アフリカにおける保健医療と援助について

Health care and foreign aid in Africa

『アフリカNOW』106号(2016年10月30日発行)掲載

執筆:神谷 保彦
かみや やすひこ:長崎大学熱帯医学・グローバルヘルス研究科教員。小児科医。リバプール熱帯医学校熱帯小児医学修士、医学博士。びわこ学園で重症心身障害児の支援、ガーナ野口記念医学研究所やガーナ北部、ケニアのナイロビ・キべラ、ケリチョー、キシイ、ビタ、また太平洋島嶼国で保健医療支援。旧ユーゴスラビアや旧ザイールなどで難民支援。フィリピンのネグロス島で障害児支援。アフリカで実践科学(Implementation Science)を進めることを支援している。


受診行動、医療アクセスのエピソード

 (1) ガーナ北部:子どもが熱を出しても、母親は他の子どもの世話、水汲み、農作業、食事の準備で朝から晩まで働いているため、歩いて2時間かかる診療所にすぐに連れて行けなかった。病院はもっと遠い。4 日経っても熱が下がらず、今日こそは診療所に連れて行こうと、朝早く子供を背負って家を出て診療所を訪ねたが、診療スタッフが不在だった。病院まで行こうと乗合バスに乗ったが、病院にやっとたどり着いたときには、子どもの息は絶え絶えになっていた。また同じ診療所に、腹部に痛みがある10代前半の少女が、学校を休んで昨日受診したが、不在だったため、今日もやって来た。彼女は今日もスタッフが不在であることを知らされていなかった。この診療所で、「診療スタッフはどこに?」と聞くと、「ワークショップのため県保健局に行った。今日は帰って来ない」と留守番のアシスタントが応じた。

この診療所の診療スタッフに過去1ヵ月間の業務を聞くと、診療に従事していたのは12日間で、それ以外の勤務日は県保健局で開催される会議や研修への参加、また診療所にいても、月例報告や健康保険に係る書類の作成で数日が費やされていた。毎月報告すべき報告書は、予防接種、妊産婦健診、マラリア、HIV/エイズなど30を超えていた。ガーナの農村部の診療所では、以前はスタッフがいても、薬がないことが多かった。しかし今は診療所に薬はたくさんあるが、スタッフは配属されていても、会議や研修などの他の業務で忙しく、不在が多い。2000年代中頃はHIV 感染症の罹患率が高くない地域でも、HIV/ エイズ関連のワークショップや研修が多かった。一昨年から昨年前半にかけては、エボラウイルス病患者がガーナで発生した際に備えて数多く開催されたセミナーに駆り出され、スタッフが診療所に来ない日が増えていた。最近はユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)に関するワークショップが増えることで、ヘルスケア提供の機会がかえって減少している。

 (2) ケニア西部:受診待ちの患者で混雑する郡病院の待合室の片隅で、乳児を抱えている女性がうつむき、すすり泣いているのが聞こえてきた。近付いて、乳児の様子をよくみると呼吸が止まっていた。人工呼吸と心臓マッサージの救急蘇生を施しても回復しなかった。この母子が病院に着いたとき、子どもはまだ息をしていたが、それから3時間、待合室でただ順番を待っていた。病院に慣れない母親は待っている途中にスタッフに訴えることができなかった。スタッフが待合室を見回りに来ることもなかった。UHC の推進のおかげで多くの患者が来るようになったが、病院の待ち時間は一層長くなっている。UHC と言っても、誰が必要なケアを受けているのか、包摂が排除を伴うことは避けられない。

 (3) ケニア中部:村のヘルスボランティアが、脳性まひを持つ子どもをリハビリテーションセンターに紹介した。母親とその子は朝来るはずであったが、昼になってもやって来なかった。ボランティアが家を訪ねると、母親は「今朝、途中まで行ったが、やはりお金がかかるかもしれない、きちんと診てもらえないかもしれないと心配になり、引き返した」と返事した。これまで何度も診療施設を訪ねたが、十分な診療が受けられず、改善の期待を裏切られていたという。ボランティアが母親を説得し、センターにやって来た。その子は三角マットにうつ伏せの姿勢を取ると呼吸が楽になり、筋肉の緊張が取れた。食事も十分に摂れ、よく眠れるようになった。「ちょっとしたケアでこんなに楽になるなんて、これまで気付かなかった」と母親は喜び、自身の負担も軽くなった。

障害を持つ子どもは、医療機関だけでなく、幼稚園や学校でも断わられる経験も持っていることが多い。行政、教育、医療機関の対応が、障害を持つ子どもや親に気後れさせてしまう経験を与え、子どもに必要なサービスを得られないと諦めてしまう。病院で改善の期待を裏切られた経験だけでなく、スタッフの態度を嫌悪して診療所や病院で受診しない人もいる。実際、村で母親などに話を聞くと、医療施設のスタッフからぞんざいな扱いを受けた経験が次々と出てくる。病院のスタッフに知り合いがいないと受付の順番を後回しにされたり、畑仕事をするような格好をして来るなとスタッフから揶揄されることがある。そういう背景を見ずに、障害を持つ子どもの母親に、「何故、病院に連れて来ないのか?」とか、「来ないから支援しなくてもよい」とは言えない。躊躇して病院に来ない子どもこそ、一番支援が必要で、ちょっとしたケアで良くなることがある。この家族には4人の子どもがいたが、2人が身体的、知的な障害を持っていた。ディヴィド・ウエナー(David Werner) の”Disabled Village Children” という本を参考に、子ども用のテーブル付き椅子を木で近所の大工さんに作ってもらった。この子どもはそれまで寝たきりで、食事は母親が抱きかかえてあげていたが、椅子に座るようになって、自分の手が少しずつ使えるようになった。母親は腰痛と頸肩腕障害に悩まされていたが、だいぶ楽になった。

 

医療アクセスの課題

医療サービスへのアクセスには、医療施設までの距離や交通手段、経済的な負担だけでなく、前述したように、サービスを提供するスタッフの常駐の度合い、住民に対する態度も大きく関係する。単に医療サービス提供側の充足度と利用者の適切な受診行動と捉えず、利用者側が医療サービスを利用できる権利やエンパワーメントとして捉えることが重要である。アフリカ各国のような途上国の子どもの受診に関していえば、母親が子どもの病変に気付き、医療ケアのニーズを把握し、夫や舅、姑からサポートが得られ、受診の意思決定ができ、受診のための交通費や時間が確保でき、子どもや家族にとって大きな負担なく安心して受診でき、信頼できる診療施設やスタッフから適切な医療ケアを支払い可能な費用で受け、納得のいく説明や十分なフォローアップが得られることである。ただし、権利やエンパワーメントよりも前に、医療サービスへの依存の問題を考えるとともに、医療サービスに対する、とくに控え目な人たちのためらい、気後れ、遠慮に寄り添うことが大切である。

医療ニーズの高い子どもほど医療にアクセスできるとは限らず、イギリスのジュリアン・チューダー・ハート(Julian Tudor Hart) が1970年代初頭に提唱した’inverse care law’(医療ケアの利用可能性は医療ニーズに逆相関する)が示すように、とくに貧困層の子どもは、劣悪な衛生環境や低栄養、不十分な家庭ケアのため、病気になりがちで医療ニーズが高いにもかかわらず、医療へのアクセスが社会経済的に困難なことが多い。地域的にも貧困層の多い地域ほど、診療施設や医師の数が少なく、長い待ち時間や医薬品の不足がしばしばみられる。

 

医療ケアの不足と過剰の共存

このように、スタッフや施設の不足が問題となる一方で、過剰という問題も同時にみられる。アフリカ各国をはじめ途上国では、抗菌剤の過剰な処方が以前に増して顕著になっている。1990年頃、風邪症状の子どもで抗菌剤を処方されたのは4割ほどであったが、現在は7割を超えている。途上国でも多くの抗菌剤が製造され、市場に出回り、製薬会社の医療従事者への営業活動も活発である(製薬会社が販促品として配るボールペンやメモ帳は、日本でもある程度重宝されるが、それよりはるかに重宝される)。

日本でも20年ほど前までは、発熱と咳で受診した患者に「風邪ですね」と言いながら、抗菌剤をお土産のように処方し、それによって、重症の感染症を減らすことができると信じられていた。最近は、風邪をはじめとする急性呼吸器感染症の患者の喉の粘液を取って、ウイルスなどの病原体検査を行えることもあり、抗菌剤の処方は減ってきている。抗菌剤が効かなくなる薬剤耐性の問題は、今や途上国の方が大きく、アジアだけでなくアフリカにも拡がっている。下痢が2、3日続いても以前は抗菌剤を服用すれば、比較的スムーズに治癒したが、最近は抗菌剤を服用しても治まらず難渋することが少なくない。アフリカでは発熱だけで以前はマラリアと即断され、抗マラリア薬の処方という診療が多かったが、最近は迅速診断キットが普及し、それで陰性なら、現在の抗マラリア薬の第一選択薬であるアルテミシニンを処方することはなく、マラリアの過剰診断は減ってきている。しかし、マラリア検査が陰性の熱発患者には、細菌性かウイルス性かの病原体診断がまだできず、抗菌剤の処方がかえって増えている。

さらに、医薬品が不足している診療所でも、在庫がある抗生剤や注射剤は過剰に使用される傾向がある。西ケニアのある県の10の診療所で薬剤処方を調べたが、一つの診療所では外来患者の70%に抗生剤が、80%に注射剤が使われていた一方、別の診療所では抗生剤や注射剤が処方されていたのは20% にすぎなかった。各診療所のスタッフの適正処方に対する姿勢、患者からのデマンドの違いが関係していた。一方で重症の、例えば肺炎の患者には、低酸素血症に対処するため酸素投与が必要となるが、酸素ボンベや酸素濃縮器がない地方病院は多い。

このように、医療ニーズの高い患者が必要なケアを受けられない一方で、医療ニーズが高くない患者に対しては過剰な医療サービスが施されている。つまり、医療ニーズとケアのミスマッチによる医療ケアの不足と過剰の共存がみられている。ケアの不足と過剰の共存は、ケアに本来的なものである。過剰なケアは、ケアが本来持つ過剰性やおせっかいと言う一面を示している。ヘルスケアが行われる病院= ‘hospital’ の類語である’hospitality’ =歓待における大判振る舞い(客人に満足してもらえないことを心配して)とも通低する。しかし、ケアには一方でちょっとしたことという面もある。不足に対して、量の増加やイノベーションではなく、インプロビジョン(遣り繰り、即興)で応じる、ちょっとしたケア、気遣いを大切にしたい。

 

援助における過剰性

援助もケアと同様に不足と過剰が本来的に共存する。アフリカ諸国を含め多くの途上国では、保健医療の様々なプログラム、プロジェクトに多数の援助機関が関わっている。そのなかで、冒頭で描写したように、会議や研修が頻繁に開催され、診療スタッフが参加するために診療所を空けることが多い。会議や研修を過度に実施するような援助側の問題、援助の氾濫、重複、断片化は、すでに1960年代後半に、例えばカナダ元首相レスター・ピアソン(Lester Bowles Pearson)が中心となった国際開発委員会による報告や参加型開発で著名なロバート・チャンバース(Robert Chambers)によって言及されていた。それに対応した援助協調や援助効果向上は、とくに2000年代に入ってから、2003年のローマ調和化宣言や2005年のパリ宣言以来、アクラ宣言、釜山宣言と幾度も唱えられているが、現場レベルでは援助氾濫・断片化はあまり改善していない。何度も援助調和化の宣言が出ること自体、解決されていない証である。

とくに保健分野は感染症、母子保健、保健システムなどと分野がさらに細分化されるうえ、アプローチも病院や診療所建設、機材供与、人材養成のための研修、システム強化、政策支援と多岐にわたるため、援助断片化が起こりやすい。アフリカの多くの国では20以上のドナーが保健分野の援助を行っており、いくつかの分野や地域では重複がみられている。さらに、HIV・エイズなど特定の分野、ケニアやガーナなど特定の国(「援助ダーリング国」とも呼ばれる)に援助が集まる援助群集化行動(Aid herding behavior)もみられる。これは、あるレストランが美味しいと評判になると客が増え、客の増加がさらに客を引き寄せたり、ツイッターでフォローワー数の多いアカウントがフォローワーをさらに集める現象(優位性の累積としてのマタイ効果やポジティブ(正の)フィードバック)と同様のメカニズムが働いている。とくに追従者は、社会学者ジャン=ガブリエル・タルド(Jean‐Gabriel de Tarde)が言う「模倣による威信への渇望」という心性も一部には働いているかもしれない。

 

援助におけるアテンション/ネグレクト

これに密接に関連しているのが、援助業界における関心、承認をめぐる争いである。援助業界でも、一般的なマーケットと同様、情報過多の状況のなか、「アテンション(関心・注目)」が稀少価値となり(アテンション・エコノミー)、援助資金を得るためにアテンションをいかに得るか、という関心をめぐる争いが以前からみられていた。最近では、アテンションではなく、グッドインテンションが重要だと言われるが、言い方は違えど、関心を得ることが目的化していることに変わりはない。例えば1985年には、「母子保健の中で母親の健康問題はどこにあるのか? 母性保健が無視されている」(Maternal mortality – a neglected tragedy. Where is the M in MCH?)というアピールがなされた。

顧みられない熱帯病(neglected tropical diseases)というキャッチフレーズがあるように、保健援助のなかで、疾病の規模にもかかわらず、何がネグレクト(無視)されているか、繰り返しアピールされてきた。母性保健や熱帯病の他には、例えば、栄養、ブルリ潰瘍、非感染性疾患(NCD)、新生児、事故などがネグレクトをアピールし、注目を浴びようとしていた。注目度の高いものへの選択と援助の集中は、紛争、災害や流行(インフルエンザ、エボラ、ジカ熱)の時にもみられ、ネグレクトされる疾患、分野や地域が同時発生する。流行や災害自体がネグレクトされた頃に回帰発生しアテンションを集め、その後、関心熱が消腿していくというサイクルを繰り返す。援助においては、バランスが良く、包括的、継続的な課題設定が理想であり、誰もそう唱えるが、実際にはアテンションとネグレクトが反転・互換して行く傾向がある。それとは反対の経路依存性(例えば、ある感染症対策援助が一度確立すると、他分野が大きな問題になっても政策や実践がなかなか転換されない)も並行してみられている。人道支援分野でも同様のことが、援助の偏在が言われた旧ユーゴ支援や援助オリンピックと批判されたルワンダ難民緊急支援よりも以前からみられ、今なお続いている。

さらに、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)、セクター・ワイド・アプローチ(SWAps)、UHC、MDGs(ミレニアム開発目標)SDGs(持続可能な開発目標)といった古典的なアジェンダ設定でも、承認・関心をめぐる争いがみられる。このような、援助が業界化と自己目的化(注目や承認の目的化)していく傾向は、グローバル化のなかで社会(世の中)の空洞化が起こり、それを埋めるように出てきたイスラミック・ステート(IS)の承認要求と、方向性はまったく違うとしても、通低しているところがある。

 

援助の自己批判を超えて

このような援助問題は、古くから反復されているため、よく気付かれ、自己批判もなされている。援助の自己批判が反復されていること自体が問題視されて久しいが、援助行動自体はあまり変わらない。このような援助に対する意識と援助実践の乖離は、スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)がいう「イデオロギー」、つまり「人々はそれが良くないことであることは良く知っているし、自己批判もしているにもかかわらず、それをやってしまう」ことに当てはまる。援助者の自己批判が抑圧しているものは、援助が現地の人々によって批判され、失敗を指摘され、棄却される時に露呈するかもしれない。本文のように、援助がどうこう言うこと自体よりも、現地の人々が、また子どもたちが、私たちの、また大人たちの援助を相手にしなくなることが、援助の不可能性のなかでの唯一の可能性である。


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