『アフリカNOW』100号(2014年2月28日発行)掲載
執筆:津山 直子
ユーモアにあふれ、きちょうめんで寛容、ときには頑固で、フェミニスト。さまざまな横顔が思い出される。1990年10月の初来日では、包容力のあるやさしさ、一人一票制と民主化実現への信念、そして、マンデラ・スマイルとよばれる笑顔と同時に、苦悩する姿が心に残っている。
白人政権との対話の困難な道。活動禁止が解けたANCの再建は、本部や各地の支部の部屋を借り、机を用意することから始めなくてはならない。スタッフや家族が食べるために給料を払う必要もある。そして、釈放された政治囚や帰国した亡命者の生活再建、反アパルトヘイト運動に尽くしてきた人々が今度は国づくりに参加できるよう、教育や技術訓練の機会を提供する、などなど。日々の問題から国の将来まで、その肩には考えられないような重圧がかかっていた。
5泊6日の日本滞在の初日、ホテルのルームサービスで食べたい物をうかがうと、「舌平目のムニエルとオニオンスープ」。次の日も「同じものでいいよ」。結局ルームサービスのときはいつも同じだった。特別に好物だったというのではなく、日本食や豪華な食事を楽しもうという気持ちにならなかったように思う。体調も万全ではなかったので、鍼灸(しんきゅう)の治療を提案してみた。友人で鍼灸師(しんきゅうし)の植田智加子さんならマディバにあう治療ができると思ったのだ。初めは躊躇(ちゅうちょ)したが、治療を受けてすっかり気にいり、植田さんはその後南アフリカに住み、治療を続けることになった。
ANCが権力につく道が見えてきたとき、私は草の根の人々と共に新しい国づくりに取り組みたいと思い、南アフリカでの活動を模索していた日本国際ボランティアセンター(JVC)の一員になった。マディバは1994年に大統領になり、1999年の引退後は、マンデラ子ども基金などで草の根のNGOと協力して社会的弱者への支援を続けた。草の根の人々と共にマディバに会う機会が何度かあった。
マディバは、権力に就いていてもいなくても、「自由憲章」でうたった誰も排除されない社会をめざし、行動を続けた。南アフリカだけでなく、紛争や戦争が続く世界から憎しみを取り除きたいということでも苦悩し、平和のために行動した。私にとってのネルソン・マンデラは、生涯を通して、苦悩しながらも希望を捨てず、行動を続けたアクティビスト、活動家であった。その生き抜いた姿から学び、小さな力であっても、行動を続けるアクティビストでありたいと思う。