『アフリカNOW』No.14(1995年発行)掲載
野田千香子(アジア・アフリカと共に歩む会)
「アジア・アフリカと共に歩む会」はこの3年半、南アフリカの極端に本の足りない学校や識字の学級などに日本で集めた英語の本を7万冊以上送ってきました。本の利用率を高めるために今年は廃車となった2台の移動図書車を再整備して送りました。利用状況視察と今後の取組みの検討のために南アフリカを訪問しました。
美しい南アフリカの早春
9月の南アフリカは、冬が終わり春を迎えたところだ。数か月、雨が降っていないというジョハネスバーグ郊外の黒人居住地域エトワトワの家々の周りは、半袖シャツでも丁度よいくらいの春になっても低い枯草で覆われている。そんな枯草の中の牧歌的な1件の家に到着した。白っぽい駅、小さなドア、レンガ色の屋根。中に入ってみると、目が慣れるまでかなり暗く感じる。大きな集会場のような部屋に黒人の中学生が大勢授業を受けていた。よく見ると、その部屋の5,6ヵ所に先生らしい人がいて黒板のようなものを前にしてそれぞれの先生の方向を向いている。外はまぶしいくらいの天気だが、大きな教室は暗い。蛍光灯が少しあるが、ついていないのもあるし、全部ついたとしても多分暗いだろう。窓を見ると、ガラスはほとんどないか、あっても割れて今にも落ちそうだ。壊れた窓を塞ぐために選挙時に使われたボードが置かれている。校長や教師たちが「このあたりも暴動があったころは大変だった。ガラスもその時割れてそのままだ」といった。遠くから黒板に見えていたもののいくつかは、ただの壁にチョークで書いたものであった。Methodist Education Initiative(MEI)の白人のデイヴたちが、彼らが薄茶色の壁にチョークで書いているのが見にくいのを知って、せめてもと壁を黒板色に塗り替えてあげたものなのであった。校長は授業の終わりにあちこちを向いている生徒たちを一つの方向に呼び集め、私たちを紹介した。私たちからの本を受け取り配布してきたデイヴが、私たちの持参した地球儀を使って南アと日本の位置関係を説明し、簡単に私たちとデイヴがこれまでやってきたことを話す。飛行約20時間というところで皆がざわついた。
「先生の給料を払ってあげて」
私たちは彼らに学校に関しての要望を出してほしいと頼んだ。中学生といっても28歳の生徒もいる。入学が遅れたり、途中休んだりした人もいるからだ。生徒たちは臆せず次々に発言した。「先生の給料を払ってあげてください」自分たちの境遇の悪さを訴えるより、まず先生の給料を心配する生徒の発言に思わず目が潤んだ。生徒数は900人、教師はたった12人。授業料を払っているのが120人しかいない。無給状態が続いている教師たちは、大家族制の中で誰かの稼ぎで暮らしている。 「ほしいものは建物です」「机椅子がほしい」「教科書が欲しい」。ここでは教科書は5人に1冊。実験道具もないし、大きな地図もないし、運動用具もない。図書室もない。デイヴや私たちは、このエトワトワ地区にももっともっと本を送っていかなければならないと、心を新たにした。
黒人学校間の大きな落差
黒人居住地域の学校差は日本のような公立私立程度の差ではない。程度のよい黒人の学校も白人の学校に比べれば、雲泥の差があるが、黒人の学校間の落差はさらに大きい。アパルトヘイト体制の下では、黒人には義務教育がなかったため学校はあるにはあったが、統一のとれた教育の制度がなく、学校経営の基盤は地域によって、また学校が設立された時期などによってまちまちであった。現在でも旧教育体制と新教育制度が混在し、教育制度は混乱を極めているようだ。いや混乱というより手が付けられていない部分があまりに多い、と言った方が良いかもしれない。通える範囲に学校がないため、上記の学校のように住民の力で作った無認可学校は財政的に非常に苦しい。そんな学校が、都市部の周りに広がりつつある新たな黒人居住地域にたくさんできている。地方から出てきた家族たちは失業家庭も多い。 こんな中で全体としての中学生の勉学に対する意欲には熱いものを感じた。彼らの年齢を考えると、この数年を無駄にはできないと思った。
建物がない学校
専用の建物があればまだ良い方かもしれない。次に訪ねたのはトタン板で作られた小さな教会をかりたクリスドラミニ小学校だった。普通の日本の教室より少し広いかと思われる1部屋にぎっしりの子どもたちが前記の中学校のように学年別にあっちを向いたり、こっちを向いたりして勉強している。授業料は1年で約1700円。730人中払っているのは40%。教師たちの給料は交通費を除いてほとんど支払われていない。教師たちは、今後学校が公認されて自治体から給料が支払われるのを待ちながら、今は奉仕している。教会の裏に少しの畑を作り、学校経営の足しにしていると言っていた。
困難な中で15分読書
図書室もまったくない学校が続いた後、私たちが訪ねたスプリングスという黒人居住区のマシミニ小学校では、うれしい光景に出会った。その学校には小さな本置き場(図書室と呼べるようなものではない)の小部屋があって、小さな2段の本箱が2つある。私たちが送った本も入っているようだ。子どもたちが10数人入ってきて、それぞれ本を1冊ずつ手にとって車座になって床に座った。先生が「これは15分読書の時間です。順番に来て好きな本を15分読みます」と説明。生徒たちは静かに本を手にとって見ている。とてもいい方法のように思われたし、本が大切によく利用されているのが嬉しかった。この学校の生徒数は934人。教師は25人。困難な中にも工夫と努力が見られるのが嬉しかったが、こうした多少の工夫ができるのも、校舎や生徒数と教師の人数の比がまあまあ恵まれているからできることなのだ。読んでいる生徒にそっと聞いて見る。「あなたの家には何冊本があるの」近くにいた2、3人の子どもが指を1本出した。隣の子は2本出した。
不毛の地に点在する家々
ピーターマリッチバーグを朝早く出てダーバンへ急ぎ車を走らせる。昼までに168キロ離れたトランスカイの学校に着かなければならない。 美しい海岸、インド洋に面するこの地方は内陸部と比べると緑豊かな豊穣の土地に見える。しばらくすると道は海岸線を離れ、それにつれて土地は乾燥し、枯草の原や丘に変わる。穏やかにうねる丘陵地帯が地平線まで続き小さな丸屋根の小屋が点在する風景は、日本人の目から見ると、誠にのどかで自然そのものの美しさに思われる。しかし、視線を下にして土地をよく見ると、石がゴロゴロして土地は乾き、耕せるような土地ではないことがわかる。遠く点在する小さな可愛らしい小屋の周りにも畑らしいものも牧場らしいものもなく、また川などもないようだ。 同情するELETの人たちに聞いてみる。「ここの人たちはどうやって暮らしているのですか」「ほとんどがダーバンやモントフェレーレまで働きに行っている。家からタクシー(南アの黒人のタクシーというのは乗り合い小型バスのことである)で数百キロ取ったり、出稼ぎに行ったりしている」ということであった。「水は遠くの川まで汲みに行っている」一つ一つの屋根の下では、どんな暮らしが営まれているのかと想像するとなまやさしいものではないことがわかる。車が入れるような道路から遥か離れた不毛の土地に家が点在するのは、生活を成り立たせる意味から無意味なことでもあり、アパルトヘイト政策によるものとしか考えられない。
丘の上の学校に送った本があった
不毛の地の枯草と石ころの丘の道を車が上がっていくと、道ばたに1人の少年が待っていて車を止め、ここでちょっと待っていてくれという。しばらくして、少年の報せで鼓笛隊が丘の上からやってきた。こんな歓迎は生まれて初めてだ。鼓笛隊の間を車はしずしずと校内に入っていった。 このパンパジ小・中学校の500人の生徒や教師たちは、今か今かと朝から私たちを待っていてくれたに違いない。この後、今日の式次第というプログラムをもらったので、見ると私たちの歓迎会の内容であった。 図書室を見せてもらった。小さな部屋の本棚にだいぶ前に送りだした覚えのある本が並んでいた。先生たちは本について心から感謝していた。大事に授業に使っていると言っていた。
小説をドラマ化して生徒が演じる
歓迎会の中で、少ない本を授業で上手に使う1つの方法を見せてもらった。ある教師が私たちの送ったハイネマン出版の小説を脚本化して、生徒に演じさせている。1人の少年が都市に出てボクサーとして成功するという話のドラマである。このような田舎では、自分たちと違う生活や考え方や感じかたがあるということを知る機会も少ない。広い世界を知るという意味からも小説は大切な教材と言えよう。ドラマは大勢の生徒が参加して盛り上がって終わった。こうした本の運用の仕方を指導してきたのは、ELETである。この後ELETの活動については項目を改めてふれたいと思うが、ELETの授業法の指導と私たちからの本とがうまく噛み合って役に立っていることを知ったのは二重の喜びであった。
本を使って魅力のある授業をする先生
次の日の午前中に見学したリョイド小学校の魅力ある授業には感激した。埃っぽい田舎の学校の生徒数は1200人。教師の人数は24人。図書室らしい部屋を見せてもらったが、古い使いものにならないような本と教科書が置いてあるので、とても図書室とは呼びがたく、教材室というような小部屋である。しかし、そこに私たちが送った本が少し置いてあった。教室に案内されてみると、厚みのある立派な体格をしたバリトンの歌手のような声量の持ち主の先生が片手に私たちが送った本を一冊持ち、授業を始めようとしているところだ。黒板に先生が書いたらしい2枚の絵が貼ってある。先生がその絵を使って質問をすると、生徒は元気よく手を挙げて答える。「この家とこの家はどう違うのだろう」ハイ、ハイ、ハイ。生徒が知識や想像力を駆使して答えたところで、すばらしいバリトンの先生が本を朗読し始める。生徒は全身を耳にして聞く。生徒の机の上には本もノートもない。 もう1つの教室の授業も女性の教師が上手に質問をしながら本を読んでいくのだが、生徒たちは珍しい東洋人の見学者がいても集中して聞いている。もちろん先生の使用しているのは、私たちが送った本である。
ELETの活動について
English Language Education Trust(ELET)は創立10年のNGO。外国や企業からの援助で運営されてきた。事務局はダーバンの中心にあり、オフィスでは10数人が働いている。この10年間の活動の内容は、学校の教員の指導と教材の製作と支給等。 その他にELETは20人のフィールドワーカーを持ち、1人のフィールドワーカーは2年の単位である地域を担当して、その地域の20の学校の教育指導を行う。1つの学校の中で特に2人の教師を選びELETの指導法を教える。2年間経つとフィールドワーカーは他の地域に移動するが、指導を受けた2名の教師は他の教師にELETの指導法を伝授することができる。 ELETの活動範囲は南北300キロに渡る。一般に南アの教育法は教師が一方的に生徒に教え込み、生徒は受け身で聞いたり、書き取ったりするだけの古い指導法であるようだ。ELETのやり方は、生徒を授業の中に自然に巻き込んでいくやり方だ。去年ダーバンの近くのインド系の学校でELET指導の授業を見学した。これもすばらしかった。新聞社に当日の生徒数分の新聞の寄贈を依頼しておき、生徒に配る。先生は生徒に自分や家族に関係があると思った記事や広告を切り抜いて紙に貼っていきなさい、そして後でどんな関係があるのかを明示しなさい、という。先生はそれ以上指示したりお説教を加えない。つまらない記事を切り抜いた生徒の説明を黙って聞く。押しつけがないので子どもが自然に新聞に興味を持つきっかけになりそうだと、感心したのであった。同行したフリーライターの佐保さんの紹介でELETに本を送り始めて2年半になる。ELETはその広い活動に会からの本を配布してくれている。そして、それが今回彼らの教育指導と相俟って、どんなに役立っているかを知ることができた。
南アフリカNGOの当面する財政問題
南アフリカの現地NGOが財政的に苦しくなっている。NGOによっては壊滅状態に置かれている、という話は南アを訪れる前に帰国した人から聞いていたが、このELETでもアメリカや北欧諸国の政府からの助成金が直接ELETの運営資金としてきていたのが、今年から来なくなってしまったのだ。アパルトヘイトが終了し新政府になった時から外国政府からの援助金は南ア政府へ行くことになり、それがうまくNGOへ下りて来ないのだ。企業などからの資金だけになり、ELETでも、職員の給料を大幅に減給したという。