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ルイボスティの原産地訪問報告

『アフリカNOW』22号(1996年8月31日発行)掲載

執筆:藤川 泰志

8月9日から16日まで南アフリカ共和国を訪問した折に、この国原産のルイボスティの栽培地を見学して生産者と交流する機会に恵まれましたので、このお茶と南アフリカに関わっておられる皆さんに報告したいと思います。今回の旅行は私的なものであったにもかかわらず、東京都調布市で経営する店でこのお茶を販売していることから可能であれば訪問したいという希望を現地に伝えたところ(有機農産物の流通では産地交流が普通のことなので)、関係する皆さんのご好意に甘えることができ、今回の訪問となりました。特にJVC南アフリカ事務所の津山直子さんと、ANCの西ケープ州議会議員のジョニー・イッセルさんのご尽力によるところが大きかったので、ここでお礼を申し上げたいと思います。

ケープタウンに到着したのは8月10日(土)でしたが、訪問する村が教会の共同体ということで日曜日を避けるためにケープタウン滞在を一日延ばして月曜日に実行することになりました。悪路に耐える車が必要とのことで、レンタカー会社からカローラを借りて、朝の5時にホテルを出発。同行者は教会関係のNGOで産業調査をしているフェルディナンド・エンゲル(Ferdinand Engel)さんと、ウエストケープ大学でアフリカーンス語を勉強している留学生の片桐さん。エンゲルさんはJICAの研修で1か月間日本に滞在した経験をお持ちとのことでした。

ケープタウンから北に約240km。高速道路のような道(路地を人が歩いたり、横断したりするので、日本の高速とは感じが違いますが)を走って到着したのがクランウィリアム(Clanwilliam)という小さな町です。日本の感覚では小さな村ですが、この地域では中心都市で、今回の行程で白人社会が存在するのもこの町まででした。この町でルイボスティの加工をする独占会社があります。経営は100%白人社会で、つい最近まで本当にまったくの独占企業だったようです。他の会社が最近誕生したとのことですが、それは白人社会内部で企業分裂のようなことがあったようです。「この工場に頼んでルイボスティの加工現場を見たいかい?」と言ってくれた親切なエンゲルさんですが、「君がどうしてもというのなら、頼みに行ってみるが、私としては商売ガタキなので、できれば行きたくない」というので、案内者の気持ちに逆らうこともできず、またこの時点ではルイボスティをめぐるこの地域の生産構造についてもよくわからない状態ったので、無理をいうことは控えることにしました。

クランウィリアムで給油して舗装されていない凸凹道を走りました。目的地に着く途中には村らしい集落はまったく見当たらず、広野の真ん中に立つ城壁の学校が一軒。80kmらい離れている地域からも生徒が来ているとのことで週末だけ親元に帰るようです。この学校は私たちの目的地にある教会が運営しているとのことです。

クランウィリアムから広野を走って到着したのは、この産地訪問の中心地であるブッパータール(Wupperthal)。この周辺最大の村で、周辺の集落も含めると2000人が住んでいるそうです。約150年前にドイツ人の宣教師が開拓した村だということで、村の中心には立派な教会がありました。ここでお茶(コーヒーと紅茶だった)とサンドイッチをいただいて休憩しました。一刻も早くルイボスティの木に巡り会いたい私は、この周辺に畑があるのならすぐにでも見たいと焦る気持ちが募っていましたが、そこは訪問者ですので、この山奥のエキゾチックな教会でのお茶を楽しませていただくことにしました。しかしルイボスティの木に出会うには、まだまだ長い工程が待っていたなどということは、この時点ではまだわかりません。

ブッパータールで車を教会の四輪駆動(トヨタのベンチャー)に乗り換えて出発しました。ルイボスティはこの山間からさらに約15kmほど山を登らないと栽培できないとのことで、ここからは乗用車では入れないそうです。やがて小さな村というより集落という感じの家なみと少しの畑が見えてきました。村の名前はEseibank、ブッパータールの教会の共同体に属している周辺集落の一つです。

さて、いよいよルイボスティにであると期待が高まったのですが、ブッパータールから同行した教会の幹部たちが集落の中に散って、消えてしまったまま帰ってきません。私たちケープタウンから来た3人はこの集落の小さな学校(生徒はいなかった)に取り残されたままかなりの時間を過ごすことになってしまいました。やがて村人たちが三々五々緊張した表情で集まってきました。最後に教会幹部も戻ってきて、村の全戸集会(と私は思った)が始まりました。約12人。女性がひとりです。まず私が紹介されました。これはまずいことになってきたなぁ、と若干の焦りを感じ始めた私ですが、もうどうすることもできず覚悟を決めました。ルイボスティの栽培環境に初めて接してみる程度の目標しか持っていない私的な訪問と、この村の対応の調整をきっちりとやらなければなりません。

この村の農民は協同組合を始めようとしているということは訪問する前から知っていました。その形態について私は質問しながら次第にわかってきたことをまとめておきます。

実際にはまだこの組合が機能する形での生産には至っていないようで、それぞれが玉葱、豆、ジャガイモなどを作っていて、羊と牛を飼っています。それらはほとんど自給用で、現金収入にはなっていないようです。生活自体が自給自足的なようです。

現金になる仕事はルイボスティだけで、ひとりひとりがバラバラに町までトン単位で売りに行くとのこと。各戸がクランウイリアムの工場と契約しているようです。ルイボスティの木は生育に3年かかり、1回目の収穫分については1kg/3ランド。2回目以降から2.6ランドで買われるようです。

以前は年に1回だけ11月に収穫していましたが、この2~3年は需要が増えたため、3月にも収穫するようになっています。このつい最近始めた年2回出荷のために畑にとっては様々な問題が起き始めているようです。病気、水不足、人材不足など。

とにかく各人はそれぞれ独占資本と契約せざるを得ない状態の中で生産しているので、身動きができないのが最大の問題のようです。またブッパータール周辺が一番最初の栽培地だったのに、白人の会社がクランウイリアム周辺に移植して栽培を始めたことに対して強い不満を持っています。

この高地でこそ高品質のお茶が取れるのに、自分たちが出荷したピュアなものに、白人たちが低地で作った粗悪品を混ぜて売っているというのです。たしかにそのとおりだと思いました。私が見た後述する栽培環境がこの植物にとって適正なものだとすると、クランウイリアムは別世界です。

同行したエンゲルさんたちは、協同組合の組織者であり、この地域のインダストリアル・リサーチをするのが仕事です。私たちの話を協同組合による共同生産、フェアトレードによる外国との直接取引への移行、白人支配の生産体制からの脱却などに持っていこうと盛んに説得していました。

私はそれに対して今回は栽培地を見に来ただけであり、今後のことについては全く白紙であると強調した上で、コーヒーや紅茶で実現しているフェアートレードのことを紹介して、店の写真を見せて(店頭のルイボスティを含む)私の仕事の説明をしました。いつの日か、そのように生産者に直接正当な代金を支払う取引ができることを望んでいることは伝えました。

村の生産者たちはエンゲルさんの提示する方針に懐疑的で、それぞれ疑問を表明しました。今以上に栽培規模を拡大するには、土地の運用をどのように行う可能性があるのか、人材を育成(収穫作業などには熟練が必須のこと)をしなければならない、水は十分に確保できるのか、拡大すると病気が発生する可能性がある、それらのリスクは誰が追うのか、パッケージなどを作る資本をどうするのか、などなど。とにかく資金が必要だということです。

また加工と販売を独占している白人企業と敵対することについての不安も強いようです。とにかくお金のない村で、この学校にも遠くに住む生徒のためのベッドルームがあり、粗末なバスタブがありました。しかし、教会幹部によるとお湯が出ないので子供たちは入浴も水でしなければならないそうで、せめて給油設備を作ってやりたいとこぼしていました。

最終的にはエンゲルさんも、少しずつやっていこう、という話し方でまとめていたようです。

さて、いよいよルイボスティの畑へ案内しようということになり、またまた車で移動すること10分。周囲は岩場。見渡しても1メートル以上の植物は全くなく、3000メートルの高山地帯のようです。これは高山植物だと思いました。針葉樹です。この枝先を茎ごと収穫して乾燥、粉砕してお茶にするとのこと。

ブッパータールに戻ってから、かつてこの村でルイボスティの生産を自前でやっていたプラントの跡を見ました。ここでは30年前まで独自の生産をしていたそうです。需要が高まり、クランウイリアムに工場ができてからつかなくなってしまったようです。

村の中ではかなりの人数の村人が出て、電気のケーブルの埋設工事をしていました。ここに電気が来たのも最近だそうで、栽培地の村へは4年前に引いたとのこと。この電気工事はR.D.Pの資金でやっているとのことでした。

以上がルイボスティの産地を見学した1日の詳細です。朝の5時に出て往復約620kmを走りました。ケープタウンのホテルに着いたら夜の9時。かなり疲れましたが、実に充実した産地見学となりました。

ルイボスティのフェアトレードについてですが、もし実現に向けて考えていくとしたら、何らかの援助を産地の協同組合に送って、自立した農業基盤を支援していくことになると思います。加工ブラントの復活を実現して生産者による独自生産・加工の道を開くか、あるいはクランウイリアムに最近できた小さな加工場の協力が得られれば、そこに加工代を支払っての輸入になるのかです。この最近できた小さな工場の経営者は白人ではありますが、以前から市場を独占してきた会社より保守的ではないということです。この周辺の狭い地域でしか栽培されない作物なので、個々の人たちとの関係を育てていく以外にはないと思います。ルイボスティにこれまで関わって来られた皆さんと協力して、前向きに考えていきたいと思います。

さらに詳細な記事と当時の写真は下記でご覧いただけます。

南アフリカ~ルイボスティーの里を訪ねる旅~http://www.jca.apc.org/~misatoya/misatoyasaite/southafrica_site/index2.html

ルイボスティの木の写真はこちら
http://www.jca.apc.org/~misatoya/misatoyasaite/southafrica_site/index2.html


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