How did African families respond to the crisis of the Great Quake and radiation contamination?
アフリカNOW 92号(2011年10月31日発行)掲載
東日本大震災と福島第一原発の事故による放射能汚染の危機は、当然にも日本に滞在する外国籍の人たちとその家族にも深刻な影響をおよぼしました。この危機に対して、在日アフリカ人家族はどのように対処したのか。7月2日に行われた、在日アフリカ人家族の生活を考える会の企画「アフリカ系・外国系家族のリスクマネジメント座談会?大震災を経験して」における発言を紹介します。
Eさん (ガーナ人の夫と子ども2人)
日本に住んでいる外国人は、ほとんどの日本人とは違ってとりあえず放射能汚染から日本国外に避難する場所があります。しかし、そのことを周囲の日本人に話すとムッとされてしまうのであまり話せない。私の知っている範囲でも、日本に住んでいる外国人は、ともあれ避難できる人はとりあえず避難する、特に単身者や子どもがいない外国籍だけの夫婦はほとんどが避難しました。ほとんどの在日アフリカ人にとって、地震は経験したこがない出来事であっても天災だから仕方がないと諦めがつきますが、放射能汚染に対しては、これからどのようになるのかわからない。しかも、いくつもの国の在日本大使館が原発事故の直後から日本に滞在する自国民に対して、自国に戻れる人はできるだけ戻るように呼びかけていました。
その一方で私の家族は、子どもの学校や勤務の関係で容易に避難することができませんでした。避難したとしても、また戻ってくることを考えると、いつまで避難していればよいのか、いつになったら戻ってきても大丈夫なのかまったく見当もつかない。家族4人全員でガーナまで行ったら100万円以上のお金がかかります。それで1ヵ月くらい後になって日本に戻ってきたとすると、逃げてよかったのかと考えてしまいますね。私の知り合いの在日アフリカ人でも、就学している子どもがいる人は、結局は住んでいる場所から避難しなかった/避難することができませんでした。
また、子どもが通う学校では、放射能のことがあまり話題にならない、というか話をしても子どもたちに不安を与えるだけだから、あえて放射能について話すことを避けていました。原発事故から1ヵ月くらいは、水も食料も汚染されているし、こんなところに住んでいてもいいのか、不安になりました。結局、私たちは日本から逃げなかったのですが、それでもガーナの入国ビザを取るために子ども予防接種を行うなど、最悪の事態に備えた準備はしていました。
Fさん (セネガル人の夫と子ども1人)
私の夫は、地震に対しては特に深刻に思っていなかったようですが、原発事故と放射能汚染に対しては、かなり危機感を抱いていたようです。夫の主要な情報源は、ネット経由のフランスのテレビですが、原発事故と放射能汚染のニュースばかりを盛んに、いささかオーバーと思えるほどに伝えていました。セネガルからも電話がかかってきましたが、セネガルのメディアでも原発事故のことはビッグニュースになっていたようです。原発が爆発した翌日に突然、自分は「(一人でも)セネガルに帰る」と言い出した。私は「帰ってもいいよ」と言いましたが、「これから準備をしてもビザの問題やら何やらで、実際にセネガルに行けるようになるまでには何日もかかる。私もあなたも仕事があるし、子どもの学校はどうするの」と聞き返しました。このときはちょうどセネガルに里帰りする人が多い時期で、夫の友人・知人のセネガル人は実際に何人も帰っていました。まわりの職場の外国人も帰国していました。夫は、自分が取り残されたと強く感じたのでしょう。それまでは将来設計について積極的に語ったことがなかったにもかかわらず、「自分たちの将来はどうなる」と言い始めました。それでも1週間くらいすると少しずつ落ち着きを取り戻してきましたね。
地震の当日から、日本に滞在しているセネガル人のコミュニティのネットワークがフルに動いて、安否の確認や現状の共有、これからの行動の連絡など、コミュニティのメンバーからの連絡も続いてありました。セネガル特有の宗派と出身地ごとのコミュニティであるダーラ(Daara)の力が発揮されたのか、連絡は早かったですね。在日セネガル人にとっては、どこかのコミュニティに所属していないと日本で暮らしていけないし、コミュニティからの情報源が生命線になっています。それでも、コミュニティにアクセスできない人もいるとは思います。そうした人は情報も入ってこないし、孤立していると思います。
私のなかでは、家族でセネガルに避難するという選択肢はありませんでした。夫がセネガルに戻ることになっても、私は日本にいるしかないと考えていました。セネガルに避難したとしても、セネガルで生活していくだけの社会的・経済的基盤がない。日本に戻ってきても、最初から仕事などの生活基盤を立て直さなくてはならないし、そのことで混乱をきたしてしまいますから。それでも、それぞれの立場とか家族構成などによって、選択肢は変わってくると思います。
Eさん: 子どもがいる家族は、なかなか居住地から避難することができません。原発事故が起きた直後は私も、子どもの生活環境が破壊されてしまうかもしれない、子どもをガーナの学校に転校させることができないかという考えがよぎりました。でも、実際のところそれは現実的な選択ではなかった。私が学校でみている外国籍の子どもたちは、誰も居住地を離れませんでしたね。その一方で、ガーナなど海外の知人からは、「まだ日本にいるの」「早くこちらに来なさい」と言われることが多かった。日本が安全だとも言い切れない状況のなかでこのように言われると、板挟みになっているような気持ちになり、そのことでストレスを感じてしまいました。
Fさん: (「避難所では日本人以外の人がいなかった」という発言を受けて)日本に住む外国人の家族は、わざわざ避難所に行って支援を受けて、この場で生活しようという強い思い入れがあまり起きてこないでしょう。その土地に何世代にも渡って生活しているわけではないのですから。国際結婚をしていると、いま住んでいるところに住み続ける以外にも、常にいくつかの選択肢を持っています。日本人の私でも、出身地に戻る以外に、夫の出身国であるセネガルに行くという選択肢もある。あるいは夫であれば、日本国内のセネガル人の知人を頼ってしばらくの間は同居させてもらうということは、ごく普通のことです。
Eさん: 日本人は、この場にとどまるしかないと考えるから、被災地では避難所にも逃げますが、日本にいる外国人で合法的に滞在している人たちであれば、次はどこの国に行こうかと、チャンスを求めて動くことができる人が多いのではないかと思います。日本にいるアフリカ出身者でも、このようにして国際移動を繰り返している人は少なくないでしょう。
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