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エチオピアでの体験から~どのような「介入」が求められるのか

エチオピアでの体験から

What Commitment Is Needed against Food Crisis

『アフリカNOW 』63号(2003年3月31日発行)掲載

執筆:林達雄(アフリカ日本協議会代表)


わたしは、1985年にエチオピア・ウオロ州で、日本国際ボランティアセンター(以下、JVC)の一員として、飢きんに対する緊急医療とその後の復興支援を実施した経験がある。その時、緊急支援の方法に関して迷うことはなかった。緊急支援とは、生き延びるために必要なモノを必要な期間、当事者たちにできる限り直接届ければよい。未知の世界に先入観を持たずに素直に入ることができれば、それは初心者でも可能な行動であろう。
その一方で、復興支援など長期に関わる援助の場合はまったく事情が異なる。JVCは緊急支援の後、15年にわたってエチオピアでの農村復興を試みたが、最近この事業から完全に撤退することになった。その理由をあえて一つだけあげるとするならば、この地域を取り巻く「政治」に対して、わたしたち自身が未熟すぎたことであると言えよう。
こうした事情があるにせよ、わたしたちのような外国のNGOが海外の地域に介入すること自体をためらう必要はない。多いに介入のチャレンジを続けるべきである。その地域の自律性も、異文化との触れ合いによって育まれるからだ。ことに現代においては、アフリカのどのような辺境の地においてもグローバル化の影響の渦中にあり、変革を余儀なくされている。そのために、NGOによる介入の重要性は高まっていると言えよう。
また、戦争の脅威に世界世論が沸くいまだからこそ、食料・水・健康など生存への基本を確認することが大切である。貧者にとっては、日々食い続けることへの不安以上の脅威はない。持てる者にとっては、自らがしいたげてきた貧者からの逆襲が不安になる。攻められる前に攻めよう、殺される前に殺そうという不毛の心理に火をつけ、さらなる戦争を生む前に、いつでも誰でも食い続けられる道を探っていきたい。

飢えの兆候と早期介入

干ばつほど、最悪の事態を未然に防ぎうる災害は、他に例を見ない。降るべき時期に雨が降らないなどの兆候があり、収穫期までに少なくとも数ヶ月の猶予があるからだ。また1年限りの天候不順では決定的な食料危機は起きにくく、天候不順が2年、3年と続く、あるいは病虫害の被害などが重なることが、食料危機の決定打になる。
さらに干ばつから飢きんへの推移も、ローカルマーケットの価格調査を行っていれば容易にわかる。エチオピアでは、穀物価格が上がり、家畜の価格が下がった時点で飢きんになったとわかる。次の年の耕作に必要な種もみだけではなく、最終的には耕作用の牛まで手放すので、復興も困難になるのだ。
干ばつによる被害への対策は、時間的に余裕があるので、早期に手を打つことが可能なはずである。しかしわたしは、早期に手を打ったケースをほとんど知らない。それは決断を要する政治的行為であるからだ。1985年のエチオピアの飢きんでも、時の政権が干ばつによる被害を無視したために、100万人規模の死者が出て、交通事情が悪いために、最悪の村は見捨てられた。
早期介入には、政府の政治姿勢が大きな鍵になるが、その一方で、一国単位での介入だけではなく、国際的に迅速な介入が必要になる。

食料援助の問題点

できることならしたくないのが食料援助である。第一に食料は重く、かさばる食料を必要とされている地域まで運ぶことは無駄な力を要する。また、倉庫の確保と虫除けなども結構大変だ。私たちの経験では、カナダでトン当たり100USドルの小麦を買っても、エチオピアの港までで2倍に、現場までとどけると4倍の資金が必要になる。食料援助という石油(輸送費)と人件費の無駄は、穀物の輸出入の持つ本来的な矛盾を想起させる。援助を実施するためには、生産地と消費地、生産地どうしの地理的・精神的距離が重要なポイントになるだろう。
さらに食料援助の弊害として、ローカルマーケットの破壊、食文化の変化とそれにともなう栄養失調、汚職の誘発などがあげられる。わたしたちもエチオピア人スタッフとの間で汚職を経験した。汚職は、それを起こさせる側にも責任がある。援助物資の管理の透明化と、管理者に過重な責任と権限をゆだねすぎないことが大切だ。ただし、薬の不用意な使用が危険を招くこともある医療援助とは違い、食料援助の場合は、多少の食料の横流しがあっても、直接に生命の危険をおよぼす可能性が少ないことも確かである。また、アメリカからの援助は戦略性が高く、注意する必要があるだろう。

誰がどのように配るのか

援助物資の配布は、住民自治に任せるのが理想だが、伝統組織が壊れ移行期にある場合、配布は不安定になる。ルワンダ難民のキャンプにおける事例では、UNHCR(国連難民高等弁務官)が住民組織に配給をまかせようとして、虐殺者の集団に配布をゆだねてしまったことがある。
住民の中央や地方の役人に対する信頼関係の有無も考慮しなくてはならない。エチオピアではかつて、役人が村に来るのは、徴税など住民の生活を脅かしに来ることがほとんどであったので、住民と役人の間に信頼関係がほとんどなかった。そこで、住民にとって利害関係の少ない外国の組織や国連機関が援助物資を配給する方が現実的な場合もある。この場合、撤退の適切な時期の判断が課題になる。
災害における人災的側面の責任を一国のみに帰することのできない現代において、援助物資の配布を一国の政府にすべてゆだねることは、無責任ですらある。地域の特殊性をかんがみながらも、他地域における過去の経験を生かすべきであろう。

緊急援助から復興援助へ

援助は、緊急期と復興期をはっきりと分ける必要がある。両者の境目は漠然としているが、それぞれの時期で活動するチームを入れ替えるなど、誰にでもわかる形で援助のやり方に変化をつけることが求められる。  緊急時は、援助物資の迅速で大量の投入が必要なの対して、復興期は、逆に物質的介入を減らすべき時期である。緊急期から復興期への移行は、明確な切り替えが必要にもかかわらず、実際にはだらだらと行われがちである。遅れてやってきた援助は矛盾を助長する。援助にともなう問題点も、緊急期よりもその後の復興期の方が多い。わたしたちもエチオピアで失敗したが、経験豊富に見えた欧米のNGOも、復興援助についてあまりに貧弱なアイデアしか持っていなかったために、復興期には援助の弊害が拡大した。

好機としての災害

いかなる災害時にも、日常から準備をしてきた者だけが真価を発揮する。Disaster as an Opportunity(好機としての災害)という言葉があるが、災害を好機にできるのは、柔軟性を持った人と社会だけである。
災害時には、その社会の持つ矛盾がはっきりと見える。不可抗力的な天災よりも天災にともなう人災によって、より多くの人が命を落とす。その原因を個人や地域社会の特殊性や風習に帰すのではなく、一国と世界の政治と経済問題にまで帰結させることが重要であろう。さもなければ、犠牲者はいつまでたっても犬死でしかなく、災害のたびに被害が繰り返えされることになる。また災害時に噴出した矛盾は往々にして、ほとぼりが冷めるとうやむやにされる。災害=壊れる時期のすき間をついて顕在化した、女性やシャドウワーク、多様性の価値などによる活力も、復興とともに忘れ去られてしまう。
一方、災害を別の意味での機会にしよう、ビジネスチャンスにしようとねらっている連中もいる。弱肉強食の世界経済においては、相手が弱ったときこそが、おいしく食べてしまうチャンスであり、援助という美名のもとに販売を促進する機会になる。今まで災害は、粉ミルクや穀物、農薬の在庫一掃の機会でもあった。「援助=供与国の国益」という図式が正当化された現代では、今度はどのようなハゲタカが登場するのだろうか。
経済一辺倒のグローバル化というバランスを欠いた変動期においては、旧来の地域自治や共生の仕組みが壊される過程にあり、住民自治に期待しすぎることは危険になる。国際社会のマイナスの影響が、国や地域の自律的機能の減退を加速している。こうした時期では、災害対策や共生機能をグローバル化させることこそが必要ではないか。
市民社会にとってのコミットメント(介入)は、マイナスの介入に対する闘いでもあり、異なる意志のぶつかり合いこそが、地域社会に選択肢を残すと、わたしは信じている。毛細血管網のように微細で有機的な人のつながり、弾力的な意思決定と経済の網を築こう。貧困と死のメカニズムを追うのではなく、生き生きした生存と本来の「豊かさ」を追いかけよう。


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