ルワンダを取りまくその後 2

『アフリカNOW』No.8(1995年発行)掲載

報告:首藤信彦(東海大学教授)

『虐殺一周年の今、ルワンダ問題を考える』と題したルワンダ現状報告会が4月12日に、日本青年館にて行われた(ルワンダ国民再融和支援委員会主催)。同委員会では、先の4月6日の虐殺『一周年』に先立ち、首藤信彦委員長(東海大学教授)を4月1日から8日まで、ルワンダ、キガリに送り、その現状を視察してきた。以下は、報告会で話された報告の要旨である。


ルワンダ問題の3つの誤解

日本の私たちはルワンダ問題をどう見ているのだろうか? おそらく、(1)ルワンダ問題は民族問題(だから、他国のものにとってはどうしようもない)(2)ルワンダ問題は難民問題である(だから難民への援助があれば良い)(3)我々日本には責任がない(これはアフリカの問題であって、植民地時代の宗主国である欧米の問題で日本は関係がない)というのが大勢の見方であろう。しかし、あえてこれは大きな誤解だと伝えたい。

ルワンダ問題の3つの真実

第1に、ルワンダ問題は民族問題である前に政治問題である。第2に難民(が発生していること)が問題なのではなく、その難民が帰還して元住んでいた地域で、その地で既に暮らし始めている住民とこれからどう一緒に暮らしていくか?という問題(国民再融和の問題)である。そしてルワンダ問題には我々日本人にも責任があると言わざるをえない。『経済問題』が時に『民族問題』としてすり替えられている。

ルワンダでは1990年代にツチとフツの緊張関係が強まった。ウガンダ国境からRPFがルワンダ国内に入ってくる。政府はこの勢力に国の資源をとられてしまう上に、それ以上勢力が拡大しないために、さらに国費を使わざるをえない。そのような状況下、世銀はルワンダに対して緊縮財政と民主化政策を融資のコンディションとして要求した。当時、ルワンダ政府は国内のフツ族失業者を下級公務員として雇用することで中下層の人々を支えていたのだが、そこに世銀の民主化政策で公務員の解雇を余儀なくされ、いわゆるフツの中下層に締め付けがなされた。フツの人々に「自分たちの金と利権を守ろう」とする強い意志ができあがっていった。世銀への融資を多額に出している日本とも関係があることを忘れてはいけない。

ルワンダ問題を民族問題と捉えるがためにこの問題を『アフリカの民族は勝手に戦争をするんだからしょうがない』という意見が大多数である。昨年4月に虐殺が始まったにも関わらず、日本がこの問題を取り上げ始めたのはずっと後であった。放置していたことの責任は大きい。

2つの政府、2つの軍隊

現在、ルワンダには2つの政府、2つの軍隊があると言わざるをえない。新政府に新政府軍(RPA)、難民キャンプ側の旧政権にはフツ系の住民によって構成される旧政府軍、インテルハムェが組織化を始めている。ハビャリマナ大統領の基盤であった北西部は旧政府軍が強かったので、ウガンダからRPFが進行した際、北西部で決戦が行われると誰もが予想していた。しかし、旧政権は無傷でザイールに逃げ出し、その財産もそのまま国境を越えた。例えば大型バスは300台があったのだが、(ほとんどが日本製という)、現在国内には3台しか残っていない。電話、ファックス等、通信機器ほかヘリコプターに至るものまで、旧政権が持ち出している。そのうち、タンザニア側へ持ち出したものはタンザニア政府が没収し、新政権へ返還したが、ザイール側に持ち出したものについてはそのままになってしまっている。報道されないところで、強固な亡命政権ができあがっている。難民支援という国際社会の人道援助形式で、亡命政権に軍備再建資金が流れている。

新政権は正当で本格的な政権であると認められたにも関わらず、新政権への援助には多くの手続きを必要としているためか、何も始まっていない。新政権は国際社会の目にはまだまだ『安定しておらず、現地で受け皿もない。援助を始めれば、自国から職員を派遣する必要がいる』等の理由から開始されていない。新政権は弱いままである。

一方で旧政権が武器を集めているという噂がある。武器は昔はハンガリーから流れていると言われていたが、現在はドイツからも大量に流れている可能性がある。難民支援がどこかで亡命政権再軍備支援にすりかわってしまう。欧米のNGOの間では第2次ルワンダ戦争開戦は間近であると予想されている。

残された子どもたち

キガリから南へ30キロにあるマタキ協会は手榴弾の跡が残り、ガラスは割れ、壁は焼けている。ここで300人ほどが焼き殺された。内部はきれいに片づけられているが、ここが虐殺現場だということは壁の血痕でわかる。人々を閉じこめ、外から火を付け手榴弾を投げたらしい。殺された人々はすぐそばに埋葬されている。土饅頭の上に十字架がかけられている。その前に孤児院がある。何も親が殺されたその場所の前に孤児院を建てることもないと思うのだが、場所がないらしい。教会の付属小学校の隣に孤児院があり、子どもたちはそこで生活している。子どもたちの精神的トラウマは深い。近くの精神科医が定期的に診察に来ていて、子どもたちに同じ質問を繰り返す。子どもたちの記憶はだんだんと薄れていっている。かと思うとある日突然もとに戻ったり、口が聞けなくなったり、体が突然動き出したりする。虐殺を見た子どもたちをどう支えていったらよいのか、今後の大きな課題である。

もう一つ別の教会にも行ってみた。タマラ教会。ここはあえて虐殺当時のままにしてある。建物は崩れており、中にはいると古着が散乱していた。よく見ると古着は実は『人』である。服の下で死体は腐ったままで放置されている。この臭いは忘れられないだろう。教会の外では虐殺された人の骨が散乱している。頭蓋骨にマシェット(山刀)の痕も見える。台が置いてあり、頭蓋骨が並べてある。先日、大統領が記念式典に訪れたときの花束が枯れていた。

1年前、日本は何もしなかった

ルワンダでは大統領機が撃墜された時、人々は何が起こるかわかっていた。撃墜を知った人は皆「逃亡しろ」と親戚中に電話をかけまくった。しかし、その瞬間に道路はブロックされ、間に合わなかった。その瞬間ルワンダの人々は虐殺を予想した。

虐殺の目撃者がたくさんいる。フランス軍は、殺されたのがフツかツチかまず聞いていたという。フツだったら、救急車に乗せたというのだ。今、フランスではルワンダ問題はミッテランの犯罪といわれ、多くの出版が出ている。RPFと旧政権との最後の決戦が行われずに旧政権がザイールへ逃亡したのも、フランスとザイールと旧政権の親密な関係を現している。

最近になって虐殺から生き延びた人がインタビューに応じるようになってきた。人々は犯人が見つかれば、自分は証言すると言い出している。今までは誰も証言しなかった。『虐殺に荷担する人は処罰される』という政府に対する信頼が出始めている。大勢の容疑者、被疑者が出てくるが、同時に刑務所の混雑が問題になっている。日本でも新聞報道されたが、刑務所は小学校の体育館2つぐらいの狭さで、8000人の人が座るスペースもなく、ほとんどの人が立ちっぱなしでいる。中を通るのに人を突き飛ばしながら進まないと前に行けないほどの混み具合である。囚人として収容されている子どもは立って外で交代に眠っている。食事は1日1回。マメとトウモロコシの煮込みだけ。

正義を回復すると言っても、裁判を始められない状態である。裁判官10人のうち9人が殺されている。虐殺記念日(4月6日)に6人が裁判を受けるはずだったが、弁護士もいない。その内の1人は17歳の子どもだったので、ユニセフが4人の弁護士を付けたらしい。虐殺に荷担した最年少の子どもは8歳という。親を殺されてしまった子どもを遊び仲間の子どもがよってたかって殺したらしい。

10歳以下の児童兵士が4000人いるがその動員解除をしなければならない。しかしそれにも金がいる。そして金がないから解除できないでいる。いつ裁判を始めるのだろうか?長い人はもう半年刑務所に入っている。国際的な支援ネットワークによると10月頃だという。ニュルンベルグ裁判50周年。国際社会はその威信にかけてその日までには裁判を始めなければいけない。

NGOの活動

そんな現状の中、NGOが活動している。国際NGOの「市民ネットワーク」は新しい動きだ。背景にあるのはMSF(国境なき医師団)と、アムネスティ・インターナショナル、国境なき弁護師団。NGOと言えば、今までは国家の手の届かないところを中心に活動をしていたがこれからは国家そのものの役割を担おうとしている。このNGOは司法警察(警察が司法権を持つ)官を育成しようとしていて、そのための3ヵ月の研修プログラムを実施していたり、収容所の所長の研修を行っている。新しいタイプのNGOである。

ARP(Austria Relief Programme)も新しいタイプであろう。オーストリア国旗を掲げている。オーストリア政府の資金をTBWという水処理会社に委託し、その会社がNGOをつくり、資金を流す。活動は民間会社が組織力を動員し、全面支援している。

現地NGOもがんばっている

ハグルカは女性の弁護士を中心として活動している。ルワンダの女性が孤児を養子に引き取るときの法的手続きや、旦那が殺されたときの家の所有権の問題を助けている。ルワンダの65%の人口が女性。多くは孤児や子どもを連れている家庭である。日本円にして10万円で家が建つのだが、5万円で材料を買い、自分で家を建てるよう技術を教え、5万はその女性に労働賃として支払う。

「再融和の前に正義を!」

再融和の前に正義を!というのが現在のスローガンになっている。国民の再融和という言葉を投げかける時、「誰」と再融和するのか?「(難民キャンプに逃げている)殺人者」と再融和するのか?という声が返ってくる。

では今後どういうことが可能か? 国の資産のほとんどが、ザイールに持っていかれているため、行政に差し障りがでている。現政権はプロトコールの車すらない。援助が入ってこない。復興する金はない。その一方で国外の旧政権はルワンダの富を貯え、難民援助を利用した国際援助を受け、武器を購入し、富んでいる。軍事的にも訓練を始めている。子どもにとっては自分たちの親がインテルハムェかどうかなんて知らない。キャンプで生まれた子どもは追い出した現政権をただただ憎む、という構図ができあがる。そして10歳になれば立派な兵士となる。多くの人がルワンダの新・旧政権の戦いが年内に始まると見ている。ブルンジ国内で起きている紛争はザイール側難民キャンプにいる旧政府軍、民兵組織が煽っているというのがほとんどの人の見解である。近い将来起こるであろう2つの政府の紛争に発展する可能性は高い。

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