書評 新郷啓子『抵抗の轍 アフリカ最後の植民地、西サハラ』

Book review : Shingo Keiko “Teiko no Wadachi
Last Colony in Africa, Western Sahara”

『アフリカNOW』113号(2020年2月29日発行)掲載

執筆者:松野 明久
まつの あきひさ:大阪大学大学院国際公共政策研究科教員。西サハラ友の会運営委員。専門は国際政治、紛争研究。著書に『東ティモール独立史』(早稲田大学出版部、2002年)。1980年代から東ティモール連帯運動に参加。独立を決定した東ティモール住民投票に国連派遣団の選挙管理スタッフとして参加し、独立後の東ティモール受容真実和解委員会に調査顧問として勤務。近年は民族自決権と占領問題について、西サハラ、パレスチナ、西パプア等を事例に研究している。西サハラ友の会のホームページ https://fwsjp.org


西サハラを知れば、世界が見えてくる。決して大袈裟ではない。かつて、アフリカを研究したイマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は、アフリカを理解するためには世界を論じる必要があると考えた。アフリカがかくあるのは世界がかくあるからに他ならない。その視点が「近代世界システム」論を生んだ。周辺から見ると体系全体がよく見える。逆に、中心にいると体系が見えない。なぜなら見る必要がないからだ。周辺にいると見ないわけにはいかない。生き延びるために、そしてそれと闘うために。
著者は1980年からパリに住み、1983年から西サハラ連帯活動を始めた。それから37年。著者以上に長きにわたり西サハラの人びと(サハラーウィ)の闘いに寄り添ってきた日本人はいない。本書はサハラーウィの闘いの歴史であるとともに、著者自身の連帯活動の軌跡でもある。戦争という抜き差しならない状況を扱い、民族の苦悩を描きながら、全体のトーンは抑制的で淡々としている。
本書は西サハラ問題の概説書としての役割を果たすべく書かれたと思うが、第3章以下は、読み進むにしたがって著者独自の観察・分析が深まっていく。モロッコの内政・外交、サハラーウィの抗議キャンプ(2010年)、天然資源(リン鉱石や水産資源)の収奪、占領下の生活、難民キャンプの新たな状況が語られる。
いずれの章も知らないことだらけだが、第3章「モロッコの占領政策」は読んで唖然とした。「おもてなし外交」では、フランスの政治家やジャーナリストがモロッコ国王の接待を受けて、古都マラケシュの豪華な王宮風リゾートホテルに泊まる話が語られる。共和制のフランスには王国への憧れがあるという。王族気分に浸りたいフランスのエリートたち。それを利用するモロッコ。何とも情けない。フランスは安保理でも常にモロッコ側に付き、西サハラに展開する国連ミッションに人権監視の任務を付けるべきだという提案にも反対する。人権の国が聞いてあきれる。
侵略し、占領を続けるモロッコとはどういう国だろうか。案の定、モロッコは自らの国民をも「棄民」する。ポリサリオ戦線(西サハラ住民を代表する政治組織)の捕虜となり、解放され帰国したのに「国の恥」であるかのようにタブー視される元兵士たち。その窮状を訴えた大佐(退役)は12年の禁固刑を言い渡された。また、第2章2節では、ハサン2世(Hassan II)がポリサリオ戦線が解放した200人の兵士の帰還を拒否したため、彼らはサハラーウィと同じキャンプに6年間も暮らすことになった話が紹介される。これには仲介した国際赤十字もさすがに困惑した。
想像に難くないが、モロッコ国内の人権状況はひどい。西サハラは大きなタブーだ。そんな中、モロッコの若手映画監督、ナディール・ブーフムーシュ(Nadir Bouhmouch)はモロッコが西サハラを占領しているとはっきり言った(pp.208-213「連帯する映画作家」)。それが言えずに、どうしてイスラエルにパレスチナ占領をやめろと言えるのかと。アラブの春後のモロッコの改革運動の弾圧を描いた彼のドキュメンタリー映画『私のマフゼンと私』(My Makhzen and Me)は、モロッコ治安当局の傍若無人ぶりをよく捉えている。動画共有サイトvimeoで見られるのでぜひご覧いただきたい(1)。
独裁体制のモロッコによる侵略と占領。そしてそれを支えるフランス。身動きのとれない国連。西サハラの人びとが相手にしている権力は途方もなく大きい。果たしてわれわれはどちらの側に立つのか。自らの立ち位置を考えさせる一冊である。
(1) https://vimeo.com/3699753


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