NGO活動報告「アジア・アフリカと共に歩む会(TAAA)」

『アフリカNOW』106号(1996年8月31日発行)掲載

執筆:久我祐子

古本を南アフリカに

1992年4月に発足した「アジア・アフリカと共に歩む会(TAAA)」は、日本国内で英語の古本(教科書、小説、辞典など)を集め、それらを南アフリカのヨハネスブルク近郊のベノニ市、ダーバン、ケープタウンを中心に送り続けてきた。送られた本は、それぞれに位置するカウンターパートのNGOを通して地域の学校や識字学級に配布されている。今まで送った本は合計98,674冊。昨年の4月からは、本がより有効に使われるようにと、日本で廃車になった移動図書館車も送り始めた。
当会の会員である私は、今年6月11日から17日にかけて代表の野田千香子と共に南アフリカへ視察旅行に出かけた。主な訪問先は、ケープタウンに位置する「マシフンディス」である。マシフンディスは、昨年の夏から本を送り始めた比較的新しい受け取り側NGOで、私たちの会は今年末頃に、ベノニ、ダーバンに続いてケープタウンに移動図書館車を送る予定である。彼らの活動対象地域やそこの学校を視察して回った。
西ケープ州のケープタウン近くに事務所を構えるマシフンディスは、1979年にその地域の悪化する教育問題に対応すべく設立された教育中心のNGO(「マシフンディス」とはコサ語で「教育しよう」の意味)で、全国規模の開発支援NGOであるTCOE(Trust for Christian Outreach and Education)の傘下にある一地域組織である。TCOEは、「住民参画型の計画・活動(People’s participatory Planning and Action)をモットーとし、支援する側が一方的に支持するのではなく、実際にコミュニティ活動に参加し、それによりなんらかの利益を得る住民の意思決定に基づいた開発を目指している。マシフンディスもこの開発理念に基づき、学校教育の支援、成人対象の基礎教育、小規模ビシネスの支援などいずれもコミュニティに深く根ざした活動を行っている。私たちが送る英語の本は支援対象地域の学校に配布したり、成人対象の識字教育などに使用している。専従スタッフは約10人。

掘立て小屋の大海原

私たちがケープタウン空港に着くと、マシフンディスに代表者であるギヨセさん(男性)とアドミニストレーターのノーマさん(女性)が迎えにきてくれていた。でっぷりとしたギヨセさんは、大声で話しジョークを飛ばして「ガッハッハ」とお腹を揺らしながら笑うパワフルで豪快な方だ。若いころ、政治活動家として国外追放となってから、アメリカで学位を取ったり、その他の国で働いた経験を持つこの代表者は、物事を広い視野から論理的に説明する人だ。
ケープタウンには3日間滞在することになったが、最初の2日間は、TAAAが送る英語の本をマシフンディスを通して受け取る学校(小学校4校、中・高等学校2校)を訪問して回った。これらの学校は、ランガ、ニャンガ、カエリチャという名で、マシフンディスがコミュニティ活動を長年支援している貧しい地域に位置する。訪問の際、マシフンディスのスタッフが運転する車でその地域の中を通って行ったが、車から見える居住区の貧困ぶりとその規模の大きさは、ショッキングなものだった。波状のトタン板で無造作に建てられたチャンクと呼ばれる掘立て小屋が所狭しと立ち並ぶのが、大海原は終わらず、これでもか、これでもかと視野に広がっていく。電線が見えるところは少ない。「こんな小さな家に7、8人も住んでいるのよ」と、四畳半くらいの壊れそうな家を指差しながらマシフンディスのスタッフのブレウエさんは言う。水道もなくトイレもないような家で、大家族がどうやって生活しているのだろうか。アパルトヘイトが法的に廃止されてから、今まで移住の自由のなかった黒人が、生活の向上を求めて地方から都市へと移り住んだり、都会に出稼ぎに来ていた男性が田舎に残していた家族を呼び寄せるようになり、結果として、都会にこのような貧困居住区がますます広がっているという。

問題を抱える学校

訪問先の各学校では、校長先生たちとミーティングを行い、それぞれが抱える問題点を聞いてみた。先生の数、教科書やその他の本、教室、設備等の不足を訴える学校が多かった。また、就学が遅れたり休学する生徒が多いため、各小学校では約10%の成人生徒を抱えており、卒業後、彼らが就職できるような技術を身につけさせなければならないという難しい問題も抱えている。
図書館のある学校では、必ず図書館を拝見させてもらったが、全般的に明らかに本不足で、どの学校でも本棚にはガラーンと空間が広がっている。そんな中で私たちの送った本を見つけると、やはり嬉しくなる。
「あなた方が送ってくれた本は良質でとても役に立ちます。これからもぜひ送り続けてください。」と訪問する先々で、校長先生や図書館係員がいってくれた。
これらの学校を訪問して感心したことは、どの学校も放課後や土日は、地域のコミュニティ用に開放されていることだ。コミュニティ自ら、成人のための識字・算数学級や学生対象の補習授業などを運行し、学校側は教室の設備を提供するという仕組みだ。マシフンディスは、このようなコミュニティ活動を何らかの形で支援している。マシフンディス、コミュニティ、学校の3者は深くまた効果的に関わり合っているようだ。

躍動感あふれる合唱団

先生たちが悩みを抱えている一方、生徒たちは明るくて元気だ。私たちを見ると、近づいてきたり、手を握ったり人懐っこくて本当にかわいい。2日目、カエリチャ地域のジョースローボ高校を訪ねたところ、美しい合唱が聞こえてきた。CDかなにかだろうと思っていると、この学校の合唱団が、私たちの歓迎会の練習をしているのだとのこと。図書館に案内されると、合唱団と先生たちがわたしたちを待っていた。観客が私たち数人とは本当にもったいないくらい、それはすばらしい歌声を次々とアカペラで披露してくれた。リズミカルな振り付けは、力強い合唱に躍動感を添えている。拍手してもしきれないほど感動的な歌声が終わると、TAAA代表の野田が日本語で挨拶をし、私はそれを英語で通訳することになった。「みなさん、こんにちは」耳慣れない外国語を聞くと、みな「なんだ、なんだ」と騒ぎ立て、一斉に好奇心いっぱいの表情を私たちの方に向ける。聡明そうな目でじっと私たちを見つめたまま、挨拶の一語一語を熱心に聞いてくれた。
次に訪れたマシイヤ高校でもすばらしい合唱団が私たちをもてなしてくれた。この合唱団は地域でも有名で、この学校を訪れて彼らの力強い歌声に感動したある日本の団体に招待されて来日したこともあるという。
訪問する先々で、生徒たちの力強さや潜在能力あふれるような姿が印象的だった。貧困地域に住む彼らは家に帰ると勉強する環境も整ってないだろうし、読む本など限られているだろう。自分の教科書さえない生徒も多いのだ。何とか、彼らの潜在能力がすくすくと伸びるような環境を少しでも早く整えていってもらいたい。そして、そのプロセスの中で、私たちの送る本が少しでも役立つならばこんな嬉しいことはない。彼ら1人1人にとって、「今」が大切だ。

セレスでの移動図書館車プロジェクト

ケープタウン2日目の夕方、ギヨセさんとノーマさんと一緒に、ケープタウンから約北東100kmに位置するセレスに向かった。セレスは、ジュースの製造地として有名な農村地域で、ここの工場で製造されるジュース「Ceres」は、国内マーケット用としてだけでなく、日本を含め数多くの外国に輸出されている。その他に、ジャガイモ工場や玉ねぎ工場などがある。山脈風景の美しい地域だが、ここに住む黒人の多くは、工場の季節労働者か白人所有の大農園で働く農地労働者で、いずれも貧しい生活を強いられている。マシフンディスには5つの活動拠点があり、それぞれの地域に、地域住民の中心的な開発ボランティアメンバーからなる「コミュニティ活発委員会(C.D.C)」を設置しているが、ここセレスの黒人タウンシップ「ンドュリ」もC.D.Cを置く活動拠点の1つである。
私たちは、今年の末頃に移動図書館車をマシフンディスに送ることを約束しているが、マシフンディスは、送られる予定の移動図書館車をここセレスで活用することを計画している。彼らの計画とは、ンドュリのC.D.Cがセレス市議会の協力を得て移動図書館車プロジェクトを運行していくというもので、C.D.Cがプロジェクトを実際に推進していき、セレス市議会の方は、ガレージや運転手を提供し運行費(ガソリン代や維持費)を負担していく、という内容だ。
セレスについたこの日は、泊まったホテルでセレス市役所職員とンドュリ代表の市会議員の方々と顔合わせの夕食会をし、次の日は早速、移動図書館が巡回する予定の場所に視察に出かけた。

農園地域に移動図書館車が走る日

マシフンディスは、移動図書館の対象地域として、まずンドュリと周辺の農園地域を考えている。プロジェクトがある程度定着するようになった段階で、対象地域をカラードの居住地域など他の地域にも拡大していくつもりだ。
私たちは、最初、タウンシップのンドュリを訪れた。ケープタウンのタウンシップと同様に貧しい家が広がっているが、ここのはトタン板ではなく材木でできている。車から降りてあたりを見回してみると、近くの家の前に、プラスチックの大きな樽が置かれてあり、そこに2人のおばさんが立っている。何が入っているのかと聞いて見ると、ソルガムを原料とした伝統的なお酒を醸造しているのだという。タウンシップの人たちに売って小銭を稼ぐため、といっていた。そこからちょっと離れた家の前に、昼間だというのに若い男性2人が無気力な表情で何もせずに椅子に座っている。ここのタウンシップの住民の多くは季節労働者で、働ける期間は3ヶ月しかなく、他に仕事を見つけるのは難しい、と同行した若い市会議員の男性は嘆いていた。
ンドュリにある小学校と高校を訪ねてみた。移動図書館車が走るようになると、もちろん学校にも巡回する様になる。ケープタウンと同様に設備不足が深刻なようだが、子供たちの明るい表情にすくわれる。イングシンガ・ゼツ高校では、私たちが訪問した時ちょうど朝会のようなものをやっていた。白人女性のメアリー・スミス校長が、私たちを紹介し、移動図書館車がセレスに送られる計画を話すと、生徒たちからわあという声と大きな拍手が起こった。
その後、C.D.Cのメンバーとミーティングを行ってから、私たちは、農園地域へと出発した。
タウンシップに住む黒人は毎日が貧困との戦いだが、少なくともそこには自分たちのコミュニティがあり、何よりも情報にアクセスする機会を持っている。しかし、大農園内に住む農地労働者は、コミュニティを持たずそれぞれ孤立して暮らしている。情報にアクセスする手段もごく限られているし、学校へ行く機会も少ないという。「彼らはとても閉鎖的な世界に生きているのよ。世代から世代へと農園主にいわば隷属していて、外の世界はほとんど知らない。南アフリカが新しく生まれ変わったっていう実感もあまりないんでしょう。情報が閉ざされているのですもの」と、マシフンディスのノーマさんは説明する。車は都心を離れどんどん農園地域へと入っていき、ある大農園内の労働者たちが住む場所に停車した。近くにコンクリートでできた納屋のようなものが2、3軒並んでいる。農園主が提供する労働者の住居だそうだ。7、8人の子供たちがいたので、近づいていった。見るからに栄養不足で弱々しく、タウンシップの学校の生徒たちのような溌剌さはない。しかし、好奇心あふれる可愛らしい顔を私たちの方に向けてくれた。同行した市議会議員のカラードの男性が私たちのことを説明した。私たちも彼を通訳に、いくつか質問してみた。「学校に行っている人は」と質問してみると、バラバラと何人かが手を上げた。「学校に行きたい人は」これには、みなが元気よく手を上げた。しばらくすると、大人たちの集団が来た。彼らの親たちなのだろう。やはり、なにか疲れたような弱々しい雰囲気を醸し出している。軽く挨拶をして、私たちはまた車に乗り、その場を去った。「ここはそれほど都心から離れていないし、農園主が良心的な人で使用人の子供たちを学校に通わせているから、彼らは比較的ましな生活をしているみたいだ」この地域に詳しい元校長先生の市会議員はいう。この閉塞した地域に、私たちの送る移動図書館者が有効に使われて新しい風を運ぶようになっていってほしい。セレスからケープタウンに帰る途中、周辺の絵のように美しい田園風景を複雑な思いで眺めながら、私は強くそう願った。

「虹」を構築する土台づくり

今回タウンシップや農園地域などを視察して改めて感じたことは、政治は変わったとはいえ経済的なアパルトヘイトを根絶していくことがいかに難しく時間を要する作業であるかということだ。マンデラ政権は、人権融合による「虹の国」を唱っているが、持続的な「虹」を建設していくには、アパルトヘイト時代の犠牲者たちの教育や生活レベルの向上は、欠かせない土台作りとなるだろう。この意味においても、マシフンディスのような地域に根差し地道な活動をしてきたNGOは、これからますます必要とされるべきなのに、新政権になってからそれまで資金源であった海外援助が政府の方に流れるようになり、多くの実力のあるNGOが資金難に直面している事実は残念でならない。
「アジア・アフリカとともに歩む会」は、ベノニ、ダーバン、ケープタウンと、資金難に直面しながらも着実な教育活動を続けているNGOとしっかり手をつないで本や移動図書館車を送ってきたし、これからもさまざまな支援を続けていくだろう。私は以前から、この会を通して、教育という新生南アフリカの土台を作る根幹的な作業に、日本から大海の一滴であれ、お手伝いをしていることをとても嬉しく思ったが、今回の視察旅行でその思いますます強くした。


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