巻頭インタビュー「峯陽一さんに聞く」にあたって

特集:反アパルトヘイト運動から民主化後の関わりへ

『アフリカNOW』105号(2016年6月30日発行)掲載

執筆:牧野久美子
まきの くみこ:ジェトロ・アジア経済研究所研究員、AJF 理事。アパルトヘイト後の南アフリカ政治について研究する
かたわら、2014年より日本における反アパルトヘイト運動に関する研究プロジェクトの代表を務める。共編著に『南アフリカの経済社会変容』『新興諸国の現金給付政策』(いずれもアジア経済研究所)など。


ほぼ1年前、本誌No.102で、「いま日本の反アパルトヘイト運動から学ぶ」(2015年4月30日発行)という特集を組みました。そこでは、筆者が研究代表者を務める研究プロジェクト(1) の一環として実施された公開研究会での基調講演をもとに、楠原彰さんに東京の「アフリカ行動委員会」を中心とした反アパルトヘイト運動の経験について振り返っていただきました。

今回の特集の巻頭インタビュー「峯陽一さんに聞く」は、その続編にあたります。日本の反アパルトヘイト運動は、東京だけで行われたものではなく、1970年代には大阪と静岡、1980年代になると京都、名古屋、広島、松戸、広島、熊本など日本全国に運動が拡がっていました。「日本反アパルトヘイト委員会」(JAAC)という形で、全国的な運動としてゆるやかなまとまりをもちつつ、各地の運動は、地域の特性や参加者のバックグラウンドの違いなどによって、それぞれ豊かな個性をもっていました。巻頭インタビューでは、そうした各地の運動のうち、京都での反アパルトヘイト運動について、AJF 理事で同志社大学教授の峯陽一さんにお話を聞きました。

学生時代に反アパルトヘイト運動やナミビア独立支援運動を通して南部アフリカに出会った峯さんは、その後、研究者として南部アフリカに深く関わり続けています。また、スティーブ・ビコの『俺は書きたいことを書く』(現代企画室、1988年)、ファティマ・ミーアの『ネルソン・マンデラ伝』(明石書店、1990年)など、数々の翻訳プロジェクトにも精力的に取り組まれてきました。峯さんは、自身の反アパルトヘイト運動を組み立てるなかで、「知らせる」「つなげる」「動く」の3点を強く意識してきたと、インタビューのなかで話されています。その経験は、翻訳活動や海外の研究者との共同研究を重視する、現在の峯さんの仕事のスタイルにもつながっています。

またこの場を借りて、前回の特集の前書きのなかでも触れた、日本の反アパルトヘイト運動資料の整理・保存について、その後の進捗状況を簡単に報告します。楠原彰さんと下垣桂二さんが手元に保存されていたり、かつての運動仲間に呼びかけて集められた、「日本反アパルトヘイト委員会」の各地のグループの資料については、立教大学共生社会研究センターに寄贈し、保存・公開していただく方向で最終調整しています。また、本誌No.102が刊行された段階では、「日本反アパルトヘイト委員会」の各地のグループの刊行物のうち、PDF ファイルでインターネット上で読めるようになっていたのは、東京(アフリカ行動委員会)と大阪(こむらどアフリカ委員会)の機関誌やニュースレターのみでしたが、その後、砂野幸稔さんから提供していただいた日本反アパルトヘイト委員会・熊本」の『あふりかぁ 反アパルトヘイト通信』のPDF ファイルも公開されました。これらはすべて、本プロジェクトのホームページ(2) からリンクをたどってご覧いただくことができます(以前、fc2 ブログで公開されていたアフリカ行委員会の『あんちアパルトヘイトニュースレター』のデータも、すべてこちらに引っ越しています)。そのほかの資料の大半も下垣さんのご尽力によりPDF 化されるに至っています。現時点で、これらの電子化された資料をどの範囲で・どのような形で公開するのがよいのか、最終的に詰め切れていませんが、遠からず何らかの形で公開できると思います。

(1)JSPS 科研費基盤研究(C)「反アパルトヘイト国際連帯運動の研究:日本の事例を中心として」課題番号26380227。この特集記事は上記科研費助成事業の成果の一部です。

(2)http://www.arsvi.com/i/aajp_top.htm

峯陽一さんインタビュー「反アパルトヘイト運動から研究へ―私の南部アフリカとの関わり」


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