カメルーン:ヤウンデだより(第1回)パンアフリカンのNGO・IPDで働く

アフリカの現場から

Cameroon Letter from Yaoundé no.1

『アフリカNOW』No.104(2015年12月31日発行)掲載

執筆:土手 香奈江

AJF会員の皆様、はじめまして。カメルーン共和国の首都、ヤウンデ在住AJF会員の土手です。ヤウンデに事務局のあるIPDというNGOに勤務しています。今後時折、アフリカNOWにて、カメルーン共和国、首都のヤウンデでの仕事内容・日常生活などありのままに綴らせていただくことになりました。今回は、私の勤務するIPDとはどんな団体かを紹介します。

まず「アフリカ人」自身の変革が必要:IPD設立の理念

IPDは、フランス語のInstitut Panafricain pour le Developpementの略称で、フランス語読みでイー・ペー・デーと呼ばれています。英語ではPan African Institute for Developmlent、PAID(ペイッド)が略称です。歴史は古く、1964年にスイス人のDrフェルナンド・バンサン(Fernand VINCENT)とマダガスカル人のジュール・アルフォンス・ラザフィンバイニ(Jules-Alphonse RAZAFIMBAHINY)、そしてカメルーン人、セネガル人、フランス人など数名によって非営利国際団体として設立されました。

設立のきっかけとなったのは、1962年にカメルーンで開催されたある会合のアフリカ、欧州からの参加者達の食事休憩前の会話とのことです。彼らの中には、欧州帰りで自国の開発を担う若手エリート・アフリカ人と農民の間に巨大な溝があり、それが国づくりの足かせになっているとの共通の認識があったそうです。その隔たりを埋めるには、現場を知る、開発を担うアフリカ人中間幹部を育成しなければならないとの結論が共有され、さらに議論、熟考が重ねられ、国際団体であり、同時に教育機関でもある団体を設立するとのプランが立てられたそうです。彼らは、アフリカ開発は、「人」と「構造」の二つの変革に基づいていなければならず、まず「アフリカ人」自身の変革がなされなければならない、との確信を共有していたとのことです。

「アフリカのミニチュア版」カメルーンに幹部養成校(Ecole des cadres)設立

1964年、IPDが設立され、カメルーンのドゥアラに「幹部養成校(Ecole des cadres)」を設立する計画が動き始めました。カメルーンは「アフリカのミニチュア版」と呼ばれる多様性を持ち、ヨーロッパそしてアフリカ諸国からの航空の便がよかったので、選ばれたそうです。

フェルナンド氏が友人・知人から託された10,000米ドルを当初の運営資金とし、創立メンバー達の各方面への交渉によって、ドイツ、ベルギー、スイス、カナダ、フランスの政府系国際協力機関、NGO、キリスト教系団体、産業界、当時のEECなどから財政支援・学生のための奨学金が得られました。学校が置かれるカメルーンでは、カメルーン人賛同者を通して当時のアイジョ大統領に働きかけが進められ、同大統領が1964年11月4日付けでIPDへの全面的な賛同を表明する書簡を発しました。その後ニジェール、コンゴ民主共和国、中央アフリカ、トーゴ、セネガルなどアフリカ各国の大統領、開発担当大臣、アフリカ経済委員会が賛同・協力を示す書簡を次々と発し、学校開設への機運が高まりました。

1965年3月29日、アフリカ7ヵ国(カメルーン、中央アフリカ、ダオメ(現ベナン)、ニジェール、チャド、トーゴ、ザイール(現コンゴ民主共和国))から36名の第一期生を迎え、ドゥアラ幹部養成校が本格的に始動し、協同組合等農民団体の運営、熟年者の生涯教育、開発案件の作成・計画などの分野で、現場を知り農村開発を担える中間層アフリカ人専門家の養成を目的とした研修が開始されました。研修期間中、2ヵ月の農村等での現場研修が義務付けられ、現在にいたるまで、IPDの長期研修コースにおける重要な科目となっています。

広がる取り組み:アフリカ各地にPAID設立

設立当初はスイスのジュネーブとカメルーンのドゥアラに事務局が置かれ、後にドゥアラの事務局は、ヤウンデに移転されました。事務局長はフェルナンド氏が1980年まで務め、それ以降は、ガーナ人、ベナン人、ギニア人と多様なアフリカの国の出身者がその責務に就き、2011年から2015年の現在までは、カメルーン人のProf. エマニュエル・カンデム(Emmanuel KAMDEM)が務めています。

1969年、西・中部英語圏アフリカ諸国をカバーするPAID-West Africa (ブエア市 、カメルーン)が、1977年には西アフリカ仏語圏諸国をカバーするIPD-Afrique de l’Ouest et Sahel (ワガドゥグ、ブルキナファソ)が、そして1979年東・南部アフリカ諸国をカバーするPAID-East and South Africa(ルサカ、ザンビア)が設立されました。最近では、2010年にモロッコのサレに北アフリカ諸国をカバーするIPD-Afrique du Nordが設立されています。PAID-East and South Africaは財政難により現在活動停止中ですが、EUの支援により設立された立派なキャンパスが残っており、近年中の活動再開を目標にIPDのカンデム事務局長がザンビア政府、近隣国政府との交渉を行っています。

危機から再生へ:経営能力のある事務局長の就任

1980年代頃までは、当時の欧州共同体から旅費、学費、生活費を含む奨学金が学生に付与され、IPDの運営資金には、スイス、オランダ、カナダ政府からの援助があてられていました。また、世界銀行、国連食糧農業機関(FAO)、UNICEF、アフリカ統一機構、アフリカ開発銀行など諸機関からの財政・技術協力があり、農村女性の社会的地位向上を目指す研修なども実施していました。現在では、自己資金で学費を払う学生が80%を占めており、カメルーン政府、ブルキナファソ政府、モロッコ政府の財政支援を受けつつも、主に学生から納付される学費によってそれぞれの国にあるIPDが運営されています。

設立時の事務局長であったフェルナンド氏が第一線を退きスイスに帰国したあと、1980年代に西側ドナー諸国からの援助がなくなった時期に、後任の事務局長たちの経営力の未熟さもあり、10年近くの給与未払いが発生する財政危機に陥った時期がありました。私の同僚の一人は、ドゥアラのIPDで20年以上勤務してきたのですが、給与未払いが続いた時期、IPDを離れてノルウェーに移民し新聞配達業に就いて家族に送金していた、と懐かしそうに語ってくれました。

経営上の困難が続き、カメルーン政府に買収されかねない状況に陥る中、2011年に、かつてIPDで教鞭を取った経験があり、ジュネーブのILOに協同組合の専門家として勤務していたカメルーン人のカンデム氏が、長年空白となっていた事務局長に就任して再生への動きが始まりました。バミリケ人(カメルーンの人々の中でもビジネスで成功している人が多い)である彼の公認会計士としての経営能力を背景にしたカメルーン政府との交渉が実を結び、政府から補助金を得て過去の未払い給与の支払いが終わったのです。ブルキナファソのIPDは、現在も過去の職員の未払い給与を抱えていますが、今年新たに就任した若手の責任者達の努力により、学生数が増加し、経営改善の兆しが見え始めています。

「IPD」のブランドを支える質の高いプログラム

カメルーンでは、現在、IPD類似の教育機関がたくさん設立され、競争が激しくなっています。それでも、特にドゥアラの人々、省庁で働く公務員の間では「IPD」のブランドはまだ生きています。そして、私たちスタッフは、そのブランドを支える質の高いプログラムを提供し続けていると自負しています。

ドゥアラのIPDには、環境学、地方開発、プロジェクト管理、環境・資源管理、社会連帯経済、平和学などの分野で学士・修士・短期のコースがあります。ブエアには、環境・農業開発、ジェンダーとプロジェクト管理、人材管理、プロジェクト計画・管理などの分野で学士・修士・短期のコースがあります。今年度、ヤウンデの事務局が運営する開発応用学の博士後期課程が設立され、アフリカ諸国やスイス出身の約40名の一期生、そして約60名の二期生が在席しています。日本のNGO関係者や学生の皆さんにも、ぜひIPDで短期・長期の研修を受けてほしいと願っています(HP http:www.paidafrica.org)。

私自身、ベナンの大学に留学中、事務局長のカンデム氏に出会ったことが今の職に就くきっかけとなりました。アフリカ諸国からやってきた学生の間でもまれ、肌身でアフリカの文化を感じることができます。そのおかげで、今では、特に気負うこともなく、自然にカメルーンでの生活に馴染んでいると感じます。アフリカで長期にわたって働いてみたい、生活してみたい、という方には、お勧めです。

IPDは、開発の専門家を養成する教育機関であり、政府との協定により外交特権も持っています。また同時に、NGOとして開発プロジェクト、コンサルタント業務、出版業務を実施しています。昨年、ドゥアラのIPDが、地方分権化を進めるために、地方自治体の首長、事務局長、伝統的首長などを対象とした、マネージメント能力、問題発見能力、自分達で自分達のコミュニティの開発プランを描くための基礎能力構築をめざす短期研修プログラムを実施しました。今年から、フランスのシュナイダー・エレクトロニック社、カメルーン中小企業社会経済伝統手工業省と共に、教育を受けていない若者を電気技師に育てる長期研修プログラムを開始しています。この11月には、スイスのNGOネットワークと共催し、食料主権についての1週間のセミナーを開催しました。私も運営に関わりましたが、協同組合、農民グループ、研究者、農業省関係者、学生などの参加を得て、充実した内容のセミナーとなりました。

多岐にわたる活動を進めるIPDに注目を

日本の友人や、ヤウンデで知り合った日本の大学関係者、NGO関係者にIPDがどういう団体なのか、と聞かれることが多いのですが、活動が多岐にわたるためになかなか理解してもらえないので、IPDの歴史を振り返りつつIPDの目指すところ、活動内容をざっくりとまとめてみました。IPDは、保健、水、教育、人権といった分野に区切ることが難しい様々な分野にまたがる人材育成を主な活動内容としています。これからも注目をお願いします。現在、日本人理事も募集中です。ご関心のある方は、ご連絡ください。

参考文献
≪ Histoire de l’IPD (1963-1981) ≫, Fernand VINCENT, 1981.
≪ Des hommes des actions pour le developpement ≫, Institut panafricain pour le developpement, 1992.

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