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NEPADと市民による国際協力

NEPAD and International Cooperation by Citizens

『アフリカNOW』65号(2003年7月31日発行)掲載

執筆:『アフリカNOW』編集部

アフリカ開発のための新パートナーシップ

21世紀のアフリカの展望を切り開くための指針として提唱されたNEPAD(アフリカ開発のための新パートナーシップ)。アフリカ自らのイニシアティブとオーナーシップを強調するこの計画は、先進諸国政府に歓迎され、TICADⅢにおいても支援が訴えられた。その一方でアフリカの市民社会からは、その制定過程と内容に対して、いくつもの批判が指摘されている。NEPADは、アフリカの低開発と貧困を克服し、民主的な政治・社会空間を実現する鍵になるのか。それとも、21世紀においても、世界の周辺的な位置にアフリカを縛りつけておくものでしかないのか。アフリカの市民社会の声を紹介しながら、考えてみたい。


2001年10月に「アフリカ開発のための新パートナーシップ」(NEPAD: New Partnership for Africa’s Development。以下、NEPAD)が制定。2002年7月には、アフリカ統一機構(OAU : Organization for African Unity)が発展的に解消して、新たにアフリカ連合(Africa Unity)が結成されたことは、一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを告げている。
すでに、2002年カナダで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)において、NEPADへの積極的な評価を踏まえた「アフリカ行動計画」が策定されており、今年9月末に東京で開かれた第3回アフリカ開発会議(TICADⅢ)も「NEPAD推進」を目的に掲げている。
政府レベルの取り組みとは違った視点で進められる、市民による国際協力・開発支援活動にとっても、NEPADが掲げる「アフリカにおける平和構築」「アフリカ諸国指導者のリーダーシップ」「アフリカ諸国政府のガバナンス」といったテーマは、大きなかかわりを持ってくる。
『アフリカNOW』は、58号(2001年10月発行)でNEPADの基になったアフリカ再生ミレニアム協力計画(MAP)を紹介。2002年10月のAJF交流の場づくりワーキンググループの勉強会では、龍谷大教員の大林稔さんを講師に招いて、NEPADについて解説を受けた。また、今年3月には『アフリカの挑戦~NEPAD』(大林稔 編、昭和堂)が刊行され、今年の日本アフリカ学会学術大会では、NEPADとTICADⅢをテーマにしたパネルディスカッションが行われている。こうした一連の動きをふまえ、今号では、NEPAD制定の背景とその動きを分析して、アフリカの国際協力・開発支援活動にかかわる人々にとって、NEPADがどういう意味を持つのかを考えるための手がかりにしたい。

冷戦とアパルトヘイトの終結からNEPADへ

NEPADの成立過程とその後の世界的な反響の中で、南アフリカのムベキ大統領、セネガルのワッド大統領、ナイジェリアのオバサンジョ大統領の果たしてきた役割と彼らへの注目は際だっている。彼らは、1990年代のアフリカ諸国の政治における新しい流れ、すなわち複数政党制による民主的選挙で政権交代を実現した国々の指導者たちを代表していると言えよう。
前述したように、NEPAD制定とAU結成は、一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを告げるものであった。終わった時代を特徴づけているのは、冷戦と南アフリカのアパルトヘイトである。1980年代末に急速に進行した冷戦の終結過程は、一方で南アフリカのアパルトヘイト体制への批判を全世界的なものにした。冷戦の時代においてアフリカ諸国では、米ソを中心とする東西両陣営が陣営拡大のために繰り広げた援助競争と、陣営に与した政権擁護・維持を背景に、個人独裁や一党支配が続いてきた。だが冷戦の崩壊とともに、アフリカ諸国政府の体制は国際的に非難にさらされ、複数政党制による民主的選挙の実施を迫られることになった。
ムベキ大統領は、1994年に南アフリカ初の全人種選挙によって誕生したマンデラ政権を1999年に引き継ぎ、アフリカ民族会議(ANC)による単独政権を樹立した。ワッド大統領は、2000年のセネガル大統領選挙で勝利し、1960年の独立以来初の政権交代を大きな混乱もなく実現した。オバサンジョ大統領は、1999年の民政移管選挙で大統領に選出され、クーデターと軍政が繰り返されてきたナイジェリアにおいて、平和な政権交代を実現していくモデルになると期待されている。
これらの指導者達への注目と賞賛が、憲法改正や選挙干渉などのさまざまな手段を講じて権力維持を図る一部の指導者たちに対する非難と表裏一体のものであることは明らかであろう。
また、1990年代における「複数政党制による民主的選挙実施」という援助のための条件は、先進国および国際機関から強要されたものであった。こうした状況の中で提唱されたNEPADの新しさとは、先述の3人の指導者を始めとするアフリカ諸国の指導者たち(当然、すべてではない)が「アフリカ諸国指導者のリーダーシップ」を掲げ、経済運営・開発の失敗の責任がアフリカ諸国の過去の指導者たちにあることを明言し、現在の指導者たちが「ガバナンスの確立」を通して、援助そして投資が有効に使われていることを保障する責任を負っていることを宣言した点にある。

貧困の克服、開発促進のための方法論

終わった時代にとっても、そしてこれからの時代にとっても大きな課題となっているのは、貧困である。アフリカ諸国の貧困と貧困をもたらす大きな要因としての低開発については、農産物(コーヒー・紅茶・落花生・カカオ・綿花・タバコ)や鉱物(金・銅・ダイアモンド・クロム)などの一次産品に頼る経済構造の問題と開発政策の失敗、食料危機の頻発、援助資金・物資配分の際の腐敗行為、そして生産・流通に大きな被害をもたらし、人々の生活・生命を脅かす紛争などの点から、さまざまな問題が語られている。
1950年代末に始まる独立によって誕生したアフリカ諸国のほとんどが、国際市場への一次産品供給者と先進国の工業製品購入者という立場からの脱却を実現するための開発政策を採用したが、その政策は失敗し、先進諸国と国際機関に多額の債務を負うことになった。その結果、1980年代にIMF・世界銀行による構造調整プログラムが開始。だが、期待された成果を上げるどころかマナス成長が続くという事態のもとで、構造調整プログラムの修正が行われ、一方で世界的な債務帳消しキャンペーン(ジュビリー2000キャンペーン)が展開された。
貧困の克服と開発の促進のためにNEPADがまず提唱しているのは、紛争解決・平和構築である。単に重要であると文書に記すだけでなく、1980年代半ばから実際に行われてきた西アフリカ平和維持軍によるリベリア出兵など、地域的な平和維持軍編成などの取り組みを積極的に位置付けて、推進しようとしている。
経済運営・開発計画の見通しを立てる上でも、食料生産・物資流通の安定を目指すためにも、紛争を解決し、国内外の難民の帰還・再定住を実現することが重要な課題であることに異論はないだろう。しかし、国連監視団が駐留していたルワンダで内戦が激化し、大虐殺が起こってしまったことや、平和維持軍の介入によって一旦は和平が成り立った後に内戦が再開したリベリア、シエラレオネなどのケースを見ると、紛争解決・平和構築の取り組みには、時間と克服すべきたくさんの課題があることは疑いない。
また、NEPADに関連して、「アフリカ諸国は援助ではなく投資を求める」と語られていることにも注目しなくてはならない。援助をポケットに入れていた権力者、援助の窓口となっていた政府機関の腐敗行為、そして援助を有効な成果に結びつけることができなかった政治や経済のあり方。これらの事態への不信感が援助国・援助機関から公然と語られているなかで、ガバナンスの確立が強調され、同時に、民間企業や市場の育成につながる投資の重要性が語られているのである。

アフリカの市民社会とNEPAD

NEPADは、ムベキ南ア大統領やワッド・セネガル大統領などの新世代の指導者たちがリードして、アフリカ諸国の政治的指導者自らが席を追うべき立場にあることを明確にしたマニフェストであるという点で、G8サミットや国際的援助機関から積極的な評価を受けている。その一方でその制定過程では、NEPADの理念を打ち出した指導者たちや案文を作成した専門家たちと市民社会との対話・論議はなされてこなかった。2001年10月のNEPAD成立後に、市民社会にもNEPADの全文が公開され、理念と方法の説明が行われ始めているという状態である。
『アフリカの挑戦』に収録されている「アフリカにおける市民社会の発展」(ゲイ・カマル)によれば、冷戦終結と構造調整プログラムの失敗に歩調を合わせるように、1990年代にタンザニアのアルーシャで「アフリカの復興および発展プロセスへの市民参加に関する国際会議」が開かれ、市民社会の役割が増大しつつあることが広く認識されるようになった。国家が開発による国民生活向上の約束を果たせないでいるなかで、冷戦を背景にした権力者による抑圧が破綻し、国際社会がアフリカ諸国の民主化を援助の条件とし始めたことが契機になって、貧困克服・開発促進を目指す市民社会組織の活動が活発化し、担うべき事業も増えてきたと言えるだろう。
こうやって動き出した市民社会からは、NEPADに関するさまざまな批判・要望が出されている。

市民による国際協力・開発援助とNEPAD

NEPADが優先課題として掲げる紛争解決・平和構築、ガバナンスの確立は、市民による国際協力・開発援助活動が、危機に対処する活動から人々の未来を切りひらいていく活動として、さらに大きなものになっていくためにも重要な課題になる。
8月3日に開かれたTICADⅢに向けたNGO国際シンポジウムでは、NGOの働きかけによって、隠されていた大量の銃が農機具や自転車などと交換され、武装解除が進んでいるという、モザンビークにおける「銃を柔に」キャンペーンの成功が報告された。除隊兵士の社会復帰を支援する職業訓練やカウンセリング活動においても、MGOが活躍していることが報告されている。このようにNEPADの掲げる課題とNGOの取り組みや市民による国際協力・開発援助活動が重なり合う場面では、NEPADを推進しようとするアフリカ諸国政府や国際機関・援助国との協力・協調関係がさらに強化されることも考えられる。
またガバナンスの確立に向けた努力が強化され、アフリカ諸国政府の情報公開が進み、腐敗行為が一掃されていくことは、市民社会の活動全体の活性化にもつながっていくことにもなりうるだろう。
とはいえ、NEPADをめぐるアフリカ諸国の政府と市民社会との対話は開始されたばかりである。私たちも、アフリカ諸国の市民社会の声にさらに耳を傾けながら、アフリカ諸国政府と市民社会との対話を促すために何ができるのかを考え、実行していかなくてはならない。

 

【注】

(1)  『アフリカ経済学宣言』(平野克巳編、日本貿易振興会アジア経済研究所、2003年)を参照。

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