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コートジボアール
“Bitter Chocolate” and child labor
『アフリカNOW』79号(2007年12月31日発行)掲載
執筆:岩附 由香
いわつき ゆか:(特活)ACE 代表。学生時代の1997年に児童労働を考えるNGO・ACE を発足させ代表を務める。「世界中の子どもに教育を」キャンペーン事務局長(2004年)、「ほっとけない世界のまずしさ」キャンペーン運営委員(2005年)。世界の児童労働問題の解決に向けた講演・執筆活動などに取り組む。
『チョコレートの真実』
2007年の秋、書店の店頭に平積みになった『チョコレートの真実』(1) は、原題の”Bitter Chocolate” が示すように、甘いチョコレートの裏にある闇を明らかにしている。チョコレートの原料カカオが子どもの奴隷労働によって作られている現実を知り、調査に乗り出した著者キャロル・オフは、イギリスの子どもが学校に行きチョコレートをかじる一方で、コートジボワールでは生きるために働かなくてはならない子どもがいることを、「これは私たちの生きている世界の裂け目を示している。カカオの実を収穫する手と、チョコレートに伸ばす手の溝は、埋めようもなく深い」と記している。彼女が「(この本を書こうとした)一番の動機」だと語るのは、コートジボワールのカカオ畑で働く子どもたちの言葉である。「私の国でチョコレートを食べている人は、それがどこから来たか知らないの」と伝えると、子どもたちは言ったそうだ。「それなら、あなたが教えてあげればいい」と。
この本は前述の子どもたちと、カカオ産業の暗闇に足を踏み入れ、結果的に帰らぬ人となったジャーナリスト、キーフェルに捧げられている。カカオで得た利益は農民に還元されるべきであるという価値観を持ったキーフェルは、この本で「『大陸通信』などでバクボ政権の腐敗を厳しく告発してきた。多くはカカオ産業に関わるもので、カカオの収益を財源とする武器購入もたびたび報道した」と記載されている癒着構造を明るみにし、コートジボワール政府と、政府と取引を行う多国籍企業にとって、目の上のたんこぶ以上のやっかいな存在であった。オフは本書の中でキーフェルの行方不明について、コートジボワール政府上層部の関与を示唆するいくつもの証拠があることを示している。
カカオの歴史は搾取の歴史
しかしカカオにまつわる利権と闇は現代に始まったことではない。「世界の裂け目」とオフが表現した、カカオの消費者側と生産者側の従属構造の歴史は世界の植民地支配、奴隷貿易の歴史をそのままなぞっている。カカオは3000年前に、メソアメリカのオルメカ人が「覚醒作用、高い栄養価」と「癒しの力」がある「どろりとした苦い飲み物」として食用していたのが最古の使用法と思われる。この時代のカカオ生産は、中米とメキシコ南部の熱帯雨林に限られていた。その後、マヤ人がその知恵と技術を受け継ぎ、アステカ帝国では第9代アステカ王のモクステマが食事の締めくくりに「カカワトル」というカカオの入った飲み物を飲んでいたという記録がある。そこに、神聖ローマ帝国皇帝のカール5世によって送られたコンキスタドール(征服者)のひとりコルテスが登場し、彼によって征服されたこの地域で、カカオで物を買ったり人を雇ったりすることができることが、帝国に報告されている。
やがてこのカカオが、植民地でキリスト教を拡げようとした聖職者によってスペインの宮廷へ持ち込まれた。スペイン人入植民者が土地を接収していき、現在のベリーズ・グアテマラにあたる地域にカカオ農家が拡がった。スペインの権力者の中でのカカオの需要が高まり、エンコミエンダ制(2) により、公然の奴隷制度の下で労働搾取が行われ、増産体制が組まれた。そこでの労働力が足りなくなると、三角貿易で奴隷をアフリカからアメリカへ運んだ。こうして、啓蒙主義が席巻するヨーロッパのサロンでカカオの入った「ショコラティエ」を飲む人権活動家と、奴隷として烙印を押され、抵抗すれば海に投げ落とされ、着いた先では過酷な労働で命を落とす奴隷たちとの、交わることのない人生の隔たりができた。そして今、日本の消費者は、そのようなカカオの歴史はもちろんのこと、児童労働や構造的な農民搾取の構造について知らないまま、数え切れない種類のチョコレート製品を消費している。ここにもまた交わることのない「世界の裂け目」が存在する。
現代のカカオ産業に注目が集まった背景
1828年にオランダでココアパウダーが開発されると、1875年にはスイスでミルクチョコレートが開発された。こうして、庶民に親しまれる製品としてチョコレートは600億ドルの世界市場を持つようになった。カカオは、赤道から緯度で南北20度以内の地域でしか育たない。現在、主要生産国のうち4カ国が西アフリカのカメルーン、ガーナ、コートジボワール、ナイジェリアに集中し、この4カ国で世界の生産高の約7割を占めている。中でも世界の43%の生産量を誇り、国民の1/3 がカカオかコーヒー栽培のいずれかに関わっているという国がコートジボワールである。
コートジボワールでの児童労働問題が人々の話題に上るようになったきっかけは、2000年のイギリスでのドキュメンタリー報道であった。マリなどの周辺国からの人身売買によって、強制的にカカオ農園で働かされていたという若者の傷だらけの背中の映像が流れ、コートジボワール政府が事実無根であると抗議。チョコレート業界もコメントを求められるなどの対応に追われた。この動きは米国にも飛び火し、意外な方向に展開していく。
2001年に米国の雑誌に取り上げられたカカオ産業の児童労働が、民主党のエリオット・エンゲル下院議員の目にとまる。エンゲル議員はこれに触発され、議会の予算委員会に「奴隷労働がないことを証明するラベルを作る」ことを提案。これが可決され、そのための予算25万ドルを含めた農業関連予算が下院を通過。このことにまったくノーマークだったチョコレート業界はあわてふためき、有力政治家を使ってそれを阻止しようとするが、児童労働について長年取り組み、アメリカ労働省の国際児童労働プログラムの予算を確保することに尽力してきた民主党のトム・ハーキン上院議員の働きかけもあり、その予算が執行される前に、これに代わる自律的な取り組みを約束した。これが、2001年9月にチョコレート製造業者協会がカカオ農園から「最悪の形態の児童労働」をなくす目的で締結した「ハーキン・エンゲル議定書」である。
この議定書の目的は、カカオの生育・加工過程において「最悪の形態の児童労働条約」を遵守するという産業界の責任を示すもので、その責任をどう遂行するかのステップを記したものだ。議定書は6項目あり、5項目目までは予定通り終了した。この議定書によって国際カカオ・イニシアチブ(ICI) というNPO が生まれ、西アフリカでコミュニティーベースのプロジェクトを展開している。また持続可能なカカオ産業を目指す業界団体、世界カカオ基金(WCF: World Cocoa Foundation) もこの議定書の実施に関わり、官民パートナーシップを軸に米国政府予算でプロジェクト実施を行うなどこの議定書に定められた事項への関与を深めている。6項目目である「認証システムの確立(カカオ生産量の50%に児童労働が使われていないことを認証できるようにすること)」が目標の2005年までに達成できなかったため、この議定書は延長された。これが「奴隷不使用ラベル」のもともとの意図をくむ部分であるがゆえに、この成否は政治・産業界だけでなく、この議定書を賞賛したNGO、議定書の実施機関となるNGO、そして批判を続けているNGO のいずれにも関心が高いと思われる。このように産業界が児童労働の存在を事実上認め、それに取り組む国際的枠組みができたことは評価すべきことである。この6項目目がどうなるのか、今後の動向が注目される。
カカオ産業の児童労働の実態
議定書の締結を受けて、WCF、米国国際開発庁(USAID)、米国労働省、国際労働機関(ILO)、各国政府の協力の下で国際熱帯農業研究所(IITA) が実施した「西アフリカのカカオ生産における児童労働調査(3)」によると、西アフリカ地域で28万4千人の子どもがナタを使った開墾に従事し、15万3千人が農薬散布を行っていると報告している。コートジボワールだけで、少なくとも約13万人の子どもが農園でのあらゆる労働に従事しているとの記述もある。そして、1万2千人の子どもが農園経営者の親戚ではない子どもであったと報告している。これはすべてサンプル調査からの推計であるが、ILO はこの調査結果に対して、数字の導き出し方などの調査方法が明らかではないと疑問符をつけている。コートジボワールの18歳未満の人口が890万人であり、初等教育の就学率は男子86%、女子68%だが、
この13万とか1万2千人という数字が多いのか少ないのか、またナタを使った作業がいわゆる子どもにとって危険作業となり「最悪の形態」と理解されるのか否か、という議論になると、立場によって意見がわかれそうだ。実際、この報告書が出たときのカカオを扱う企業の態度は「(報道されたほど)問題は深刻ではない」というものだったと、オフは書いている。
同調査では、西アフリカのカカオ農園は基本的に小規模で家族経営であり、家庭内の子どもが農園で働く場合が多く、うち64%が14歳以下と報告している。また、カカオ農園の労働が子どもの学校へのアクセスに与える影響についても述べており、調査の結果、コートジボワールではカカオ農園を経営する家庭の子ども(6~17歳)の1/3 は一度も学校に行ったことがないことを指摘している。しかしそれは、カカオ栽培が年間を通じて子どもの労働力を必要とする労働集約的であることによるのか、あるいは学校が遠すぎる、費用がかかりすぎる、教師の室が悪い、教室が狭いなど、学校へのアクセスや教育の質などに起因するものなのかは定かではない。就学率は移民の家庭の子どもが低い傾向にあり、男女を比べると女子のほうが低くなっているのは、この国以外にも多くの国で見られる傾向ではないだろか。
一次産品であるカカオの抱える構造
児童労働問題の背景にはコミュニティの意識、貧困、貿易があり、子どもが学校に行けさえすれば、カカオ農園が抱える問題がすべて解決するわけではない。コートジボワールは特に、国内のカカオ取引の課題や政府の税金の高さ、さらに移民と土地所有の問題もある。
しかしカカオ産業の国際貿易という視点に焦点をあてると、そこには一次産品の価格をニューヨークとロンドンの市場がコントロールするという構造があり、価格変動も大きく、農民はその影響を一方的に受ける構造が見えてくる。ここにもやはり、4枚もの液晶パネルを目の前において秒単位で変わる価格に目を光らせるトレーダーと、価格決定に決定権を持ち得ない生産者である農民側との大きな溝がある。
カカオ豆は、ニューヨークとロンドンの市場で取引されているが、過去にその取引価格は大きく変動してきた。1970年代は西アフリカのカカオの不作により1トン4,800ドルで取引されていたときもあったが、その後1,200ドル前後となり、1985年に再び2,800ドルまで上がった。この間、マリ、ブルキナファソを飢饉が襲い、コートジボワールへの移民が発生し、この移民がカカオ生産をはじめた。その後、ガーナでの生産量増加などもあり、1992年から2000年は7年間の供給過剰で価格が下落。2000年には700ドルという低価格となった。2006年は1,400~1,600ドルで推移していたが、その後、価格は再び上昇している。
カカオの市場価格が大幅に変動する一方で、農民が受ける影響は国によって違う。価格変動に対して政府が国内の生産をどのように制御するのかが関係してくるためだ。各国の農民が得られると推測される1トンあたりの価格を表1で示した。ガーナでは、政府が最低価格を保証し、ココボードと呼ばれる機関が管理しているが、コートジボワールは基本的に自由市場でそのような機能がない。農民は価格が上がるまで4~5週間カカオ販売を待つことがあり、それが品質の低下にもつながっているとの指摘もある。
表1 農民が得られると推測されるカカオ1トンあたりの金額(単位:USドル)
税金 | 国内コスト | 米国への輸送費用 | 農民が得られる金額 | |
コートジボアール | 600 | 240 | 200 | 700-720 |
ガーナ | 200 | 165(ココボード) | 207 | 1,053(実費用990) |
インドネシア | 6 | 110 | 235 | 1,150 |
出典:2006年10月の世界カカオ基金総会のPamela Thornton のプレゼンテーションをメモしたものから作成。
* 印はカカオの価格を1トンあたり1,500ドルとした場合に、他のコストをひいて農民が得られるであろうと推測される金額。時期は2005~2006年。国内コストとは、輸出港までの輸送、政府管轄下の管理コストなど。
日本との関わりとACE としての取り組み
2006年の時点で、世界のカカオ年間生産量約320万トンのうち、約6万トンが日本に輸入され、森永製菓と明治製菓がそのうち25%ずつ輸入している。輸入元はガーナが7割で、その理由は、ガーナは政府が価格・品質管理を行っており、安定した品質のカカオの輸入が見込めるからとのこと。他国とチョコレートの消費量を比較すると、2004年の日本の年間国内消費量は19カ国中6位で283,280トン(1位はアメリカの1,556,175トン)、1人当たりの消費量は2.2キロで19位(1位はドイツの11.1キロ)。日本もチョコレート消費大国といえる。
児童労働の問題とそこにある構造を、身近なチョコレートから発想して知ってもらいたいと、ACE では現在チョコレートと児童労働の開発教育教材を開発中である。また、児童労働の入門書として『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて。』(4) を2007年11月に出版した。このようにして子どもたちを含めた市民に知る機会を提供し、各関係者への働きかけを行い、働いている子どもたちの現状を改善することを目指している。2008年1~2月のバレンタインの時期にはキャンペーンも行う予定である。ガーナでの現地調査も計画中だ。
児童労働にまつわる世界潮流
児童労働問題は時として、「貧しいから仕方がない」「先進国の価値の押し付けでは」と捉えられることがあるが、「最悪の形態の児童労働」の定義のもとになっている「最悪の形態の児童労働条約」は、ILOで満場一致で採択された国際的な児童労働の基準である。途上国を含めた165カ国(5) が批准する最も広範な支持を得た条約であり、ILO の一機関である児童労働撤廃国際計画(IPEC)はこの条約に基づき、各国が児童労働をなくすための計画を作ることを求めている。2006年のILO の発表では、5歳から17歳の2億1800万人の子どもが児童労働(15歳未満の違法な就労、アフリカに関わるユースNGOの取り組み18歳未満の危険・有害労働)に就いている。
そもそも、子どもが経済的搾取から守られる権利は、1989年の「国連子どもの権利条約」で認められており、児童労働はこの権利だけでなく、教育を受ける権利、健康に育つ権利などが守られていない状態を指す。また、基礎教育の普及は「万人のための教育(EFA)」でも2015年までという達成目標が合意されており、これが国連ミレニアム開発目標(MDGs) にも組み込まれている。このように、児童労働は子どもの権利を奪い、基礎教育普及を妨げるものとして、NGO、労働組合、産業界、国際機関、国家によって防止のための世界的な取り組みが行われている。それぞれの立場で子どもの権利を守るためにできることを行うことが、求められている。
ACE10 周年を振り返って
ちょうど10年前の1997年、「児童労働に反対するグローバルマーチ」(http://www.globalmarch.org)という世界的ムーブメントが1998年に予定されていることを知った。当時大学院生だった私は、この活動の発想と規模の大きさに衝撃を受けた。6カ月間5大陸で、働いていた子どもたちとNGO などのスタッフと各地の人たちが共同してマーチを行うというのだ。この世界の大きなムーブメントのことを、日本の人たちにも知らせたい! 一緒に児童労働の問題に取り組んでいるんだという連帯を示したい! と思い、当時ボランティアをしていた団体に取り組んでもらえるように運営委員会の議題にかけてもらったのだが、残念ながら主体的には取り組めないという結論だった。たまたま日本を訪れていたグローバルマーチ事務局のスタッフと、協力を申し出た子どもの人権活動家と私の3人で会って話した晩に、児童労働問題を日本に知らせるこんなにいい機会にどの団体もこのムーブメントに取り組まないのなら、自分たちで団体を立ち上げたほうがいいかもしれない、という直感とひらめきで、一晩かけてACE 設立の趣意書を書き上げた。それがきっかけで、学生5人ではじめた団体が、ACE(Action against Child Exploitation) であり、今年10周年を迎えた。10周年のイベントには、AJF 代表理事の林達雄さんもパネリストとして参加。「もし世界が100人の村だったら~ほっとけない世界の子ども」と題して、『もし世界が100人の村だったら』の再話者の池田香代子さんに話していただいた。
ACE はもともと6ヵ月限定のNGO としてスタートした。グローバルマーチを東京と大阪で行った後で解散するはずだったが、メンバーが留学などでいなくなってからもなんとなく続き、2001年に再びメンバーが東京に集まって、活動が再開した。その後、2002年に「ワールドカップ・キャンペーン」を行い、反響が大きかったことから、ボランティアベースで活動を行うことの限界を感じ、2004年に事務所をAJF と同じ丸幸ビルに借りて(それまでは自宅が連絡先だった)、2005年からは設立メンバーを他の企業から引き抜いて、フルタイム職員として迎えた。予算も活動も年々大きくなり、スタッフも増え、この度丸幸ビルから3軒先に本部事務所を移転することになった。発展ともとれる組織の拡大が実現できたのは、支えてくださった支援者の皆さん、ボランティアスタッフとして昔も今も活動を支えてくれている人たちのおかげと、事務局長が根気強くコツコツと仕事をして、周囲の人たちの理解と賛同を得たことが大きいと思う。組織経営の難しさに頭を抱えながらも、仲間と一緒に児童労働の問題を語り、プログラムを作り、人々に伝えていく作業ができることが、なによりもありがたい。アフリカについてはずぶの素人である私たちだが、目下チョコレートを題材にして、少しずつアフリカを知ろうとしているところである。今後もカカオ産業のさまざまな溝について考えをめぐらせ、国際協力を含めた活動をつくっていきたいと思っている。
ACE ウェブサイト http://www.acejapan.org/
【注】
(1) キャロル・オフ、(訳)北村陽子、英知出版、2007年8月刊行、1,800円+税、ISBN: 978-4-86276-015-9
(2) スペイン王室が植民者に与えた先住民支配の信託制度。 16~18 世紀までスペインによるアメリカ大陸の植民地化に際して導入され、先住民の搾取に利用された。
(3) IITA, Summary of Findings from the Child Labor Surveysin the Cocoa sector of West Africa: Cameroon, Cote d’Ivore,Ghana, and Nigeria, July 2002
(4) 岩附由香・白木朋子・水寄僚子、合同出版、2007年11月刊行、1,300円+税、ISBN: 978-4-7726-0401-7
(5) 2007年11月14日現在。 カメルーンは2002年6月5日、コートジボワールは2003年2月7日、ガーナは2000年6月13日、ナイジェリアは2002年10月2日に本条約を批准した。