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ナイジェリア:本当に「人権活動家処刑」だったのか?

『アフリカNOW』 No.16(1995年発行)掲載

執筆:望月克哉(アジア経済研究所)

11月10日、ナイジェリアでまたも死刑が執行された。今回は、同国東南部の産油地帯で「オゴニの人々の生存のための運動」を指導する作家ケン・サロ=ウィワ氏をはじめ9名である。彼らは前月末、道連道のメンバーである4名の「チーフ」殺害の容疑で非公開の軍事法廷にかけられ死刑宣告を受けていた。オゴニの人々は石油開発によって生じた自らの居住地域における環境汚染への保障を求め、彼らの動きを抑圧する連邦政府に反発してきた。

「チーフ」たちは穏健派で、いずれも政府寄りの立場をとっていたとされ、昨年5月の集会で命を落としたことから、サロ=ウィワ氏ら指導部に嫌疑がかかっていた。軍事政権は7月にも武装強盗容疑者を大量に処刑してアムネスティをはじめ人権団体から激しい非難を受けたばかりであり、93年に投票の終了した大統領選挙を無効にして以来、軍事政権に対する国際的な批判が続く中での処刑であった。

折しも英連邦首脳会議の開催中とあって、処刑が報道されるや関係各国からは加盟国資格停止といった厳しい声が上がり、欧米諸国は在ナイジェリア大使の召還を決めた。経済制裁なども取り沙汰される中、ナイジェリア政府は後追い的に外相声明などを出したものの各国の理解を得るには至らず、その後は報復的な各国駐在大使の召還といった開き直りともとれる対応を見せている。今回の事件を2つの観点から眺め直してみた。

サロ=ウィワ氏のいくつかの顔

メディアはサロ=ウィワ氏を「環境保護運動家」、「人権活動家」として紹介している。オゴニ問題が注目を浴びる以前より作家、また著述家として世界的に知られた人物であり、今回の報道ぶりを見ても氏の反体制の立場、良心の人としての側面が前面に出ている。しかし、その経歴からは氏の違った顔も浮かび上がってくる。
サロ=ウィワ氏の本名はKenule Beesson Saro-Wiwa、1941年10月10日にナイジェリア東南部(現在のリバース州)の町ボリで生まれた。独立期に地元で中等・高等教育を終えた後、62年卒業後は出身校や各地の大学で教鞭をとるかたわらさまざまな分野で活動を開始した。
氏が執筆活動を開始した時期はさだかではないが、その著作が公刊されるのは1970年代以降であり、73年には代表作が相次いで上梓されている。同年、氏は出版事業等を展開するSaros International社を設立しており、同社はその後の氏の言論活動の拠点となり、著書の大半もここから出版されることになった。氏の著作としては初期の文芸作品か、さもなければ90年以降のオゴニ問題に関するセンセーショナルなものばかりが取り上げられるが、実際それにとどまらない。筆者がナイジェリアに滞在した80年代後半、テレビのコメディ番組に「バシィと仲間たち」というのがあり、風刺がきいた内容と軽妙なやりとりで人気があり、数々の流行語も生みだしていた。「いまどきのアフリカの昔話」と副題された原作はサロ=ウィワの手になるものとして知られていたが、その台本も氏が書いていたということである。

経歴として案外知られていないのは行政官としてのそれであろう。1967年、原油の積み出し港として知られるボニー氏を皮切りに、リバース州の労働・土地・運輸省、教育省、情報・内務省の長官を歴任した。さらに87年には当時の軍事政権が主導した民政移管プログラムの遂行過程で、国民再教育のキャンペーンを推進した全国社会動員理事会の執行部長に就任したが、翌88年10月には自らその職を辞している。

また氏には実業家としての一面もある点はみのがせない。上述のSaros International社の経営は言うまでもないが、1986年には、ナイジェリアの新聞各社に用紙を供給する政府系企業であるNigerian Newaprint Manufacturing社で部長職にも就任している。経緯はさだかではないが、もとより一出版関連企業の経営者がそれだけで任される職ではない。メディアに影響力を有する作家としての名声に加えて、政府の重要プログラムに参画を求められるほどの政治力を有するが故のポスト提供と言えるかもしれない。

このような人物像を踏まえれば、今回の事態は単純に活動家の処刑と片づけられないように思われるのだが、さらなる政治的背景を求めては深読みになるであろうか。

いくつかの疑問点

まず、ナイジェリア政府が置かれた現状を踏まえれば、このタイミングでの処刑は何とも不可解である。自らの立場の悪化が明白であるにもかかわらず、あえて処刑を行なう理由は果たしてあったのだろうか。冒頭でも述べたとおり、死刑執行について人権団体から激しい非難が集中しているさなかであり、しかも93年以来の民主化の遅滞について欧米諸国を中心に軍事政権への圧力が高まり、人道的なものを除き援助も停止されている状況にある。オゴニ問題ならずとも、「良い統治」という観点から連邦政府には自制が求められていたはずである。事実、今年3月のクーデタ未遂事件に連座した軍関係者の処遇については、軍事法廷が死刑を言い渡したにもかかわらず、軍事政権は刑を確定せず、処刑も行われていない。オゴニの場合、国際的な関心の高い環境問題であり、かつ石油メジャーや世界銀行がからんでエネルギー開発の将来を左右しかねない死活的経済問題として、連邦政府もさらに慎重になっていたはずである。

第二の疑問は死刑執行の場所と方法である。死刑を維持している多くの国の例にもれず、ナイジェリア政府にとって死刑執行は多分に「見せしめ」効果を狙ったものである。政治犯を含めて事前予告の上、メディアの集まる前首都ラゴスでの公開銃殺というのが一般的であった。実際、7月の武装強盗容疑者についてもこの方式が踏襲されている。ところが今回の処刑は公式の予告が行われず、執行されたのは地方都市ポートハーコートであり、しかも決して一般的とは言えない絞首刑であった。その異例さを物語るエピソードとして次のような報道があった。すなわち現地では絞首刑の前例がなく執行人もいないため、やむをえず実績のある北西部ソコト州から飛行機で呼び寄せた、という内容である。真偽のほどは不明だが、それほど急で事前の準備もない死刑執行であったことが示唆されている。

今回の死刑執行が、連邦政府したがって軍事政権の判断に基づくものであるとすれば、そのタイミングと方式において最悪と言わざるを得ない。現政権は昨年来、経済政策においても判断ミスが続いており、政策決定システム自体に問題ありと見るのが妥当なようだ。


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