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「審議会政治」への関与ではなく対アフリカ外交の第三者的監視を

Independent watchdog of diplomacy toward Africa

『アフリカNOW』 No.80(2008年3月31日発行)掲載

執筆:高林 敏之
たかばやし としゆき:1967年生まれ。青山学院大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程を単位取得満期退学。アフリカ国際関係史を専攻。アフリカ協会職員、四国学院大学教員を歴任し、現在、西サハラ問題研究室を主宰。日本サハラウイ協会会員、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会全国理事。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員。


はじめに

本年5月末、5年ぶりに4回目のアフリカ開発会議(TICAD IV)が横浜で開催される。  この「行事」に、いわゆる「市民社会」はいかなる関与をすべきなのか、過去3回の経験を経て、議論はさまざまである。NGO諸団体の中では、政府・外務省と積極的に協議し、提言し、市民社会の声を日本の対アフリカ政策に反映させていこうという「建設的関与」という方向性が主流であるように見える。しかし、日本のアフリカ外交研究の第一人者である森川純が常々厳しく指摘するように、日本の対アフリカ政策の歴史を真摯に検証・総括・清算することのないまま、やみくもに「建設的関与」したところで、アフリカとの真に実りある関係を築けるとは思えない。日本は、アフリカからの声に耳を貸さず、資源と市場を求めて南アフリカのアパルトヘイト体制と親密な経済関係や実質的な外交関係を築いて国際的に批判された負の歴史を抱える。日本の反アパルトヘイト市民運動のリーダー的存在であった楠原彰が指摘したように、日本は1991年のアパルトヘイト根幹諸法廃止によって、<名誉白人>という不名誉な称号を自ら返上する機会を永遠に失った。国連ナミビア理事会布告を無視して、南アフリカ占領下のナミビアから不法にウラン等の資源を収奪したことに対する補償もなされていない。しかるに日本は当然のような顔をしてアフリカの「開発」を「援助」する側として振まっている。そしてアフリカの主体的な声に真摯に耳を傾けない姿勢に本質的変化は見られない。私たちはそのことを直視するべきではないだろうか。  本稿は、日本-アフリカ関係の国連外交等における実情、および筆者が直接に関わる西サハラ問題に対する日本の対応を中心に、TICADプロセスに対する批判的検証を行い、世論に問うことを目的とするものである。

中国批判の空しさ

2006年11月に北京で、中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)の初の首脳会議が開催され、中国と国交を有するアフリカ48カ国(当時。今年1月にマラウイが中国と修交し49ヵ国に)から41名もの国家元首・首相が参集した。ちなみに、これまでのTICADにおける元首・首相の参加は、第3回(2003年)の23人が最多である。日本が国連に加盟するアフリカ53ヵ国すべてと国交を有すること、明確に首脳会議と銘打っているわけではないにしても首脳の積極的な参加を働きかけていることを勘案したとき、FOCACのこの盛況は日本政府にとって衝撃的なものであっただろう。日本の政府筋やメディア報道では、こうした中国の過去にないほど積極的なアフリカ外交を、日本に敵対的な切り崩し工作であるとか、人権を軽視し資源を求める利権主義外交であるといった文脈で否定的に紹介することが多い。確かに中国のアフリカ外交に人権軽視や資源追求といったマイナス面があることは否定できない。しかし、ならば日本は人権を重視し、資源等の利権に左右されない対アフリカ関係を築いてきたのかと言えば、答えはノーである。アパルトヘイト体制との緊密な経済関係の歴史が、またその歴史にいまだに真摯な反省・清算がなされていない事実が、その証左である。FOCAC首脳会議直後に日本に招聘され、拉致問題や「国連安全保障理事会改革」への協力を要請された首脳4名の中には、アフリカで最悪の独裁者の一人として深刻な人権侵害を非難される新興産油国・赤道ギニアのオビアン・ンゲマ大統領が含まれていた。「人権」「民主主義」は、いまだに日本外交における原則として機能していないのが実情である。そもそも中国の「工作」でアフリカが雪崩を打つようになびいたという言説自体、国際関係における主体的アクターとしてのアフリカの意思を軽んじた差別的発想であろう。むしろ、何がアフリカ諸国を中国に引きつけたのか、そのことを検証することが先決である。 FOCAC首脳会議において採択された北京宣言は、・グローバリゼーションの脅威に対し公正・平等な新国際経済秩序の追求、・内政不干渉、一方的な経済制裁措置や人権の援助条件化への反対、・国連、国際金融機関における発展途上国の代表性の拡大、・債務減免措置の具体化要求(中国も今後2年間で100億元の債務減免実施)などをうたっている。内容的に目新しさはないが、41名ものアフリカ首脳が参加した会議でかかる宣言が採択されたことは、これらの課題をアフリカ諸国が喫緊の課題と認識していることを示している。実際いずれの課題も、2005年3月のアフリカ連合(AU)閣僚執行理事会で採択された、国連改革に関する「アフリカ共通の立場」(「エズルウィニ・コンセンサス」)において強調されているポイントと重なる(1)。

「内政不干渉」とは、スーダンやジンバブウェのような独裁的体制を擁護しアフリカの民主化に逆行するテーゼであるとの批判がある。筆者もこの点を全否定するものではない。しかし、かかる批判は、アフリカ諸国の現状が1980年代までの一党独裁・軍事独裁が当たり前であった時代から大きく変化していることを軽視している。スーダンやソマリア、ケニアの混乱を軽視することはできないが、それ以外の多くの国で選挙による政権交代が定着し、クーデタ政権からの早期民政復帰がAUの圧力のもとに実現され、紛争解決・憲政復帰プロセスがおおむね成功裏に完結をみた事実もまた見逃すべきではない。AUなどのメカニズムを通じた努力は、財政的・人的な制約による困難に苦しみながらも、着実に成果をあげているのである。アフリカの批判の論点は、米国ブッシュ政権の「悪の枢軸」論に基づく特定国への武力行使や経済制裁に代表される、国際政治における二重規準を濫用した先進大国の権力政治にこそ置かれている。実際、「エズルウィニ・コンセンサス」では、国連による制裁措置はあらゆる民主的手段を尽くした後に、その影響を徹底的に考慮した上でなされるべきだと主張し、また国際の平和と安全の維持の問題における総会の役割と決議の実効性を強化すること(安保理の権限との対等化)を求めているのである。  近年の対アフリカ外交における中国の成功は、胡錦濤政権が江沢民時代の高圧的な外交姿勢を転換し、かかるアフリカの要請を敏感につかみ応えたことによる。決してアフリカが中国に一方的に切り崩されているわけではない。事実、アフリカは積極的に国際経済関係の多角化を図っている。2006年11月にはFOCAC首脳会議だけでなく、AUと南米諸国共同体による初のアフリカ南米首脳会議も行われ、韓国もはじめての「韓国・アフリカフォーラム」を開催した。今年4月にはインドとの協力フォーラム首脳会議が開催され、トルコとの協力フォーラムも年内に計画されている。中国製品がアフリカの地場産業を脅かしているという批判が現地からも起きているように、アフリカは中国に全幅の信頼を置いているわけではない。だからこそ、特定勢力への依存を避けるべく自ら選択肢の多様化を図っていることを、私たちは直視すべきであろう。もともと第三世界から生み出された「南南協力」の語を横取りし「日本がアジアの開発経験をアフリカに適用する媒介となる」という意味に読み替えてきたTICADであるが、中国、韓国や東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済的台頭による日本の相対的地位の沈下、またアフリカが直接的な南南協力のパイプを広げる中で、その存在意義を問われる局面にさしかかっているのである。

アフリカ諸国の経済的要請に応えない日本

では、日本はかかるアフリカの要請にいかに応えているのだろうか。  日本は「公正・平等な新国際経済秩序」という考えに対し、企業活動の自由を妨げるものとして一貫して否定的である。例えば非同盟諸国グループの主導により国連総会で採択された「開発の権利に関する決議」や「グローバリゼーションとすべての人権の完全な享受に対するその影響に関する決議」にも他の欧米諸国とともに常に反対している。人権を理由として特定国を政治的に選別し制裁することを慎むよう求める「人権と一方的な威圧的措置に関する決議」にも反対している。いずれもアフリカ諸国のほとんどが賛成し、中国も賛成しているものである。日本は債務減免にも消極的であり、国連ミレニアム開発目標(MDGs)に掲げられた、「国内総生産(GDP)の0.7%を政府開発援助(ODA)に充てる」という目標の達成にも程遠い。TICADは、「アフリカのオーナーシップ」と「パートナーシップ」を理念としてうたいながら、実際には日本などドナー(援助供与者)側の主導性が露骨である。そのことは共同主催者が日本政府、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、およびアフリカのためのグローバル連合(GCA)(2)から構成されていることに現れている。TICAD・では成果文書の草案に対しアフリカの一部首脳から議場で提起された修正案が一顧だにされなかったことも知られている。「アフリカのオーナーシップ」と「パートナーシップ」を尊重するというなら、なぜアフリカ諸国を束ねるAUを共催者に加えないのであろうか(ちなみにFOCAC首脳会議ではムバーラク・エジプト大統領とメレス・エチオピア首相が胡錦濤主席とともに共同議長を務めた)。このように、アフリカとの対等性を尊重せず、「開発哲学」なるものを説くばかりでアフリカの求める開発上の重要な要請に具体的な回答を示さないTICADにアフリカが失望し、自らの努力で国際経済関係の多角化をはかるのも当然である。  そもそも、TICADが開始された1993年は、日本政府が細川首相の国連演説を通じて安保理常任理事国入りへの意思を明確に表明した年と重なる。「国連安保理改革」がアフリカ諸国要人との会談における恒例のテーマになっていることからもうかがえる通り、TICADが国連最大の票田アフリカから常任理事国入りへの支持を獲得する戦略の一部であることは隠しようがなく、そのことは海外の専門家からも指摘されている(TICADを発案した人物が、細川国連演説当時に国連大使として常任理事国入り運動を主導していた波多野敬雄であるといわれることは、実に示唆的である) (3)。これほどあけすけに自己利益の追求姿勢が透けて見えるTICADが、アフリカから真の信頼を得ることに寄与するはずがない。ちなみに、細部に立ち入る余裕はないが、アフリカ諸国が求めている国連改革の真意は、5大国(とりわけ米国)に安全保障問題や制裁問題での恣意的な権力行使を許してきた現在の安保理常任理事国制度を有名無実化し(5大国の拒否権独占廃止と最終的な拒否権そのものの廃止)アフリカの代表性を拡大することにあり、安保理優位を定めた現行の国連システムの維持を所与の前提として恒久的な特権的地位を追求する日本の思惑とは根底から相容れないものであることも付け加えておく(4)。それこそが、2005年に日本など4ヵ国との安保理改革案の一本化をアフリカ連合(AU)が拒否した真の理由である。

アフリカが求める「普遍的人権」に背を向ける日本

日本は人権の面でも、アフリカを含む第三世界諸国の「普遍的な人権の確立」を求める声に今日もなお背を向けている。2006~2007年の国連総会で投票により採択された人権問題関連決議のうち、先進諸国と第三世界諸国との対立構造が鮮明に表れた決議のすべてで、日本は第三世界に敵対する投票行動を行った。その中には「人種主義的実行の不認容に関する決議」(日本は2006年に反対した4カ国のひとつ。2007年も棄権)、「人権を侵害し人民の自決権行使を妨げる手段としての傭兵の利用に関する決議」(反対)、「普遍的な旅行の自由に関する権利の尊重と家族再会の決定的重要性に関する決議」(棄権)のように、アフリカにとって切実な意味をもつ決議が多数含まれている。日本はアパルトヘイト体制との親密な関係を築いていた時代と変わりなく、アフリカが必要とする人権には何の関心もないことを、国際場裏で公に表明しているのである。これまでの市民社会組織による「建設的関与」によって、かかる姿勢が改善された徴はまったくない。  傭兵規制に関する決議は、先進諸国で盛んな傭兵産業の利益に対立する決議であり、日本の反対は欧米先進諸国と一致した行動である。しかし、仮にも平和憲法を掲げる日本は、こういう決議においてこそ独自性を発揮すべきではなかったのか。せめて棄権という選択程度でもできなかったのであろうか。  また、「普遍的な旅行の自由に関する権利の尊重と家族再会の決定的重要性に関する決議」は、合法的に居住する外国人に対する旅行の自由の保障、家族再会の重要性の認知、出身国の親族に送金する自由の保障を求め、これを阻害する立法を慎むよう呼びかけるもので、アフリカ諸国にとっては移民の人権擁護にかかわる極めて重要な決議である。日本にとっては家族を引き裂く強制送還を含めた現行の入国管理制度はもちろん、在日朝鮮人の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)在住親族に対する送金や訪問を規制する制裁措置とも相容れない決議であるからこそ賛成できないのであろう。これでは2006年、2007年の国連総会で相次いで採択された北朝鮮人権問題決議に対し、アフリカ諸国の賛成が10カ国前後しか集まらないのも当然である(これは非同盟諸国全般に共通した傾向である)。  本誌の前号に紹介されたバレンタインさんに対する警察の暴力事件にみられるように、日本に暮らすアフリカ人にとって人権はとうてい保障された状況にない。「アフリカとのパートナーシップ」というのなら、まずTICADという大規模イベント以前に、自らの足許においてアフリカ人に完全な人権を保障し共生関係を確立することこそ、政府やNGOが最優先に取り組むべきことではないのだろうか。

なぜAU加盟国西サハラは排除され続けるのか

次に、日本の対アフリカ政策を象徴するTICADという場から、AU加盟国である西サハラ亡命政府サハラ・アラブ民主共和国(RASD)が一貫して排除されている問題を、改めて指摘しておかねばならない。この問題にこそ、TICADをめぐる日本政府の表向きのアピールがいかに空疎なものか、集約的に表現されているからである。西サハラ問題の歴史と現状、日本政府の反RASD的西サハラ政策については本誌65号(2003年7月)および73号(2006年7月)において詳述しているので、そちらをご参照願いたいが、TICADの掲げる「理念」および日本の対アフリカ外交の歴史と関連づけて、論点を整理しておきたい。第一に、TICAD IVでも前回に続き討議の重点事項とされている「人間の安全保障」とりわけ「平和の定着」「民主化」というテーマにおける、西サハラ問題の決定的重要性である。アフリカにおいて現在も未解決の紛争の中で、1975年に発生した西サハラ紛争はいまや最も長期間続く紛争であり、北西アフリカ(マグレブ)地域における安全と地域協力を脅かす最大の要因である。間違いなくアフリカにおける「平和の定着」のための最重要課題である。およそ17万人の難民。モロッコ占領地域における激しい人権侵害と非暴力抵抗運動。西サハラの国土のほぼ2/3を囲み、地雷が敷設され、人びとの自由な往来を妨げ続ける「砂の壁」の存在…。いずれをとっても地域の「人間の安全保障」を脅かす問題である。そしてサハラウイ(西サハラ人民)自身が自らの将来について自由に決するための住民投票を国連和平案に沿って実現することは、地域の「民主化」に大いなる刺激を与えるものでもある。サハラウイの意思を問うことなく「モロッコ主権下の自治」を唯一の解決策だと強弁するモロッコの姿勢(5)は、まさしく反民主主義の極みといわねばなるまい。すなわち、TICADにRASDを招聘し、西サハラ問題の解決に向けてモロッコとの仲介のイニシアティヴをとることは、まさしくTICADのテーマにふさわしいものである。第二に、「アフリカのオーナーシップ」、とりわけ「アフリカ開発のための新パートナーシップ」(NEPAD)の実施機関であるAUの役割を尊重するというのなら、AU加盟国であり副議長の経験さえあるRASDを招聘するのは、理の当然である。森喜朗元首相(日本AU友好議員連盟の会長でもある)は今年1月末のAU首脳会議に政府代表として出席し、「御臨席の大統領閣下、首脳閣下と横浜で改めてお会いできることを今から心待ちにしております」と述べた(外務省ホームページ所収の演説全文による)。その席にはRASDのアブデルアジズ大統領も臨席していたことを、知らないはずはないであろう。外務省は私たち日本サハラウイ協会や市民有志の一連の質問状に対する回答において、日本がRASDを承認していないことをTICADに招請しない根拠としてあげてきた。しかし、TICADのような多国間協議の枠組みにおいて未承認国家と協議することが法的問題になり得ないことは、6ヵ国協議や東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)における北朝鮮との同席、アジア太平洋経済協力会議(APEC)における台湾との同席の例からも明らかである。仮にRASDとしての招請が無理でも、国連が認める紛争当事者であるポリサリオ戦線としての招聘なら、何の問題もないはずである。昨年10月にもイタリアの副首相がローマでアブデルアジズ・ポリサリオ戦線書記長(RASD大統領)と会談したように、欧州では政府とポリサリオ戦線との直接的接触は、何ら珍しいことではないのである。  第三に、国連安保理常任理事国入りを執拗に追求してきた日本の責任という観点である。安保理常任理事国をめざすということは、国際的な平和と安全保障の問題に関する安保理の意思決定とその履行に、主要かつ恒久的な責任を担う立場をめざすという意味であることは、政府・外務省もよく自覚していることだろう。実際、日本はすでに国連加盟国中最多の9回安保理非常任理事国を務めているのであるから、常任理事国5カ国に次いで安保理の決定とその履行に責任を負う立場でもある。その意味で、1990年代以来安保理の議題である西サハラ国連和平プロセスの停滞について、日本の責任はきわめて大きい。実際、1990年代以降の日本の非常任理事国在任期間(1992~93年、1997~98年、2005~06年)は、いずれも西サハラ和平プロセスの重要局面に一致しており(それぞれ、最初の「解決計画」の不履行と改変、「解決計画」再生をめざすヒューストン合意、モロッコによる「ベーカー案」の拒否と「自治案」の浮上という時期に符合する)、日本は各種の和平案の履行を相次いで妨害し、今や独立の選択を含む住民投票自体を拒否するモロッコに圧力をかけるため、精力的な外交努力を行うべき責任があった。しかるに外務省は私たちの一連の質問状に対し、当事者間の話し合いによる早期の平和的解決への「希望」と国連事務総長の仲介努力に対する「支持」を表明したにすぎない。安保理の議題となっている紛争課題について、ただ当事者間交渉と事務総長の仲介努力に期待するだけなら、安保理で常任理事国という主導的地位を求める意味はない。  そればかりか、日本政府はモロッコによる占領を事実上支持する姿勢を、近年ますます顕わにしている。その象徴的な出来事は、モロッコの西サハラ侵略からちょうど30周年にあたる2005年11月にモロッコ国王ムハマッド6世を国賓という最高の礼遇をもって招待し、間接的な表現ながらも西サハラ問題をモロッコの「国家の統一及び領土の一体性の枠内において」解決されるべき問題として認める共同声明を採択したことである(6)。また、日本サハラウイ協会をはじめとする市民有志による再三の指摘にもかかわらず、現在も外務省ホームページの「各国情勢」ページに西サハラは「地域」としてすら項目が立てられていない(ちなみに、北朝鮮、台湾、パレスチナ、あるいは自由連合国であるクック諸島、ニウエなどは、「地域」としての情勢紹介欄が設けられている)。モロッコは一連の国連総会決議や国際司法裁判所勧告意見、民族自決原則に違反してAU加盟国を占領している問題を問われることもないまま第1回以来TICADに招請され続け、今回も前述のAU首脳会議に出席した日本政府代表団の次席である中山泰秀外務政務官が、その足でモロッコを総理特使として訪問しTICAD ・へのハイレヴェルの参加を要請している。驚くべきことに、中山政務官はモロッコ外相らとの会談に際して、「日本の国連安保理常任理事国入りへの支持を要請した」のだという(7)。来年再び安保理非常任理事国に立候補することを計画している日本が、その安保理で議題となっている西サハラ紛争の一方の当事者に「常任理事国入り」への支持を要請する異常な外交センスには、驚き呆れるばかりである。現在は国連事務総長特使の仲介のもとでポリサリオ戦線とモロッコの間で直接交渉が行われており、モロッコは自らの「自治案」に流れを引き寄せるべく躍起になって策動しているという局面である。そんな時に、その当事者モロッコに常任理事国入り支持の要請などすれば、見返りに安保理審議における「自治案」への支持を要求されるのは自明である。実際、モロッコ側からは「西サハラ問題に言及するところがあった」という。地位を得るために侵略国と取り引きするような国に、安保理常任理事国になる資格はない。要するに、西サハラ問題への対応を通じて、日本政府はTICADの表向きの理念である「人間の安全保障」「平和の定着」「民主化」「アフリカのオーナーシップ」のどれにも誠実な関心を有していないこと、TICADプロセス推進の主要な動機というべき安保理常任理事国入りにふさわしい外交実践すら行っていないことが、明らかに見えるのである。

変わっていない日本の対アフリカ外交の根幹

かかる外交実践は、冷戦時代の日本の対アフリカ関係の根幹であった人権軽視、民族解放運動への否定的姿勢、資源追求が今日も何ら変化していないことを証明している。日本は財務省の貿易統計で公式に確認できるだけでも、1998~2007年の10年間に16億4,446万5,000円相当の西サハラ産資源を輸入しており、その大部分はタコである。それ以前にも、テングサやリン鉱石の輸入実績がみられる。この1月に財務省に電話インタヴューした際に受けた説明によれば、西サハラは世界貿易機関(WTO)において独立した関税地域として扱われているため、西サハラ領内が原産の資源は西サハラ産として申告する義務があるということであるが、そもそも難民キャンプに追放されたサハラウイたちが手をつけることのできない資源を占領国モロッコを介して輸入するという、いわば窃盗行為(住人を追い出した強盗から住人の家財を買い取っているのと同じである)の統計が堂々と計上されていることに、驚きを禁じえない。しかも、輸入統計が業者の原産地申告に基づいて作成されているということは、業者が西サハラ産の資源を「モロッコ産」だと申告していれば、統計上はモロッコ産の中に埋もれてしまうことになる(財務省もその可能性を否定していない)。西サハラからの輸入統計に主要産品であるリン鉱石が1996年しか現れないことは、かかる原産地隠しが行われている可能性を強く示唆するものである。現に、西サハラからの違法な資源収奪を監視する国際ネットワーク「西サハラ資源ウォッチ」は、近年、西サハラのラアユーン港を出港した船が日本にリン鉱石を運んでいる事実を把握している。これはまぎれもない「原産地偽装」問題であり、しかもそれが紛争地からの収奪を隠蔽しているという意味で、二重に犯罪的である(緯度の南限―すなわち西サハラ沖合水域を含まないこと―を明記しないまま毎年更新されている日本・モロッコ漁業協定のもとで漁獲された魚についても、同様の問題が懸念される)。国連事務総長法務担当顧問が2002年に発表した、モロッコとの契約による西サハラ資源採掘・取り引きを違法とする法的見解に反する被占領地域からの資源収奪は、まさしくサハラウイにとって開発の妨げであり、アパルトヘイト時代に国連ナミビア理事会布告を無視して続けられたナミビア・ウラン輸入問題の再現でもある。民族解放運動への否定的姿勢もまた、1980年代以前の対アフリカ政策と変わらない点である。世界的な脱植民地化の進行を反映して、現行の国際法は民族自決権を国際法原則として承認している。すべての人民の自決権を第1条に掲げる自由権規約および社会権規約、1960年12月国連総会決議1514号(XV)「植民地独立付与宣言」、植民地その他非自治地域を施政国と別個の地位を有するものであると明記し外国による征服・支配・搾取を国連憲章違反であると明言した1970年10月国連総会決議2625号(XXV)「国際連合憲章に従った国家間の友好関係及び協力についての国際法の原則に関する宣言」はその例である。これを反映して「民族解放団体」は、国家に準じる存在(形成途上の国家)として国際法主体としての地位を認められるようになった。パレスチナ解放機構や、ナミビア独立前の南西アフリカ人民機構はその代表例であり、完全解放前に独立宣言したギニア・ビサウのアフリカ統一機構(OAU:AUの前身)加盟承認(1973年)という事例もある。ポリサリオ戦線に対する国連の認知やRASDのOAU/AU加盟も、この例にならうものである。しかし、外務省はホームページ上の文書などで西サハラ問題を説明する際にしばしば「占有」という語を使用するように、民族自決権よりも、植民地主義の時代の概念たる「占有」を優先する発想を崩していない。だからこそ、西サハラを「占有」するモロッコの立場に同調し、西サハラの資源をモロッコを介して輸入することもできるわけである。それは今を遡ること35年前の1973年に市民団体のアフリカ行動委員会が独立宣言して間もないギニア・ビサウの承認を要求した際の外務省の回答に示された認識と何ら変わりない。すなわち、・「住民の願望」を軽視し、「実効的支配」(「占有」)を行う植民地宗主国ないし占領国の領土として植民地ないし被占領地域を扱い、宗主国・占領国を「当該地域を代表」するものとみなす認識、・宗主国・占領国を通じた現地との経済・貿易関係を当然視する姿勢、・民族解放運動を「叛乱軍」扱いし、外交交渉の対象として認めない姿勢、・OAU/AUから正式加盟を認められるほどの支持を解放運動が得ている事実を軽んじ、先進諸国など多数の国が「承認していない」事実の方をことさらに強調する点などである(8)。 TICAD I以来15年にわたるNGOの「積極的関与」が日本政府の対アフリカ政策の根幹に何の変化ももたらしていないことは、この一事をもってしても明らかである。「市民が内から政策を変えていく」という崇高な努力が、結局のところ「市民の声を汲み上げて政策を策定した」というアリバイを外交当局者に与えるにとどまったことを、西サハラ問題に対する政府の態度はいみじくも証明しているのではあるまいか。

おわりに

これまでの検討から明らかなことは、15年目を迎えたTICADプロセスの内実はきわめて空疎であること、その存在意義が根底から問われる段階にさしかかっていること、その理由は対アフリカ外交の根幹がいささかも変化していないことにあるということである。  TICADとは結局のところ、「審議会政治」の国際会議版である。官庁が特に提言資格を許した一部民間有識者に「諮問」し「答申」を出させることで、官庁が実現しようとする法案に「市民の声を反映した」というお墨付きを付与し正当化する装置の変型なのである。政策の立案・決定権はもちろん、議題の策定も事務局機能もすべて官僚が握り、「選ばれた市民」に与えられるのはせいぜい「ご意見を申し上げる」役割に過ぎない。TICAD・における「市民との対話」は、まさにその証左であった。外務省と協議してきたNGO関係者の一部にのみ特別な入場用パスを付与し、ひとつのセッションで限定的に発言させるという扱い。まさにNGOは、審議会の民間有識者のごとく「選ばれた市民」として利用されたのである。その結果として、どれほどNGO側の提言が反映され(なかっ)たか、私たちはいやというほど経験したはずだ。私たち「市民社会」は、土俵もルールも政府外務省が設定している場に関与することで、市民の声を政策に反映させられるという幻想をそろそろ払拭し、「ウォッチドッグ」としての原点に立ち返るべき時に来ているのではないだろうか。「市民の声を聞いた」というアリバイ作りに利用される審議会の民間有識者の如くに、NGOは利用されるべきではない。

【注】
(1) 詳細は拙稿「国連改革問題に対するアフリカ諸国の姿勢―アフリカ連合(AU)の『エズルウィニ・コンセンサス』」(『アフリカレポート』第41号 2005年9月、16~21ページ)を参照されたい。
(2) GCAは、ドナー諸国から「優等生」視されるエチオピアやボツワナなど一部アフリカ首脳と、国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長ら援助供与国の要人が共同議長として政策指針を定める政府間フォーラムであり、限りなくドナー側機関に近い存在である。
(3) R. ドリフテ(吉田康彦訳)『国連安保理と日本―常任理事国入り問題の軌跡』 岩波書店 2000年、190~191ページ。
(4) 拙稿「国連改革問題に対するアフリカ諸国の姿勢」。
(5) モロッコの西サハラ「自治案」については、西サハラ問題研究室ホームページの以下のURLを参照されたい。http://www.geocities.jp/viva_saharawi_tt/autonomy_plan.htm ※閉鎖
(6) 詳細な分析は拙稿「ついに顕わになった日本の西サハラ占領支持―『皇室外交』政治的悪用の極点」(西サハラ問題研究室ホームページ所収、2005年12月)を参照されたい。 URL: http://www.geocities.jp/viva_saharawi_tt/nihonnoseisaku_2.html ※閉鎖)
(7) 外務省ホームページ。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/seimu/nakayama/emn_08/gaiyo.html
(8) 「『ギニア・ビサウ共和国』承認問題に関する日本政府の態度」 『アフリカ行動委員会ニュース』第17号(1974年2月)所収。西サハラ問題研究室ホームページの以下のURLにも筆者の解題を付して収めているので参照されたい。http://www.geocities.jp/viva_saharawi_tt/nihonnoseisaku_3.html ※閉鎖


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