第12回世界貿易機関(WTO)閣僚会議、TRIPS免除の議論に幕引き

極めて不十分な内容に市民社会の批判強まる

WTOに参加した市民社会団体の抗議行動

6月12日に始まった第12回世界貿易機関(WTO)閣僚会議は、二日間の延長の末17日に閉幕した。同会議では、食料安全保障に関わる閣僚宣言が採択されたほか、漁業補助金協定や電子商取引に関する作業計画その他が採択された。ナイジェリア出身のオコンジョ=イウェアラ事務局長は21年3月就任後最初の閣僚会議の「成功」に主導権を発揮したといえる。一方、これらの決定事項は、いわゆる「グリーン・ルーム」(少数の国でつくるグループでの議題の事前討議)に依存した決定プロセスともども、市民社会として受け入れられるものは少なく、貿易や国際保健に関わる市民社会の間には不満が渦巻いている。

2020年11月にインドと南アフリカ共和国が提出した新形コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するTRIPS協定(知的財産権の貿易の側面に関する協定)の一時・一部免除の提案(以下「TRIPS免除提案」とする)は、COVID-19という未曽有の感染症危機に対応して、COVID-19のワクチン・治療・封じ込めに関してTRIPS協定に定められた知的財産権を一定の包括性を以て時限的に免除する、という画期的な提案であった。今回の閣僚会議では、これについても、会議の延長の末に「閣僚宣言」が採択された。しかし、COVID-19危機にあたってTRIPS免除の実現を求めてきた市民社会は、閣僚宣言の内容の不十分さに対して、改めて強い批判を行っている。

閣僚宣言の内容は、本年3月にリークされた、TRIPS免除提案に関する4か国協議(南ア、インド、米国、欧州連合)の暫定合意案に準じるものである。

(1)部分的に免除されるTRIPS協定の内容は「特許権」のみで、南ア・インドが提案していた「著作権および関連する諸権利、意匠、開示されていない情報の保護」の免除は含まれていない。また、そのプロセスは、TRIPS協定の第31条に規定された強制実施権の発動によることとなっている。この点で、閣僚宣言は2001年の「ドーハ宣言」以降保障された「TRIPS協定の柔軟性」をより包括的に拡大するというものではない。異なっているのは、これまでTRIPS協定の第31条の2(Article 31bis)で定められていた、強制実施権の発動により製造された製品の輸出に関する規定について、この手続きを輸入国にとって、より簡便なものにしたということに限られる。

(2)TRIPS協定の免除の対象は「ワクチン」に限られており、南ア・インドが提案していた、COVID-19の治療・診断・封じ込めに関わる様々な製品の知的財産権は対象になっていない。途上国を含め世界全体でのCOVID-19封じ込めにおいて、診断や治療、予防に関わる様々な物品の知的財産権免除が、ワクチンに劣らず重要なはずである。

(3)対象国については、3月にリークされた「暫定合意案」では「2021年におけるワクチンの総輸出量の10%未満の『途上国』(WTOの定義による)」となっていたが、今回の閣僚宣言では、WTOの定義による全ての「途上国」が対象となっている。ただし、ワクチン製造能力のある途上国については、この閣僚宣言で決定されたTRIPS免除権限を行使しないという拘束力のある誓約を行うことが推奨される、としている。暫定合意案にあった「2021年におけるワクチン総輸出量の10%」以上を輸出していた「途上国」は中華人民共和国しかなく、もともと、この規定は事実上、中国を狙い撃ちしたものであった。今回の「閣僚宣言」をめぐって、最後まで残った論点はこの「対象国」についての規定であって、これをめぐり、米国と中国の協議が長時間にわたって行われ、最終的に「権利は全途上国に認めるが、能力のある国は免除権限を使用しないという誓約を行う」という「オプトアウト」方式に落ち着いた。中国は5月の段階で、「暫定合意案」の「輸出量10%以上」という表記に反対しつつ、条件が整えば、中国はこのTRIPS免除規定を使用しない、と表明しており、米中が最終的にこの形で妥結したことになる。

TRIPS免除提案を支持して活動してきた世界の市民社会は、17日の閣僚宣言の妥結に先だって、この提案に賛成しないように求める声明を世界298団体の署名をえて各国代表団に提出した。また、WTO閣僚会議に参加していた市民社会団体は、会場外などで抗議行動を展開。妥結後には多くの市民社会団体が、閣僚宣言の内容を批判する声明を発表した。

長らく知的財産権と医薬品の課題に取り組んできたエレン・オーエン氏(Ellen t’Hoen)を擁する「医薬品と法・政策」(medinines Law and Policy)は声明で、この閣僚宣言は、南アとインドが提案した意味での包括的なTRIPS免除では全くなくなってしまった、としたうえで、特に対象国について、ワクチンの製造能力を有する途上国に、同決定によるTRIPS免除を活用しない強制力のある誓約を求めるのは、例えば世界保健機関(WHO)が進める、mRNAワクチンの製造技術の共有を促進する「mRNAワクチン技術移転ハブ」などの仕組みに鑑みてナンセンスであり、これが診断や治療などにも適用された場合、問題はもっと深刻になる、と指摘した。

また、米国で公平な医薬品アクセスに取り組む「保健へのグローバル・アクセス・プロジェクト」(Health Global Access Project: Health-GAP)は事務局長であるアジア・ラッセル氏の声明で、「バイデン政権の目標は、安全で質の高いワクチンを出来るだけ早く、多くの人に届けることだ」という米国のキャサリン・タイ通商代表の発言をひいて、「もし、米国の目標がそうだというなら、米国はこの提案を拒否すべきだった」と述べた。

COVID-19の医薬品の公平なアクセスの保障と知的財産権の課題についてのWTOでの議論は、これで少なくとも一時的に幕引きとなるが、今後のパンデミック対策・対応に関して、知的財産権との関係をどうするかは、これで決着がつくわけではなく、この議論は世界保健機関(WHO)に関連して展開されている「パンデミック条約」交渉や、G20財務大臣・保健大臣会合の決定の決定に基づいて世界銀行が設置することとなった「パンデミック対策・対応金融仲介基金」に関わる議論などに土俵を変えて展開されることになった。