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南ア民主化1周年、コペンハーゲン・サミットに想う

アフリカへの協力・雑感

『アフリカNOW 』No.9(1995年発行)掲載

執筆:高橋基樹(神戸大学)

相も変わらず「悲惨なアフリカ……」

アフリカへの国際協力についての研究をナリワイにしている身として、昨今どうも落ち着かないのは、アフリカ国外では実に重大な事態が起こっているのに、日本のジャーナリズム、或いは社会一般の認識がそれについてゆかず、相も変わらず、「悲惨なアフリカ」というステレオタイプの報道ばかりが目につくことです。ソマリア然り、ルワンダ然り、最近の「エボラ出血熱」事件もまた然りです。確かに悲惨なでき事は、ほかの地域と同様、アフリカにもある訳で、それを伝えることは重要なことです。しかし、ソマリアやルワンダ以外にも悲惨な事態はアンゴラ、リベリア、スーダンなど多々あるにもかかわらず、ほとんど顧みられることはありません。「もう一つのアパルトヘイト」と一部から指弾されていたモーリタニアでの人種差別問題など日本の社会ではほとんど認識すらされていなかった。それにもまして小生が不満なのは、悲惨さを強調する反面、それを克服するために必要な、原因を掘り下げた分析がほとんど見当たらないことです。

欧米でのアフリカに関する報道の上澄みをすくっていることが、結局一面的で、場当たり的な報道を生み出していると言ったら言い過ぎでしょうか。せめて、アフリカのうちに自らの悲惨な事態を乗り越えようとする真剣な模索があることぐらいは紹介してほしいものです。端的な例が、90年前後からの民主化闘争です。サブサハラ・アフリカの国々で民主化のために身を挺してたたかった多くの市民・学生の肉声を伝える報道が我が国でどれほどあったでしょうか。

昨春の南アフリカの全人種参加の制憲議会選挙の報道があるではないかとご指摘を受けるかもしれません。確かに近年例を見ない規模でのアフリカに関する報道がされたことは間違いのないことであって、我々も草の根から政治指導者に至るまで南アの人々の真摯な努力について多くのことを知ることができました。しかし、小生なぞの考えでは、南アフリカにとっての正念場はまさに選挙後の復興にこそあるのであって、マンデラ大統領就任後の日本のマスコミでの南アに関する記事の減り方はやはり不満でなりません。新たに決められた「復興開発計画(RDP)」の予算配分や南アの民主化1周年に関する報道も実に寂しい限りでした。総選挙前の一昨年「南アの制憲議会選挙後、日本のマスコミからアフリカの記事は姿を消す」と嘆息していたさる先輩の一言が思い出されます。

さて、マスコミ批判をするのがこの稿の本旨ではありません。日本のマスコミのアフリカへの接近の仕方は結局国民全般のアフリカ理解の水準の反映なのであって、日本におけるアフリカの報道が一面的であることも、一貫性がないことも、マスコミの方々だけの責任ではないからです。上述のようにアフリカに関する報道が欧米のものの追随になってしまうことも、欧米で昔作られた古い価値観を通してアフリカを見ることをやめられない我々のおかれた状況と密接な結びつきがあるというべきでしょう。むしろ、マスメディアにおられるプロ・アフリカの皆さんは、個々人として限られた機会とリソースの中で悪戦苦闘しながらよくやっておられるように思います。

小生がここで申し上げたかったのは、上のような状況だからこそ、曇らない眼で見たアフリカ理解を形作ってゆくために、アフリカ日本協議会の活動を広げていくべきだろうということです。

後発途上国への援助と「自助努力」

さて先のコペンハーゲンにおける社会開発サミットでは、アフリカに関心を寄せる我々にとっても見逃すことのできない重要な問題が提起されました。特にアフリカに言及して債務の削減が訴えられたことは必ずしも目新しいことではありませんが、小生は、社会開発と貧困撲滅が明確に「国家(政府)の責任」と謳われたことがとりわけ意義のあることと思います。これは至極当然のことを言っているようですが、しかし、サブサハラ・アフリカの脆弱な国家にとっては、貧困撲滅に向けての断固たる具体的意志を持ち、実行に移してゆくことが如何に難しいことか。このことが漠然とながらも共通の認識になりつつあるからこそ、NGOのチャンネルを活用したODA(言ってしまえば、対象国の政府を信用しない前提で行われる政府開発援助)がアフリカについて論ぜられるのだと思います。

一方、日本の援助の理念として新しく掲げられた「自助努力の支援」という言葉があります。確かに途上国側の自助努力がなければその国の持続的開発と貧困撲滅は進まないのであって、その限りにおいてこの理念は当を得ていると思います。恐らく日本の主要援助対象国である東南アジアの国々の政府のいくつかは、支援に値する自助努力を行って来たといってよいのでしょう。しかし、「世界最大の」援助国日本に住む我々は、コペンハーゲンにおいてわざわざ貧困撲滅が国家の責任であることが強調されねばならなかったことの背景に思いをめぐらしてみる必要があるでしょう。世界の途上国、特に後発途上国を見渡してみたとき、貧困撲滅と開発に向けての自助努力を行うことさえままならない政府の方が多いのです(途上国の人々のことを言っているのではありませんのであしからず)。現在の世界の援助の喫緊の課題は自助努力をうまくなし得ず、「援助疲れ」をさえ引き起こしてしまう国々に対してどう対処していくかということであり、それは「自助努力の支援」という簡単な言葉でくくれるものではありません。

自助努力をなし得る国々はほっておいてもよいというのは言い過ぎとしても、それらの国々で援助の効果が上がるのはある意味であたりまえなのです。現時点の問題はそうでない国々の自助努力をなし得る能力をどう構築するかということであって、最近の「自助努力の支援」を強調する論議ではこの点がすっぽりぬけ落ちているような気がしてなりません。

とは申せ、アフリカの国々に対してその分野の国際協力を行ってゆくのは日本の現状では大変なことです。並々ならぬ覚悟と備えが必要だと思います。と同時に、日本とアフリカの距離を縮めるような知恵のめぐらし方が必要でしょう。例えば、南南協力の支援を含む三角協力の推進はその一つの方策かも知れません。

さて紙面が尽きました。是非今後も上記のことなどについて会員の皆さんと議論を深めて参りたいと思います。


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