『アフリカNOW 』No.9(1995年発行)掲載
報告:川端 正久(龍谷大学法学部教授)
ブルンジの内紛問題はかなり前から危機的であると言われている。昨年、隣国のルワンダで大統領虐殺後、あのような虐殺が起こり得ることがわかっていながら私たち国際社会は止めることが出来なかった。今、またブルンジで同じような緊張が高まっている。なぜこのようなことがおこるのか?国際社会は何をすればよいのか? 去る5月9日、NHK教育チャンネル『視点・論点』で協議会の理事でもある龍谷大学法学部教授の川端正久氏が『ブルンジの危機』という題で解説をおこなった。以下はその時の内容である。
昨年6月、私はルワンダの悲劇についてお話しました。ルワンダ紛争は約50万人の大虐殺ということに発展しました。昨年7月、ルワンダ愛国戦線政府の成立によって虐殺は終わりましたが、最近、南部のキベホ難民キャンプでの事件が伝えられました。ルワンダ虐殺から1年も経たないのに、今、ルワンダの南のブルンジで一触即発の危機が迫っています。武力衝突が頻発し、多数の難民が生まれています。ルワンダの悲劇をブルンジで繰り返すな、これが今日私が訴えたいことです。
ブルンジはアフリカの中央部にある小さい国であります。国土は2万8千平方キロ、人口約600万人、人口構成はルワンダと似ています。フツ人が85%、ツチ人が14%、トワ人が1%です。
ブルンジの事件といえばいつも部族対立が絡んでいました。今回も多数はフツ人の民兵と、ツチ人の軍隊の衝突事件になっています。1962年、ブルンジはベルギー領植民地から独立しました。ツチ人の大統領ミコンベロ、バガザ、ブヨヤが軍隊を支配し、一党制を敷いて独裁体制を確立し、フツ人は権力から排除されていきました。
1992年、憲法が改正され、多党制に移行しました。93年6月、初めての民主的選挙が実施されました。この選挙はブルンジの民主化の第一歩を印しましたが、残念なことに、今日の危機的な状況の出発点ともなりました。その後の同行は複雑であります。
93年6月の選挙では多数はフツ系のブルンジ民主戦線の濡DADA絵が少数派ツチ系の民主進歩連合のブヨヤに勝利し、ヌダダエが大統領に就任しました。わずか4ヵ月後の10月、軍事クーデターが発生しヌダダエは暗殺されました。このクーデターはツチの強硬派が引き起こしたものではありましたが、穏健派の軍指導部は政府を支持し、クーデターは失敗しました。その後、部族間抗争が発生し、5万人が死亡、70万人の難民が生まれました。
94年2月、後任の大統領に、フツのヌタリャミラがやっと選出されました。そのヌタリャミラ大統領は、4月6日、飛行機撃墜事故でルワンダのハビャリマナ大統領と共に殺されました。ルワンダでは4月から7月にかけて大虐殺が展開されました。そのときブルンジの情勢も悪化しました。大統領代行にはヌティバンツンガニャ国民議会議長がなりましたが、正式の大統領選出と連立政権の権力の分有をめぐって激しい抗争が展開されました。無政府状況の中でフツとツチのそれぞれの過激派が前面に出てきました。
94年7月、フツ人過激派組織として民主擁護全国委員会(NCDD)が結成されました。そして8月、ツチの過激派組織として民族再生党(PARENAN)が結成されました。過激派民兵に武器が大量に流れました。衝突事件は最初は首都ブジュンブラで、そして北部一帯で増加しました。やっと94年9月になって、強硬派政党を除く全政党会議が合意に達し、10月、フツのヌティバンツンガニャが大統領に選出され、新しい政府が成立しました。しかしこの政権も安定はしておりません。政府は分裂状態にあり、抗争事件は全国的になっております。
現在の政権はフツとツチの穏健融和派政党による、権力分立により成り立っています。閣僚の数はフツが55%、ツチが45%と決められています。具体的にはフツ系が外相、蔵相など12の大臣を、ツチ系が首相、内相など11の大臣を、中立系が法相と防相を占めています。フツとツチの人口比が6:1で、大臣の数が11:9であることは疑問であるかも知れません。フツ強硬派はもっと多くの大臣をと要求しています。しかしブルンジの政治、経済、社会を動かしているのはほとんどツチ人であることもまた現実であります。逆にツチの強硬派からすれば45%というのも譲歩なのでしょう。
現在の連立政権を形成しているのはツチ系融和派の民族進歩連合(UPRONA)とフツ系融和派のブルンジ民主戦線(FRODEBU)であります。二大政党はそれぞれ自派の弱小政党を抱えています。連立政権に反対する強硬派の政党はそれぞれ、フツ系強硬派の民主擁護全国委員会(NCDD)、ツチ系強硬派民族再生党(PARENA)であります。
最近の武力抗争でありますがその中心は政府軍(これはツチ系)、そしてフツ系の民兵との衝突であります。政府軍は1万5千人の兵力ですが、その95%がツチで構成されています。フツ系の強硬派は武装民兵を擁しています。民主擁護全国委員会の民兵は、民主擁護軍(FDD)と呼ばれ、94年11月の闘争宣言では3万人と勢力を主張しています。彼らは主としてザイール側から攻撃をしています。もう一つ、フツ人解放党の民兵、民族解放戦線(FROLINA)がタンザニア側から攻撃しています。この二つの勢力の他に、ルワンダから逃れてきたルワンダ旧政府勢力、そして民兵が加わっています。
昨年4月以降、ルワンダとブルンジの難民は急速に増えました。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の本年2月発表によれば、ルワンダ難民が200万人、ブルンジ難民が18万人であります。ザイール側の14万人、タンザニア側の4万人がブルンジ難民、そしてルワンダに6千人ということになります。難民の帰還問題は進んでおりません。ザイールとタンザニアに逃れたルワンダのフツ民兵は旧政府組織を維持し、援助物資を武器に変え、侵攻計画を準備しています。ルワンダとブルンジのフツ系強硬派組織は、連携を強め大量の武器がブルンジのフツ民兵に流れています。
ブルンジは今瀬戸際にあります。ブルンジで大虐殺が起きれば、それはルワンダ及び周辺諸国を巻き込んだ地域紛争に発展する可能性があります。大虐殺の再現を許してはなりません。
紛争解決についてはさまざまな論議があります。例えばフツ人の国とツチ人の国に分けたらという議論があります。しかしこれをした場合、フツの国とツチの国は永久的に戦争することになります。また外国、具体的にはフランス軍の介入を求める声もでています。しかし外国軍の干渉は事態をより悪化させるだけでしょう。
ブルンジ政府と国際社会は何を成すべきでしょうか。ブルンジ政府はまず政治を安定させ、軍隊を改編し、民兵を武装解除し、紛争の除去に務めるべきでしょう。国際社会はブルンジへの関心を高め、国民融和を進め、周辺国会議を開いて、武器の売り込みをやめ、経済再建を支援し、軍事介入を避けることなどで貢献すべきでしょう。即効薬はありません。ブルンジ政府と国際社会は地道な努力を積み重ねていく必要があります。