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南アフリカ女性の日キャンペーンで駆け抜けた1年

Running through the campaign for South African Women’s Day in Japan

『アフリカNOW』110号(2018年3月31日発行)掲載

特集「反アパルトヘイト運動と女性、文学」にあたって

※本稿は、2017年5月27日に開催された研究会「反アパルトヘイト運動と女性、文学」におけるくぼたのぞみさんのスピーチをまとめました。

くぼた のぞみ
1950年、北海道生まれ。翻訳家、詩人。著書に『鏡のなかのボードレール』他。 訳書にJ・M・クッツェー『モラルの話』(2018年5月刊予定)『ダスクランズ』『マイケル・K』『鉄の時代』『サマータイム、青年時代、少年時代』、チママンダ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』『アメリカーナ』『半分のぼった黄色い太陽』『アメリカにいる、きみ』『明日は遠すぎて』など、アフリカ系/出身の作家の作品が多い。


佐竹さんの話で、女性委員会ができたいきさつとか、1980 年代の反アパルトヘイト運動も含めて草の根的な運動の中から出てきたことを聞いて、本当にすごいなと思いました。というのは、私は一匹オオカミ的にひとりで何でもするのが好きな人間で、翻訳とか物を書くということはパソコンに向かって(昔はワープロですが)ひとりでこつこつと進める活動なので、みんなで集まって一緒に何かをやるというのは余りやってこなかったし、正直とても苦手です。大学に入ったのが1968 年だったんですが、あらゆる問題が噴き出した時代で、組織というのは、オルグする人がいて、される人がいるというような関係だと思っていて、そのころからひとりでこつこつ派でした。

ところが1988年5月、楠原彰さんの話を聞きに行って、もっと話を聞きたいと思って恵比寿のJAAC の事務所を訪ねたとき、ここなら私もいさせてもらえそう、と直感的に思って、その後の1年余り、まさに駆け抜けたという感じで活動しました。それはたぶん、人間関係が縦系ではなく、横のゆるいつながりだったからだと思います。とてもフェアでした。なんでも発案のために手を上げた人がやるという方式もその人の力を伸ばすやり方でした。1989年の夏に、南アフリカの女性の日キャンペーンを、全国で反アパルトヘイト運動をやっている人々みんなでやりました。東京では森下ヒバリさん、松島多恵子さんなど女性グループの皆さんが実動部隊でした。1990年代に入ってからは、JAAC のニュースレターに南アフリカから定期購読していた新聞”Weekly Mail” や”New Nation” の記事を選んで載せるといった活動を、個人として続けました。

ハラレ会議に参加

1988年の秋ごろ、JAAC のアフリカ行動委員会の内部に女性グループが結成されたところへ、国連から翌年、1989年1月にジンバブエで開催されるハラレ会議の招待が来たんです。手紙は笹生博夫さん宛てだったのですが、その会議のテーマが「国内難民化している女性と子どもたち」とあるのを見て、森下ヒバリさんが、これは女性の問題だから女性が行くべきだと突然言い始めて、じゃあ誰が行くの、のぞみが行け、ということになって、えっ、というような、そういう流れだった。私は参加したばかりなのに、こんな私が行っていいのかと思ったのですが、女性グループから行ってくださいと言われ、楠原さんにも励まされたりして、行きました。

行ってびっくりしたのは、ANC が一人もいなくてPAC ばかりだったことです。帰国してから、知り合いの毎日新聞の記者にそのハラレ会議について記事を書かせてもらいました。前年の1988年5月にできたANC東京オフィスのジェリー・マツィーラ(Jerry Matjila)さんの依頼でルサカを訪問する笹生さんに同行させてもらって、ANC 本部にも行きました。普通の女の話を聞きたい

1989年2月に南アフリカから、ンボンゲニ・ンゲマ(Nbonbeni Ngema) という人が率いる演劇集団が来て、「アシナマリ」(ASINAMALI) という演劇をやるというので、そのシナリオを今は亡き木島始さんとその娘さんの小島希里さんと3人で訳したこともあって、これを運動とつなげられないかと、グッズを会場で売ったりとか、いろいろやりました。

改めてニュースレターを読み直したら、「アシナマリ」はとことん男たちの物語だった。4人のズールーの男たちが語る物語の中に、駅で女からお金を奪い取るシーンがあって、それをンボンゲニの奥さんに言ったら、いや、それもまた南アフリカの現実ですと言われました。その時、その現実って伝わってこない、南アフリカのごく普通の女たちの話を聞きたい、知りたいと思いました。

森下ヒバリさんとかほかの人と、そんな話をしているところに、楠原さんが、庭野平和財団がお金出すからキャンペーンやらないかという話があると言うので、女性の日にキャンペーンをやろうということになったんだと思います。それで、誰を呼ぼうかと、大阪の女性委員会に相談したら、ミリアム・トラーディ(Miriam Tlali)さんの名前が挙がりました。もう一人、エリザベス・モコトング(Elizabeth Motokong)さんも迎えることになりました。

この2人をゲストに決めて、行動委員会プラス全国にいらっしゃる人たちみんなでやりとりしながら、札幌と宮崎でも講演会を開くことをなりました。ここでハプニングが起きたんです。庭野財団の会議室でキャンペーンの初日にミーティングしている最中に、成田空港から電話がかかってきて、3人目が来たと言うのです。推薦をお願いしたまま返事のなかったプラカシュ・ディア(Prakash Diar)というインド系の弁護士の手紙を握りしめてやってきた人がいたのです。それがノマテンバ・ンゲレーザ(Nomathemba Ngeleza)さんでした。

1989年、南アフリカは激動の時期だったことを後から知るんですが、日本国内にいると細かなことがわからなくて、トランスバール女性連合(Federation of Transvaal Women : FEDTRAW)メンバーのノマテンバさんの名前や顔をどこまで出していいのか、私たちは判断しかねたんです。それで、ノント・ゼニという、彼女が自分でつくった仮名で、あちこちに行って訴えてもらったり、マスコミもインタビューしてもらいました。

当時、私たちはANC と細かくコンタクトをしていなかったんです。PAC だって解放運動グループだとの思いや、その前年、1988年のアジア・オセアニア・ワークショップの主催者であったJAAC がANC とPAC の双方の代表を招いたといういきさつもあって、反アパルトヘイト運動を独自にやる方針でした。ANC 東京オフィスのマツィーラさんと細かく情報交換していれば、南アフリカ国内の状況もある程度わかったかもしれないんですが。その後、1989年10月にウォルター・シスル(Walter Sisulu)はじめ政治囚6人が解放されて、2ヵ月で状況が大きく変わりました。その半年ほど前の1989年5月の集会でのことだったと思いますが、マツィーラさんが、アパルトヘイトは10年以内になくなると明言したんです。既に当時の南アフリカ政府とANC の間で水面下でいろいろ条件交渉みたいなのが進んでいたということが、今になってみればわかるのですが、当時は、すごくびっくりしました。

それはともかく、帰国したときにンゲレーザさんに身の危険が及ぶのではないかということをタイトに考えないといけないと思ったので、当時のおおやけの写真の中にンゲレーザさんの顔は一つもないんです。

解放闘争内部の女性差別やあつれき

私は翻訳をする人間なので、”A woman’ s place is in the struggle, not behind bars”(私たちの場は闘いの中にある、刑務所ではない)という冊子を3人で手分けして、すごい勢いで訳して出しました。その冊子がどれだけ重要な冊子であったかというのが後からわかりました。ゾーイ・ウィカム(Zoë Wicomb) という人が書いた小説『デイヴィッドの物語』を訳した時(2012年、大月書店)、その参考文献に入っているのを見て、おっ、と思いました。ウィカムはアパルトヘイト制度下では「カラード」という分類に入れられた人たちの1グループ、グリクワ民族の人です。

この小説は翻訳するのが非常に難しかった。2013年春に3度目の来日をしたJ.M. クッツェー(John Maxwell Coetzee) が、’It‘s not an easy book to translate(’ この本を翻訳するのは容易ではない)と言っていました。解放闘争の中のまさに女性差別、民族集団や人種間のあつれきみたいなものを、あからさまにではなく、事情を知っている人には即座に、多少知識のある人にもじっくり読めば推測可能、という形で描いた小説だったんです。背景を調べるのに苦労しました。

そこにはアンゴラの悪名高きクアトロキャンプの話も埋め込まれています。名前としては出てこないんですが、ファイターたちの間で拷問やレイプが行われていたということが出てくるんです。

1999年12月に出たこの本に、J.M. クッツェーのパートナーで南アフリカの女性文学の研究者であるドロシー・ドライバー(Dorothy Driver)があとがきを書いています。すごく長い、しっかりしたあとがきです。10年前に彼女と会った時に、あの本はニューヨークのフェミニストプレスというところから出すことが決まって、やっと南アフリカで出版できた本なんだと聞きました。南アフリカ版も手に入れたので、「あなたのあとがきがないわね」と言ったら、彼女が「だって出すことだけでこうなるのよ」って、片手で、ボッと爆発させる身振りをしたんですね。それで「ああ、そうか」と思いました。

先ほどの佐竹さんの報告を聞いて、草の根的な深い運動のあり方から見れば、まったく違うやり方で、私はひとりでやってきたということを改めて感じました。だから、なぜここに自分がいるのだろうと思いながら話を終わらせていただきます。

>>「反アパルトヘイト運動と女性、文学」発言者の対談「南アフリカにおける草の根の女性の闘いと文学の可能性」


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