NGOインターンとして1年間をベナンですごして

イベント概要

  • 日 時 :2010年6月5日(土)15:00-17:00
  • スピーカー:榊原あやさん
  • 会場:雑楽器カフェ ぱちか村

大学を1年間休学して、西アフリカ・ギニア湾岸の国ベナンのNGOにインターンとして勤務した榊原さんが、わさびと唐辛子を足して二で割ったような辛さの食べ物、街のようす、NGOで働く人々、などなど体験したこと見聞したことを話してくれます。
>日本ではあまり知られていないベナンに関心ある人、アフリカのNGOやそこで働く人々に興味のある人、1年間のアフリカ暮らしに踏み切ったきっかけを知りたい人、どうぞいらしてください。

講師プロフィール

榊原あやさん
この春、東京外国語大学を卒業。在学時に、AJFの翻訳ボランティア、ハンガー・フリー・ワールドのインターン、そしてベナンのNGO・Reseau Glegbenuのインターンを経験。この夏から、英国の大学院へ行くので猛勉強中です。

イベント報告

話をしてくれた榊原さんは、2007年から仏語・日本語の翻訳ボランティアとして AJFの活動をサポートしてきました。

3月に、事務局へ来てもらい、近くの韓国料理屋でチゲ鍋を食べていた時に、「ベナンの食べ物は、唐辛子とわさびを足して二で割ったような辛さだった」という話を聞き、ベナン体験をアフリカひろばで話してくれるようお願いしました。

ベナンの様子を伝える

ベナンへ行くきっかけ

2008年に、ハンガー・フリー・ワールド(HFW)でインターンとしてベナン事業をサポートしていた時、TICADⅣに向けた取り組みのために来日したグスターブさんにベナンでNGOインターンをやりたいと相談したら、「いいよ、おいで」との返事だった。
HFWのベナン事業担当スタッフのサポートも得て、準備を進め、大学を休学してベナンへ行った。

NGO事務局長の家にホームステイ

インターンとして受け入れてくれる、ベナンの中心的商業都市コトヌー市内のユースNGO事務局長宅にホームステイした。事務局長の16歳の娘さんと相部屋で1年を過ごした。
ホームステイ先は、中流の上くらいの生活水準で、水道・電気が通っており、バイクも持っていた。
事務局長は、キリスト教会の牧師でもあり、日曜日には朝9から正午まで教会へ行った。教会では説教も賛美歌も地元のことばだったので、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
ミサが終わって帰ってくると、日曜日の午後は昼寝タイムだった。

街中の移動はバイク・タクシー

コトヌー市内で普段使う交通機関は、バイク・タクシーだった。黄色いシャツがバイク・タクシーの目印だ。
※ 昨年夏、ガーナでNGOインターンを経験した参加者によると、アクラ市内の交通機関は乗合タクシーとのことだった。ブルキナファソに何度か行った経験のある参加者は、ワガドゥグで乗合タクシーを利用したことを紹介していた。

ベナンの食事はおいしい

ホームステイ先では、朝はトウモロコシのおかゆかバゲット、昼と夜はフフやアグーをシチューと一緒に食べていた。
貧しくて、一日二食しか食べられない人もいる。
NGO事務所のメンバーの中には、事務所近くの露店で売っている軽食を食べている人も多い。一食分が300CFAフラン(約60円)と安いからだ。行った当座、みんなと一緒に、露店の食べものを毎日食べていたら寄生虫の卵がついていたため、虫下しを飲むはめに陥った。毎日、食べるのはリスクが大きい。
ベナン滞在のあと、ケニア、ウガンダへ行ったら、食事がおいしくなくて食べられなかった。
※去年の夏、ケニアへ行った参加者は「おいしいとは言えないかもしれないけれど、おいしくないわけでもない」と言っていた。
ベナンで辛いものになれて、今では辛いものが大好きだ。
パパイヤ、マンゴー、パイナップルなどの果物もある。

子どもたち

ホームステイ先の経験から、ベナンでは子どもは「厳しいしつけの対象」「大人に指示されたとおりに行動する」存在と考えられていると思う。
ホームステイ先では、子どもたち(16歳の娘と14歳の息子)の家事分担が決まっていて、食事を作るのも掃除をするのも子どもの仕事だった。
また、子どもが何か食べていると、親たちが「よこしなさい」と指示してとりあげて食べてしまうシーンを何度も見た。子どもは、泣きそうになりながら手渡していた。
近くの小さい子どもが、タイヤを回して遊んでいるのをよく見た。

若者たち

NGOで働いている、あるいはインターンをしている若者は、大卒、大学生が中心だった。秘書の女の子は高校中退で、もう一度勉強して大学へ行きたいと言っていた。
大学の授業はギュウギュウ詰めの教室でたいへんだった。教室に入りきれないで、廊下に座って教室内をのぞき込みながら授業を受けている学生もいる。
ベナンはフランス式の制度で、全国一律の大学入学資格試験を受けて、その成績を見ながら進学先を決める。
高校を出ると大人に近い扱いになる。
大学を出ても仕事がないという人たちが作るNGOもある。

NGO

インターンをしていたNGOは、若者が中心の政策提言をするNGOだった。
MDGs(国連ミレニアム開発目標)の達成度をチェックして、達成に必要な政策を提言する活動をやっていた。
インターンとして働いていた時期、このNGOが出したプロポーザルが採用されなかったため、他のNGOのプロジェクトに参加したり、親NGOの活動に参加したりしていた。
ベナンでは、民主化を守ることがNGO共通の目的となっており、NGOがデモを行うのは普通のことだ。
※この日のスピーカー以外の参加者のうち、デモに参加したことがあったのは2人だった。
一昨年軍事クーデターが起きたギニアで、つながりのあるNGOがベナンの民主化の経験に学ぶ会議を開催した時に、連れて行ってもらった。
NGO活動のために、ベナンのNGOが西アフリカの国々に行くことは多いようだ。
※NGOインターンに必要な語学力は? という質問に対して、「学生はスキルがないので、指示をきちんと聞き取る力、話に加わる語学力が必要」とのことだった。

榊原さん

将来計画

今年3月に東京外国語大学を卒業し、9月に英国へ行って大学院に進学する。
大学院では、西アフリカの政治的な変動について学ぶつもりだ。
大学院を出たら、日本語・仏語・英語を活用して、アフリカで活動する日本企業で働いてみたい。

アフター

2時間のアフリカひろばの後、拓殖大学アフリカ研究愛好会メンバーが何人も残って、榊原さんの話を聞いていました。
ぱちか村で、飲み物を飲んだ後、6時半ぐらいに近くの中華料理屋へ移動して、8人で食卓を囲みました。
ここでも、マラリア治療薬の副作用が今ものこっていること、両替所で盗まれたお金が「あなたは白人だから返す」と返ってきた話(警察のようすも興味深いです)、舩田さんに「先生を見ていて研究者にないたいと思います」と話したら、「研究者は就職できないからやめなさい」と諭されたことなどなど、いろんな話がでて、終了したのは9時半すぎでした。

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