モザンビークの発展を下支えする「銃を鍬に」プロジェクト

‘Transforming Guns into Hoes’

– Supporting the development in Mozambique

『アフリカNOW』103号(2015年9月30日発行)掲載

執筆:竹内よし子
たけうち よしこ:えひめグローバルネットワーク代表。愛媛県出身。企業・研究機関等の職務経験や渡英経験の後、帰郷。1998年4月にえひめグローバルネットワークを設立し、2005年10月にNPO 法人化。モザンビーク「銃を鍬に」平和構築支援等の海外事業と国内の環境保全活動、地球市民教育の普及やネットワークづくりに携わる。四国NGO ネットワーク代表、日本・モザンビーク市民友好協会代表、外務省NGO 相談員、環境省四国環境パートナーシップオフィス(四国EPO)統括責任者、NPO 法人「持続可能な開発のための教育(ESD-J)」推進会議四国地域担当理事、ほか。


モザンビーク共和国は、1975年にポルトガルから独立して今年40周年を迎える。独立後に起きた内戦(代理戦争)が1992年に終結した当時、約1300万人だった人口は現在2583万人(2013年:世銀)、経済成長率は約7%、都市部の開発が目覚ましい国である。

この国には、戦後の発展を下支えし、平和な社会づくりに貢献してきたユニークなプロジェクトがある。「銃を鍬に」という平和構築プロジェクトである。独立戦争と内戦で市民の手に渡った大量の武器を、農具や建設資材、自転車やミシンなど生活用品と交換しながら回収して武装解除を行うというものである(ばらまかれた武器は推定で数百万個と言われるが、正確な数は不明である)。

プロジェクト発案者であるモザンビーク聖公会ディニス・セングラーネ(Denis S. Sengulane) 司教は、内戦後、国内北部を回っているとき、ある村の女性から「戦争は終わったが大量の武器が残っている。また戦争が始まってもおかしくない。どうすれば良いだろう?」と問われたことを機に、聖書の「イザヤ書」を思い出し、武器回収を提案、命名したという。その「イザヤ書」には、「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」と記されている。平和な社会をつくるために武器を捨てて平和を選び取る意志、戦わない意志を明確に示している聖句で、セングラーネ司教は、「このプロジェクトは、人びとの手から武装解除を進めるだけではなく、心の武装解除を進めることが目的だ。」と述べている。

1995年に始動した「銃を鍬に」プロジェクトは、今日までの20年間、モザンビーク・キリスト教評議会(CCM: Christian Council of Mozambique)が政府・軍隊・警察と連携し、地域の有力者や教会関係者とのネットワークを生かして展開してきた。これまでにAK47小銃、ピストル、弾薬、バズーカ砲、手榴弾、地雷などさまざまな武器・弾薬など約200万個の回収につながっており、支援してきた国々も、日本以外にカナダ、スウェーデン、ノルウェー、イタリア、ドイツ、英国、米国、スイスなど多数におよび、モザンビークの「平和の定着」への努力は高く評価されている。

武器をアートに!

ところで、集まった武器はどうするのか。1997年、今度はCCM の呼びかけでアーティストが集められ、回収された武器の切断と溶接によるアート作品創りのためのワークショップが開催された。フィエル・ドス・サントス(Fiel dos Santos)やクリストヴァオ・カニャバート( ケスター)(Cristovao Canhavato “Kester”)といったアーティストたちが、後に大英博物館が所蔵する「命の木」、国立民族学博物館が所蔵する「いのちの輪だち」といった作品を生み出てきた。2010 年、大英博物館と英国放送協会(BBC)は、200万年の世界の歴史を「100の作品で語る」という企画で、紀元前の歴史を語るロゼッタ・ストーンなどと並んで、「現代の歴史を語る作品」としてモザンビークの武器アート「武器の玉座」(ケスター作)を選んだ。ちょうど2015年4~6 月に東京都美術館で大英博物館から100のお宝を持ってきた「大英博物館展〜100のモノが語る世界の歴史」が開催され、NHK テレビ番組でも武器アートが紹介されたので、見た人も多いことだろう。醜い戦争を繰り返す人類の歴史に終止符は打てるのか?人類は進化しているといえるのか? 武器アートに込められたアーティストの本当のメッセージは何か?「武器アート展」でアートが語る平和に心を寄せてもらいたい。

えひめグローバルネットワークでは、これまで愛媛県松山市と連携し、市民とともに自転車660台、ミシンや文房具などを輸送して、「銃を鍬に」プロジェクトを継続して支援してきた。2002年には現地から武器アートを入手し、小・中学校、高校、大学、一般向けの国際・平和・環境・人権・福祉教育などの講演や、「中四国ブロック開発教育地域セミナー in 愛媛」、松山市主催「平和資料展」、愛媛信用金庫、松山市市役所、松山市立考古館など、地元を中心に展示会も開催してきた。

こうした取り組みが、作家の門間明さんの目に留まったことから、2008年に武器アートを登場させる書劇団りんく第2回公演「新生」(神奈川県民ホールギャラリー、東京芸術劇場ギャラリー、松山市総合コミュニティセンター)開催に至った。「書」との組み合わせで展示を行う画期的なもので、文化女子大学や書家たちの協力もあった。その後、国立民族学博物館の吉田憲司教授も当団体の活動に注目し、2013年に国立民族学博物館企画展 — 人間文化研究機構連携展示「武器をアートに」が開催された。こうして博物館での本格的な展示と講演会企画が展開されるようになり、西日本では各種メディアにも取り上げられるなど、大きな反響を呼んだ。そのおかげで、今年の春の第23 回葉山芸術祭企画展「Life is beautiful モザンビークとアート」開催につながり、2015年は夏以降も以下の展示会開催が予定されている。

・10月17日〜11月23日 国立民族学博物館と東京芸術大学のコラボレーション企画
・11月後半〜2016年1月11日 神奈川県立地球市民かながわプラザ
・2016年1〜2月中 新潟にて開催検討中

日本の平和も考える取り組みとして

今年、日本は戦後70年、モザンビークは独立40年、本プロジェクトが開始して20年である。さらに、えひめグローバルネットワークが法人化して10年。これほど多くの節目が重なっているのは偶然ではないと思っている。日本でもかつて鍬や鋤、銅像や寺院の鐘、鍋すら金属資源として供出させられ、それらを原料に武器が製造され、戦争が続けられた歴史を持っていることを真摯に振り返りつつ、できれば、このまま日本中の美術館や博物館、大学等と連携しながら展示し、平和な世界づくりに貢献していけるような企画を展開し続けていきたい。

現在、日本とブラジルとモザンビークが進めるモザンビーク北部の大規模土地開発計画を巡って、農民たちの平和が危ぶまれているという。アジアの農耕民族から生まれた「平和」という文字は、公平にみんながちゃんと食べられる社会を、穀物を意味する「のぎへん」と「口」でできた「和」が現わしている。平和裏に対話の場が開かれ、十分納得がいくまで話し合ってもらいたい。この「銃を鍬に」のプロジェクトは、戦後、CCM が寸劇を取り入れ、村人たちとじっくり対話しながら、心を平和な方向へと指し示しつつ切り拓いて進めてきたプロジェクトである。モザンビークだからこそ、平和な道を歩んでもらいたい。そして、この武器アートを通じ、モザンビークは平和を輸出する国だと胸を張って世界に発信してもらいたい。

「武器のない世界」というのは「夢」かも知れない。しかし、夢をみることすら諦めるとしたら、実現への道はどこにひらかれよう。縁あって私はモザンビークとつながり、その友情や友好関係を大切にし、深め、学びあっている。縁あって日本にやってきた武器アートも、意味や役割があって、それを果たそうとしているようにしか思えない。えひめグローバルネットワークが所有する武器アートのすべてが、時とともに経常劣化し、自然にさびて鉄のかけらとなるまで、「平和とは?」を問い続けようと思う。


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