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事例報告『村からの報告~環境劣化と食料確保』

『アフリカNOW 』No.24&25(1997年発行)掲載

報告:グザチョ・アベガス(Team Today&Tomorrow)/エチオピア

報告:ママドゥ・ンジャイ(Enda Graf Sahel)/セネガル


報告:グザチョ・アベガス(Team Today&Tomorrow)/エチオピア

食料安全保障の国や世界銀行の定義は、食料の総合供給。
それは国、世界、地域、世帯、家庭内レベルでも考えられるものである。
それぞれのレベルや世界市場の観点から食料安全保障を考えることが大切だ。年齢別でも状態が違うこともある。また、様々な相互作用の上で成り立っている。
家庭内レベルでの機能の仕方はどうか。
食料供給という視点からみると、土地、労働力、資本という要素が不可欠。
これらが十分でないと食料安全保障は失われる。
また、需要サイドからみると、どうやって現金を入手して、どう食料を手に入れるかということが重要。
この供給、需要のバランスが崩れると食料危機に陥る。

・ケーススタディ
まず、エティオピアの紹介をする。
経済は農業生産で成り立つ。農業生産中60%が穀物生産、畜産は33%、林業が7%。人口の90%以上が農民(ほとんどが小規模農家)である。
農業生産が停滞。特に74年以降生産が落ちている。食料必要量の半分しか生産できない状態になっている。
次に、村レベルの話である。
農民がどのように食料を生産しているか、社会経済的には食料安全保障が確立しているか、国の政策はどういうものか、世界の援助機関の望ましい援助の形態、といったことを念頭に、アフリカの高地に暮らす農民の生活を調べた。
調査は2093世帯のコミュニティで行った。丘陵、山が多く、980ミリの降雨量。標高は1500m以上の高原地帯。
穀物は自家消費の目的で生産、家畜も同様。穀物を3から5種類くらい組み合わせて生産する。牛、羊、山羊、ラバなどを飼っている。リスクを低くするため多種類の作物生産、家畜飼養をしている。西側の人たちの単一栽培とは違う。
デフ(穀物の一種。実はゴマより小さい)、大麦、小麦、ミレット、落花生、豆腐。家畜は牛、馬、ロバ、ラバなどを1人の農民が組み合わせて飼っている。
調査は30世帯を無作為抽出した。
家族員数が多く、1世帯6から10人くらいいて、年齢も様々な子供がいる。
穀物生産と食料安全保障の調査の結果は、年間の1ha当たりの収量は平均で500から1200キログラム(欧米は4000~5000kg/ha)。
1世帯当たりの穀物生産は、1人当たり年間90から97キログラムで、それで生き延びなければならない。
国際レベルの標準は、生存に必要な穀物は年間1198キログラム。それに対してエティオピアでは、574,6キログラムしか生産されていない。不足が多く、必要量の半分くらいしか生産できない。

生き残りの戦略
穀物では相対的に高価格な生産穀物を売り、安い物を買う。豆が高いので、レンズ豆やさや豆を売り、ソルガムやミレットを大量に買い、生き残る。
家畜の飼養には、穀物生産と同じ流れがみられる。耕作の労力のためと、売るための、2つの理由で家畜を飼養している。
家畜を売り、それで得た現金で不足分の食糧を買うなど、家計の食料安全保障上家畜は重要である。
耕作には2頭の雄牛が必要である。しかし、50%の世帯は雄牛を持っていないか1頭しか飼養していない。2頭で耕作しないと非効率的で、直接収量減につながる。このように雄牛が安全保障に深く関わっている。
また、羊や山羊などの家畜を売って、家計を助けている。平均的な農家の場合、年間70米ドルくらいの現金収入になっている。山羊、羊、去勢牛、雄牛の順で売り、売る方法のシステムもできている。
バターやチーズも自ら作り、マーケットで売っている。バターを売って最大限年間12から15ドル、チーズで10から12ドルの収入になる。牛乳は自家消費。
この様な収入は、消費のニーズの半分の額にしかならない。家畜売却などによって得た現金で、穀物を購入、しかし、賄いきれない。
農民は市場動向を把握して売っているのではなく、生き残るために売る。エティオピアの農民が市場に参加するのは、市場指向があるからではなく、必要な食料確保のためであり、参加せざるを得ない。
また、農業以外の雇用機会はエティオピア中部のアジス・アベバ周辺にしかない。先進国と違い、そういった機会は非常に少ない。
農業外の収入源は、穀物の商売(安い市場で買って高い市場まで運んで売る)、家畜の貸出などで、これで得られるのは年間せいぜい15米ドル程度である。
マーケットは食料安全保障において、小規模な商いであっても農民にとって、現金収入と穀物入手の場として重要な役割を担っている。消費物資の48%をマーケットで購入している。農民は25から35ドル相当の穀物をマーケットで買っている。
マーケットで穀物を買っているため、価格が重要になるが、農民は収穫直後の安い時期に穀物を売り、端境期で価格が上がる時に買わされている。
それでは、穀物を売らずに蓄えておけばいいと考えるかもしれないが、生活に必要なものは穀物だけではない。様々な生活必需品の購入、または税金の支払いなどのために、現金は必要で、そのために穀物を売らざるを得ない。
農民の支出は税金、一般経費、教育、健康、冠婚葬祭資金。追加的な負担として紙、コーヒー、灯り照明の燃料など。砂糖は贅沢品で使っているのは、調査した30家族中1軒しかいない。農業用資材など、少ない収入では賄いきれない。
食料事情不安定の原因は、土地保有状況が不安定なことで、彼らは土地利用権を持ってはいるが、所有権はない。自分の所有にならないので投資したくないという気持ちになる。役牛がない。高地が足りない。家族の員数が6から10人で、耕作地は0,76ヘクタールが平均。農業投入財(改良種子や有機、化学肥料)のアクセスは、少ない(調査30世帯中3軒のみ)。技術に関するアクセスもない。農業普及活動に関する情報もほとんどない。土壌は保湿力が強いため水はけが悪く、作物収量に影響を及ぼす。
また、害虫・病気などが、農業普及活動が乏しいためコントロールできず、広まる。気候の問題も大きい。雨季が一定していない。農業以外の雇用機会がない。これらすべてが食料生産に関連し、食料安全保障を不安定にしている。


ママドゥ・ンジャイ(Enda Graf Sahel)/セネガル

セネガルの辺境の農村で、一人の年老いた男性に逢った。その男性は「貧しいのは、物がないから貧しいのではなく、友達がいないのが貧しいのだ。孤独な者が貧しい」と語った。
この様な話を聞く機会は大切だ。
貧しく生まれた人はいない、人は貧しくなるのだ。貧しさを考えようとするならば、どうして貧しくなるのかを考えなければならない。いろいろなメカニズムがあって、貧しさが作られるそれを解明することが大切である。
別の年老いた農民に、食料安全保障の問題について尋ねたら「何を言いたいのかね」と返された。母語では食料安全保障を説明できない。
考えてみたら、誰かがセキュリティを手にすると、他の人がインセキュリティになる。食料安全保障はセネガルだけに関わる問題ではない。人類全般にかかるものだ。
だから、これから先広い意味で・関係で協力が大切になってくる。
外からセキュリティが揺さぶられる。たとえば国際機関。食料安全保障の概念を作り、普及させる。そして、これを受け入れないと排除する。
我々に食料安全保障の中身をはっきり示せ、と思う。
我々は食べ物だけで生きているのではない。安全保障というのは食料だけではない。ほかのあらゆるセキュリティも考えなくてはならない。
存在するためのセキュリティを取り巻く、8つの形のセキュリティを考えた。社会関係のセキュリティと呼ばれる物が必要。文化的意味でセキュリティを得られなければ。健康なども。それらがなければ食料安全保障など語れない。
村で暮らしていて、食料にアクセスできなければ食料安全保障を確保していないことになる。しかし、そのほかのセキュリティがなっていないと、存在するためのセキュリティ(ヒューマンセキュリティ)がないと考える。
すべては、経済のグローバル化に含まれている。
FAOの食料安全保障の定義は、非常に狭い。もっと広義の議論をしなくてはいけない。

60年代末からの干ばつ、土地不足、国際市況における価格の低下が原因で、70年代にセネガルの落花生生産が低下した際には、自給自足体制を確立することが大切だと主張された。しかし、確立できなかった。
北部において、米の栽培が盛んになったが、輸入米との競争になった。
自給自足体制の確立は現実的でない。すべてを自給自足するのは無理ではないか。
自国生産と輸入の2本柱の方がより現実的だ。

食料安全保障を確保するための様々な方策を、アフリカでやっても成果が上がっていない。なぜなら、農民の知恵が掬い上げられていないからだ。
食料安全保障を突き詰めて考えると、農民と一緒にやっていかなければならない。
みんなで、食料安全保障のためのシステムを作ったらいいのではないか。住民レベルで既存のものを改良していくことが、一番いい方法だ。
食料安全保障の研究のための主体を農民に。知識層が決めるのではなく、村にある力をベースにしてやる。前線にいる村人を抱き込むことこそ大切だ。
セネガル北部のルーガ州をはじめ、3つの州でAJFと共同調査を行った。
土壌は肥沃ではなく、落花生栽培をしていた。食べていくのに厳しい状況である。
以前と比べ何が変わったか、その原因と傾向を知るように、農民自身で調査した。
マーケットで米2キロ買うのに、ミレット4キロを持っていかなければならない。病気の際も収穫物の一部を売る。落花生は収穫後すぐ売る。ミレットしか残らない。
農民が持続的に食べていける方法を見出した。生産量が足りないものも人々は分かった。
1、環境劣化(単位面積当たりの収量低下)
2、天然資源の管理の問題
である。
村の中において人々が、自分たちの持てる組織がどういったものかを話し合った。住民たちが責任を持って、主体となって天然資源を管理する。村人間の連絡が悪いので円滑にして、最低限のルールを決めなくてはならない。そういったことを決めた。
では、食料安全保障において、国家の責任はどこにあるのか。20年来、落花生盆地では落花生栽培を奨励してきた。
構造調整プログラムが導入され、落花生は国際市況の価格低下で、状況が厳しくなる。
セネガルでは、特に落花生栽培に関する限り、国はよい政策を出していない。
3、農地制度が不明確である。
従来の制度と近代法がうまく回っていない。一番最初の入植者が土地を占有できるため、後からは入れない。土地は国の所有になった。市民には使用権はあるが所有権はない。
農民は、自分の土地ではないから、肥やしたり整備したりなどの手をかけたりしない。土地制度をきちんとするべきだ。
4、債務問題
債務が現状を深刻にする。投資ができない。国は債務問題を考えるべきであり、食料安全保障に関われていない。
開発と債務返済が両方できるのか。

食料安全保障とは少数の知識層が決める政策ではない。まず農民と共に考えることから始まる。技術的なことではない。むしろ社会的、政治的問題なのだ。
多くの制約がある。社会が変わらなければ制約を打ち破ることはできない。不平等の打破、社会的再編成が必要となってくる。
農民がよりよく生産し、売ることの可能性を持つことが大切である。
サービスのコストも最低限に抑える。
例えば、西欧社会の医療をまねるのではなく、我々にあった医療をやらなければならない。
我々(NGO)が農村にプログラムを持っていくだけではだめだ。農民が自ら行動し、責任を持つことも大切。
前に述べたように、債務問題の解決を計らなければならない。国際機関の政策に対抗するために、債務帳消しを求めるのではなく、貧困解決を念頭に戦わなければならない。
ミクロレベルでは、農村で農民たちが対話すること、マクロではNGOが世界的につながっていくことが必要。問題解決に向けて社会の人々が手をつなげなければならない。
村の市場では、仲介業者が価格を決めている。
伝統的な道具は我々に合っていたし、公害といった問題も起きなかった。
遊牧民は水や餌を探すため、移動する。動物の所有者はいろいろ。預かって放牧させる人がいる。こういう牧畜では、売ることはない。
降雨量が不安定なので水の確保が大切。地下水は50から60メートル掘らないと出なくなっている。自分たちで小さいダムを造って水を利用しているところもある。
貧困の被害が大きいのは女性。煮炊きは薪を使用するが、その薪拾いも、広い範囲で行わなければならないので大変だ。薪を倹約しようと工夫している。農業においても女性の労働力は期待される。
肥料は買うと高いので、草などで堆肥を作っている。
自分たちで集まって自分たちの力を作り出すということをしないと、農村の問題は解決しない。様々な方法を編み出し、工夫している。たとえば、家畜の飼育や農業耕作機械の使用を一緒に行っている共同体もある。
いろいろな村の人たちが集まって、自分たちがやった食料安全保障の成果を待ち寄っている。
いろいろな産業が興って、投資を回収できる可能性もある。その一例が化石谷再開発計画であり、我々も注目している。
融資のための民間共同体もある。
女性たちが自らイニシアティブを執り、いろいろ工夫している。
状況が厳しいからといって、手をこまねいているだけではない。平等な立場で考え、問題解決に当たっている。上から解決方法が落ちてくるのを待っているのではない。


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