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現地レポート:モザンビークの食糧危機と援助の問題

Mozambique:The Food Crisis and Problems of Aid

『アフリカNOW 』63号(2003年3月31日発行)掲載

執筆:舩田クラーセンさやか(津田塾大学国際関係研究所研究員、AJF会員)


南部アフリカ地域の食糧危機の概観

昨年9月時点でのSADC(南部アフリカ開発機構)のアセスメントによると、本年3月末までの半年間に、南部アフリカ全体で最大1,441万人(全人口の25%)の人々が食糧援助を必要としていると報告されました。この詳細については、以下の表をご覧ください。

表:2002年9月1日~2003年3月31日までの期間に食糧援助を必要とする人の数・割合

国名 援助を必要とする最大人口(推定) 援助を必要とする人口の割合(推定)
ジンバブエ 6,700,000 49%
マラウィ 3,300,000 29%
ザンビア 2,900,000 26%
レソト 650,000 30%
モザンビーク 590,000 3%
スワジランド 270,000 24%
合計 14,410,000 25%

その後のSADC地域早期警報ユニットの発表(2003年2月28日)によると、食糧輸入や援助によって食糧不足は50%程度解消されたということです。しかしこのことは逆に言うと、依然食糧危機が解消されていないということを物語っています。このように大規模かつ深刻な食糧危機が南部アフリカ地域で発生した要因について、これまで多くの報告が出されてきました。大半の報告は、各国・国内地域に個別にみられる諸問題が干ばつと複合的に結びついて、この食糧危機が発生していることを指摘しています。

モザンビークにおける食糧危機の要因

では、モザンビークの食糧危機は,どこから来ているのでしょうか。モザンビークでは、2000年2-3月には南部、2001年2-3月には中部が大洪水に襲われ、多くの農民が被害にあいました。2000年の洪水では農地の14万㌶が、2001年の洪水では7万㌶が水につかりました。両方をあわせると、国の全農地の約30%近くが洪水の被害を受けたことになります。それ以前の収穫や耕地が台無しにされただけでなく、種子や農具、家畜なども流されてしまいました。さらに通常の雨季が済んでも雨が続き、南部の多くの地域で大地は水につかったままでした。洪水で家族・家・耕地・農具を失った人々は、高台の再定住地での生活を始めましたが、水が引かなかったことや、土地に慣れていなかったこと、生産への必需品の不足などの理由により、生産活動を再開するメドはたちませんでした。場所によっては、洪水から半年が経ってようやく水が引き、種をまいた途端に、今度は干ばつによる水不足によって、作物が育たないという事態が生じています。
昨年7月末から9月中旬までのモザンビーク滞在の際に、南部マプト州とガザ州の農村地帯に出かけたところ、十分に育たなかったメイズが、畑で干からびたまま放置されている様子が見受けられました。地元の女性は、「仕方ないからそのままにしている。食糧は配布物資の残りに頼っている」と言っていました。新聞では連日、「○○村での食糧危機」が報道されていました。昨年6月6日付けのモザンビーク情報局(AIM)の発表では、モザンビーク南部および中部の6万世帯(約30万人)が食糧不足に直面しているということでした。その数ヶ月後に発表された報告によると、食糧を必要とするモザンビーク人は、「半年間で最大60万人弱になる可能性がある」といいます。モザンビーク政府は国際社会に対して、食糧援助の供与を呼びかけました。
このアピールに対してアメリカ合衆国政府は、モザンビーク政府に遺伝子組替えメイズの供与を申し入れました。そしてこの申し入れは、南部アフリカの他の国と同様に、モザンビーク国内でも大きな議論をまき起こしました。

遺伝仕組み換えメイズと種子に関する議論

実はモザンビークで、遺伝子組み換えメイズに関する議論の盛り上がったのは、これが初めてではありません。大洪水が発生した2000年にも同様の議論がありました。そのきっかけは、被災農民の生活再建のため、アメリカに本部を置くモンサント社が、遺伝子組み替えメイズの種子を無償で提供すると発表したことによります。これに対して、現地NGOや農民組合などは、共同でキャンペーンを行い、遺伝子組み換え種子の受け入れを阻止しました。その主な理由は、(1)遺伝子組み換え種子が生態系に与えうる影響が計り知れないこと、(2)大多数が生存のための自給的農業生産を営むモザンビークにおいて購入しつづけなければならない外来の種子を入れることは、生産の持続可能性の観点から見ても、将来に大きな不安を残すこと、(3)災害に乗じた市場開拓の試みへの反発、によるものでした。
モンサント社はもともと、除草剤製造・販売会社でした。その後、遺伝子組み換え種子の技術を確立し、現在では遺伝子組み換え種子関連の事業が重要な位置を占めています東京農業大学のある先生によると、遺伝子組み換え種子は、次期のために自家採取して使用しても収穫は期待できず、基本的に1回のみ使用可能だそうです。またその1回の使用のためにも、種子に適した農薬や化学肥料が必要であり、その理由は、遺伝子組み換え種子がある意味で「弱い」からだといいます。地域環境や土壌にあわせて進化していった土着の在来種とは違い、未知の環境に導入される遺伝子組み換え種子をうまく育てるには、それに適した環境を用意してやる必要がある。つまり遺伝子組み換え種子の導入には、「環境の最適化への介入」が必要なのだそうです。これは具体的には、農薬や化学肥料の投入を意味しますが、使用に最適な製品はモンサント社自身にしか作ることはできないと、この先生は指摘しています。つまりたった1回の「無償援助」が、モザンビーク農民を長期にわたってこれらの製品に依存させる生産形態への入り口になりかねないということになります。
遺伝子組み換え種子の導入は、大半が生存ぎりぎりの農業とインフォーマルセクターでのわずかな稼ぎで暮らしているモザンビークの小農にとって、生存の基本になる食の獲得が、費用のかかる(当面は無償でもらえたとしても、それが無償で続くかどうかは農民側ではなく、提供する側の都合に左右される)外来製品に委ねられることを意味します。モザンビークのNGOや農民団体の人々は、このような製品にまつわる市場化の試みが、大洪水という未曾有の苦難に乗じてなされたことに怒っていました。「もし本当に支援したいのであれば、なぜ被災した農民に何を必要としているのかを尋ね、その上で支援を行わないのか」。モザンビークのNGOなどが問いかけていたのはこのことでした。
モザンビーク政府は結局、アメリカ政府の遺伝子組み換えメイズを受けいれることにしました。ただし、地元農業への影響を阻止するため、遺伝子組替えメイズのすべてを、政府の側で製粉して配布するということになったそうです。

モザンビーク全域が被災地なのか?

多くの場合、干ばつや洪水などの気候不順による災害は、地域や国のある一部で発生します。よりローカルなレベルに視点を移すと、現在いわれている「食糧危機」が、モザンビーク全土で起きているわけではないことが分かります。表でも、食糧不足に直面している人口の割合は、モザンビークの場合は3%に過ぎませんでした。実際、特に深刻な食糧不足に見舞われている地域は、南部ガザ州・イニャンバネ州、中部テテ州に限定されています。南部で干ばつが起こる一方、北部ナンプーラ州では先日、洪水が発生しました。しかし、日本にいて「南部アフリカの食糧危機」と聞くと、南部アフリカ全土が食糧危機に瀕して飢えているようにイメージしがちです。
2000年の大洪水の際も同様のことが起こりました。わたしは、日本ではあまりにもモザンビークで起きた大洪水が知られていないことに問題を感じ、モザンビーク大洪水の話を広めてきました。その結果、モザンビーク全土が水に浸かっているというイメージを持った人も多かったようです。しかし、実際はそうではありませんでした。この洪水が全国に及ぼした影響は様々な意味で大きかったのですが、その被害は、南部と中部に限られていました。実は洪水の年も現在も、モザンビーク北部は豊作で、余剰は輸出されていたのです。
メイズは、モザンビーク南部全域と中部の一部において、食糧としても種子としても求められていましたが、北部の余剰は国外に流出していきました。17年間の激しい武力紛争の終結後、市場経済の急激な導入とグローバリゼーションは、モザンビーク農村部の隅々に国際穀物買い付け人を浸透させていきました。彼らは、衛星電話とコンピュータをつないで、シカゴ市場の価格をリアルタイムでチェックし、瞬時に穀物の輸出先を決め、最も高額で出荷できる場所に穀物を輸出しています。このような形で輸出されるメイズの多くが、飼料になるそうです。しかし、洪水後の緊急支援に取り組んでいたFAO(国連食糧農業機関)やWFP(世界食糧計画)は、このような業者とも連携を模索し始め、一部の業者は、緊急援助用の種子や食糧をパッケージで用意するようになりました。この背景には、単に「国内の余剰を国内で流通させる」という政策以上の意図がありました。それは、輸送コストの低減とこれらのメイズの「種子としての重要性と安全性」によるものです。
洪水後の支援として、モンサント社の遺伝子組み換えメイズ種子の無償供与の話が持ち上がったことの背景には、来期のための種子が足りないという状況がありました。広範囲におよんだ洪水のため、土地事情にあった在来種を確保・配布することが難しくなりました。モザンビーク北部と南部では、自然環境も土壌も相当に違うため、隣国の南アフリカやジンバブエなどで在来種が探されたそうです。それでも足りない分は、北部の種子が導入されました。生育・害虫の問題・食文化の類似性などの点から、食糧としても種子としてもなるべく近い地域のものの方が良いとされたからです。このことは危機に陥った人々にとって、近隣地域の余剰の保存と流通が一過性の「食糧」としてだけでなく、「来期の種子」獲得のためにいかに重要であったかということを示しています。

食糧援助について

わたしは現在、「生産現場から消費者」という形でのみつながっているネットワークを、国内外の、時には国境を越えた農村間を結ぶ小規模な地域圏の横のつながりに変えていくことが必要なのではないかと考えています。例えば、モザンビークのNGOクリマは、農村部で各地域圏ごとに食糧保存庫をつくる作業を開始しています。地域住民が余剰を持ち寄り、危機の際にはこれを食べ、危機に至らない場合は外部に売り、その売り上げで次の収穫を住民から買い上げます。在来種を使った農業の良いところは、このメイズを食べても良いし、植えても良いというところだそうです。また、良い状態で保存できるように、保存庫は十分に配慮された形で作られているといいます。実際にこのシステムがどの程度機能しているのかはわかりませんが、危機のたびに外部が介入しないと何も動かないのではなく、平時から個々人やそれぞれの共同体の「脆弱性」を互いにカバーしあえるようなシステムづくりを住民主体で模索し実践していくことが、何よりも重要ではないでしょうか。そのためには、農民と農村社会のエンパワーメントが不可欠でしょう。「食糧危機=食糧生産の問題」としてのみ考えるのではなく、個々人がおかれている生産と消費を取り巻く状況に目を向ける必要があります。
このことは、国内に限定せず、国境をまたいで考えることも可能かもしれません。実際、先のSADCの報告書によると、マラウィやザンビア、ジンバブエの食糧危機は、モザンビークやタンザニアの農民によるインフォーマルな余剰売却によって軽減されているそうです。わたし自身、90年代末のマラウィ食糧危機の際に、モザンビーク北部の農村住民が、頭にメイズ袋を乗せて国境を越え、帰りは購入したばかりの自転車に多くの商品を乗せて帰ってくる姿を多く目にしました。また昨年来、モザンビーク中部の女性たちは、日々国境を越えてジンバブエの人々に余剰を売り、稼いだお金を銀行に預金していると、地元の銀行員が驚いていました。これを単に一攫千金のチャンスにするのではなく、持続的に地域間が互いに発展し、危機の際には助け合えるような仕組みにつなげる方法を考えていく必要があります。そして援助国は、将来の地域的安定のためにも、単に自国で余っている食糧を排出するための「食糧援助」を繰り返し、それで仕事は終わったと理解するのではなく、域内で余剰が保存され、流通するような支援を考える必要があるのではないでしょうか。現在、食糧危機に対しては、食糧援助をするより現金支給を行うべきだという議論があります。このことも、地域社会の持続的な発展のために考慮していくべきことでしょう。
「世界で飢えている人の60%が農民であることをどう考えるのか」。2002年5月にFAOの主催でローマで行われたフードサミットでは、各国の農民団体やNGOなどがこの点を問題にし、「食の主権(Food Rights)」を宣言文に入れることを要請しました。一方、この議論を封じ込めたのは、アメリカ政府とバイオテクノロジー関係の企業でした。今のわたしには、このことをどう考えるべきかについての答えは出せません。しかし、飢えている農民の手から遠いところでつくり出され維持される新技術に多額の費用と労力を費やす前に、日々蓄積されてきた現場の人々の努力を活かす道を考える必要があるのではないでしょうか。


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