アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観
2011年3月29日、「連続セミナー:アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観」第1回では、西原さんにあまり日本人には知られていないアフリカ中央部に広がる熱帯林の自然環境とそこに棲息する野生生物に関して紹介を受けました。
以下は、その時の参加者との質疑応答の記録です。
講演:西原智昭さん
自然環境保全マネージメント技術顧問。コンゴ共和国北部Ndoki Landscapeで活動。WCSコンゴ所属。「GCOE生存学創成拠点:西原智昭」
湿地性草原(バイ)について
熱帯林のそばにありますか?
→熱帯林の中にもとから創生されたもので、先住民などからその存在は知らされ、また実際に彼らのガイドで現場が確認された。その後多くの類似の開けた場所がセスナなどで発見され、その後実際に地上からその存在が確認された。基本的にバイは小川沿いにある。
ミネラルが豊富とのこと、どこからくるのですか?
→マルミミゾウが川沿い沼地をあらして、その小川が栄養源となる。つまり、森が栄養源となっている。三陸の、牡蠣を育てる山の話しと同じ理屈であると考えてよい。
嗜好品以外に密猟を引き起こすほどの象牙の需要がどこにありますか?
1989年からワシントン条約で象牙の国際的取引は禁止されている。’89年以前は国際的な取り締まりはなかった。’89年以前はアジアゾウの象牙も取引されていて、アジアゾウの生息数が壊滅状態になり禁止になったという経緯がある。昨今でも日本・中国には象牙の需要があり輸入を希望しており、南ア諸国が過去の象牙ストックを輸出したいと申し出ている。’89年以降、現在までに限定的に2回南ア諸国から日本あるいは中国に輸出されたが、中国と日本の需要には違いがある。
中国の場合は、象牙の質は問わず、量があって加工できればよく、製品としては印鑑より彫り物・アクセサリーが多い。
日本の場合には、象牙の質に対する固有な需要がある。歴史的には、日本の最古の象牙品はは奈良時代に見られるが限定的な需要であった。江戸時代の鎖国時代にアジアから本格的に象牙が入ってきた。象牙製品が庶民化したのは戦後で印材としてである。もともと印鑑業界は水晶を印材とする山梨で発達した。象牙が入ってくるようになり質も掘りやすさも長持ちもするからと重用されるようになり、象牙業界では、ハード材(アジアゾウかマルミミゾウの象牙で硬く彫りやすい)とソフト材(サバンナゾウの象牙、やわらかくて彫りにくい)という象牙の分類ができた。ハード材が好まれるため、アジア諸国が取引されない姿勢である今、マルミミゾウの象牙がターゲットになっている状態にある。日本は在庫の象牙で彫っている状態にあるはずであるが、その在庫量は年々乏しくなってきているといわれている。昨今、象牙の印鑑への強い需要はない、ということは象牙業界関係者にもわかっている。むしろ彼らは彫り技術に誇りをもとうとしており、象牙という素材自体には強いこだわりをもたなくなるようになってきた。
一方、三味線のバチには古くから象牙が使用されている。とくにプロの方や音にこだわる奏者の方達は象牙のバチを好み、量的に需要が多い。三味線は安土桃山時代に入ってきたが、当時は木のバチであるはずであった。しかし、明治以降に象牙が輸入されるようになり、音色がよく持ちやすい、見た目がよい汗をかいても吸収してくれる、ということで需要が増えた。バチは弾いている際にかけてしまったりするので、ハード材以外の素材は受け付けられていない。バチの大きさを考えるとそれを一丁作るのに象牙一本必要であることが推測される。ハード材であるマルミミゾウの象牙は禁止されてから入ってきておらず(限定的に2度入ってきているのはサバンナゾウのソフト材)、’89年から後、20年間どのように過去の在庫のみでバチの需要に対しやりくりしているかはを知ることは興味深い。果たして、需要に見合うだけの十分な在庫はあるのかどうか。仮に年に一本買い換えるとして、もし1000本が必要ということは、500頭のゾウ分に相当する象牙が必要だということになる。
環境省・通産省が作る日本の象牙管理制度は完全ではなく、違法象牙の入り得る余地がある。国内の象牙の在庫について直接は公表できないとのことなので、これから開示請求して在庫量を調べる必要がある。後ろめたいことがなければ公表できるはずであるが、現状はその在庫量は未知数である。
三味線のバチを使っている人はこうした背景をおそらく知らないだろう。ただ、バチが欠けたから買い換えよう、というレベルにすぎないと考えられる。もしこの背景を知るようになれば、印鑑のように三味線のバチも素材が変わっていくかもしれない。例えばべっ甲も江戸時代からの文化で、歌舞伎界で使用されているが、べっ甲が取引禁止になった今、代替物でやらなくてはならないという方向で動いている。象牙のバチも代替物の方向でいくか、穴のない管理制度を作りなおすことで合法的な在庫のもとで継続していくか、というどちらかの状況になるべきであろう。
熱帯林はどれくらい前にできたのですか。環境的には変化はないのですか?
地球の最後の氷河時代は1万年くらい前で、氷河時代のころは今の熱帯林地帯は草原だった。そこから森林が復活してきたということは、何千年の歴史があるということにほかならない。ただし、根が深くない熱帯林の木は100年くらいで自然に倒れてしまい、木のサイクルは短い。その繰り返しで再生維持されている。
国立公園との境界線には何もないのですか?
国立公園が制定されてから一回、何メートルかおきに金属のマークを樹木などに取り付ける作業を実施した。しかし、草が生い茂る、自然とはずれてしまうなどの状況で、そのマークが見えなくなってしまったりしているので、視覚的な境界線を維持することはたやすくない。大々的に何か境界線を作ろうとなると、道路などのアクセスがないので資材をはこべず、実行するにしても莫大な費用がかかるのでほぼ不可能である。
国立公園を決めた時の基準は?
前提として、コンゴ共和国では村などに私有地があるものの、国家としてはほぼすべてが国有地である。熱帯林地域はもともと人口密度が低く、ほぼ国有地であるといえる。そこを国が区分をしていて、国立公園はその区分の中のひとつとして制定された。調査の結果、その区域が原生林の良い状態で残っていて、人間も今は住んでおらず生物多様性の宝庫であることが分かり、それを政府に報告をした結果、正式に国立公園に制定されたという背景がある。その延長で隣の区域も国立公園にすべき、とアドバイスはできるものの、木材業が国家経済の支えとなるコンゴ共和国では、熱帯林を伐採区として提供し税金を得る方が国策上重要なので、状況は複雑であり容易に保護区を制定するわけにはいかない。
密猟が激しかった地域はゾウが過敏になってくるということは、ゾウはそのエリアを避けるのでは?なぜ人間と衝突するのですか?
ゾウが殺される場所は、バイやその近くなどもともと多くのゾウの集まる場所であり、密猟がかつてあったとはいえ、ゾウはその生態学的に重要な場所を繰り返し訪れる。とくに仔ゾウのいるメスは子どもを守ろうとして過敏になっている。また昔仲間を人間に殺された記憶をもっているゾウはさらに過敏になっている。そうした状況で、あえて衝突というよりも家族を守ろうとして近寄る人間に対して圧力をかけているといってよい。
先住民であるピグミーと企業の話し合いの公平性は?
まだ伐採区がなかったころ、国立公園などを制定したら、先住民が利用できないではないか人権団体からのブーイングがあった。確かにかつてピグミーは国立公園のエリア内で狩猟など行っていたが、綿密な調査の結果900年以上人間が入っていないエリアを国立公園にした場合は、現在の先住民には直接は影響しないので、そうしたブーイングは適当ではないと考えられる。伐採区ができた今、国立公園のおかげで動物が多く残されており、その境界を越えて動物はピグミーの居住エリアにも移動してくる。それは、ピグミーの生活基盤にとっても潤いとなっている。そうした経緯で、現在は、国立公園を制定したことではなく、熱帯林を縮小させていく伐採会社へのブーイングに変化した。
ピグミー達はあまり自己主張をせず、政府に自分たちの文化や土地への主張をしたりしない性質があるが、特に若い世代が個人的な段階での主張をはじめている。ただしかれらの将来について、人権問題・保全活動・伐採業などに従事している外部のどの人間も、ピグミーに何かアドバイスすることはできても決定権はなく、そういった状況の中で生きているピグミー達が決めていくことであることを忘れてはならない。むしろ、われわれ外部の人間が貨幣経済を持ち込んできたことによって、ピグミーの文化が変貌してきているという事実に目を向ける必要がある。その視点でツーリズムや貨幣経済の是非をも慎重に考えていかねばならない。