験交流が必要だろう。介助に関わる資格やトレーニングの必要性、どこで介助労働者を見出すのか(今日、日本では、求人数に対して求職者の少ないミスマッチ業種として介護職が話題になっている)、といった制度や社会の仕組みに関わる課題もあれば、障害者と介助者との間で起きやすいトラブルは何かなど、一緒に考えるべきこと、具体的に解決を求められていることも多々ある。
 そういった観点から、チワウラさんの研修参加を契機に、JICAが介助者を伴う障害者の研修参加を積極的にうながすことを期待したい。介助者と共に行動するための費用(交通費・宿泊費・食費など)をどのように分担するのかは、障害者と共に生きる社会における社会的費用の負担問題の一つでもあり、そこからまた新たな課題検討が始まるだろう。

補記: 日本における障害者の自立生活運動と「介助者」という職業の誕生については、次を参照。
※渡邉琢『介助者たちは、どう生きていくのか?障害者の地域自立生活と介助という営み』(生活書院、2011年)
http://www.arsvi.com/b2010/1102wt.htm

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