お帰りなさい緑のサヘル

「消えゆくチャド湖周辺の人々~第13回チャドにおける砂漠化防止活動帰国報告会」報告

『アフリカNOW 』No.20(1996年発行)掲載

緑のサヘルの新事務局長に就任した菅川拓也さんと東京事務局スタッフ本所稚佳江さん、ボランティアの竹下千晴さん(東京農業大学学生)の帰国報告会が、4月 23日、東京新宿区の東京都労政会館で行われた。菅川さんは緑のサヘルチャド現地責任者として活動報告であった、本所さん、竹下さんは初めてのアフリカ訪問、チャド現地視察であった。


村単位の生存は難しい

西アフリカの内陸国であるチャドには、国名と同じチャド湖が南西部にある。首都ンジャメナはその南に位置し、緑のサヘルのプロジェクト基地は、そのさらに南、チャド湖に流れ込むシャリ川沿いのバイリ村にある。
緑のサヘルはチャドで活動を始めて5年になる。熱効率が良く薪の消費量が少なくて済む改良カマドの普及、植林、米作を始めとした農業技術の指導、そしてその地のもともとあった技術の復興・利用などを行っている。サヘル地域にあるバイリ村とその周辺部の、緑のサヘルが支援している農村組合のある村むらは沙漠化の危機にある。その為、緑のサヘルは『緑を減らさない運動』と『緑を増やす運動』を行っている。『緑を増やす運動は』、もちろん植林のことであり、『緑を減らさない運動』は改良カマドの普及である。
また、その地に合うように育まれてきた技術”失われた技術の復興”も行っている。その代表的なものは、『食物の貯蔵庫』の”グルニエ(現地語でダム)”である。グルニエは、食物の貯蔵だけでなく、虫やネズミによる食害防止、盗難防止、残量確認などの働きもする。
チャド湖は1970年代の半ばには四国と同じ面積があったが、大乾期のあった80年代半ばには10分の1の面積にまで縮小している。チャド湖の縮小はサヘル地域の沙漠化の象徴となっているほどである。現在、やや面積を戻しているが平均推進が4mという浅さ、水量は琵琶湖の3分の1といわれる。”巨大な水溜り”という表現が似合う湖である。そのため、雨季と乾季では面積が著しく違う。
チャド湖の元湖畔の村に住む人々は「湖が逃げる」と、チャド湖の縮小を表現している。(ちなみに、森の縮小をよく「緑が逃げる」と表現される)「湖が逃げる」ことによって、周辺部の人々の水くみにかける時間と労力も増えることになる。
チャド湖の湖底であった地には、約14mの肥沃な土壌が積まれている。その上にわずか50cmの砂がかぶっている。その砂を取り払うことが出来れば、そして水さえあれば、作物が出来る。ほんのちょっとのことで飢えから脱出できるのだ。
それなのにチャドは今年、昨年以上の食糧危機にある。食糧の確保の問題が大きいため、植林などは2の次3の次にならざるを得ない。菅川さんは「1村単位の生存は難しい。農民組合などの横のつながりの新たな共同体の役割が大切になってくる」と語っていた。印象的であったのは、チャドでは野菜があまり取れないために、新しい野菜を作ったとしても、その食べ方のノウハウがないということ。農業技術、多様な作物の栽培指導には、収穫物の摂取方法、栄養と健康などの指導も必要だということなのだろう。
協力には”生活”の全体を捉える視点、バックグラウンドの理解に立つということが大切なのだと考えさせられた。

酒造りの意義

本所さんは3週間のチャドのバイリ村滞在中、現地の女性達にもっと近づくために、穀物酒ビリビリの製造販売を体験した。
ビリビリはソルガムを原料にした穀物種で、製造は女たちが行っている。技術は母から娘にという感じで伝わり、おいしいビリビリを作れるということが、女たちのプライドになっている。ビリビリを売るキャバレーには三角窓がついており、今日はビリビリがあるという目印はキャバレーの前に出したドラム缶だ。
ちなみに、キャバレーは自宅の一角に作られた呑み屋で、ビリビリのみを扱う。日本のキャバレーのシステムは当てはめないように。バーはビール、ワイン他の高級酒を扱い、パーティができる。簡易キャバレーは木と藁で作ったほったて小屋で店を持たない女たちが借りて商売をする。ビリビリよりアルコール度の高いどぶろくアルゴは、家の中庭で売る。アルゴがある目印は家の前に置かれたビール瓶。このように、酒の販売の住み分けができている。
男たちは、仕事の疲れをビリビリで癒す。女たちはビリビリの収入を教育費などに充てる。本所さんのビリビリ作りの先生はトムセ・ディアル・オーゴスティンさん。32歳で、夫1人、子ども6人半(半分はお腹の中)の家族である。オーゴスティンさんの母親が出産の手伝いに来ていた。1週間をかけてソルガムからビリビリを作るのだが、この過程で水や薪を大量に消費し、主食のソルガムを嗜好品に変える。普通、80kgのソルガムに200kg以上の薪を使うという(本所さんはこの半分の量を作ったそうである)。
飢えや沙漠化の問題を抱える地域の人たちにとってはあるまじき行為と、めくじら立てる人もいるが、やはり楽しみも必要。特に、現実が厳しい地域においては、楽しみは厳しさに立ち向かうエネルギーになる。本所さんは「主食を酒に変えてしまうという問題はあるが、それによって女たちが収入を得、教育費などの充てることを考えれば、コントロールをすればよいのではないか」と語っていた。収入源であることも重要であるが「おいしいビリビリを作れる」という自負も大切であるだろう。今回は、酒を造って売る側の体験であり、視点であったので、消費する側の生活と問題点なども知りたく思った。

(報告 本田真智子 アフリカ日本協議会)


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