抗エイズ治療へのアクセス:その過去・現在・未来

-基本的な知識を得たい人のために-

「治療へのアクセス」は、現在、地球規模エイズ問題を考える上で必須のトピックとなっています。この課題を考える上で、HIVや抗エイズ治療について基本的なことを知っておく必要がありますが、日本語になっている簡潔な文書等がなく、あまり適切な情報が得られないのが現状です。そこで、基本的なことをまとめた文章を以下、執筆しました。より詳細なことを知りたい方は、以下に関連サイトへのリンクをつけましたのでぜひとも、そちらを参照してください。

2003年7月 AJF感染症研究会 稲場雅紀

  1. HIVの種類
  2. エイズと抗HIV薬の開発史
  3. 抗レトロウイルス薬の種類
  4. 途上国のHIVと特許権の問題
  5. ジェネリック薬をめぐる攻防とこれからの課題

1. HIVの種類

エイズの原因はHIV(Human Immunodeficiency Virus: HIV)です。このHIVが増殖過程で人間の免疫システムを蝕み、最終的には、様々な日和見感染症にかかって死に至る、というのがAIDSです。

HIVには、大別してHIV-1とHIV-2に分かれます。アフリカを含め、全世界的に感染を拡大させているのがHIV-1で、HIV-2は西アフリカに局所的に見られるウイルスです。HIV-1の方が感染力が強く、HIV-2は比較的感染力も弱く、また潜伏期間も長いと言われています。HIV-1はいくつかのサブタイプに分かれており、例えば、80年代の米国のゲイ・コミュニティを中心に流行し、日本でも同性間性的接触による感染の主流を占めるのがサブタイプB、一方、アジアを中心に流行し、日本では異性間性的接触による感染の主流を占めるのがサブタイプEです。

HIVは、感染しただけでは症状は基本的には出ません。しかし、症状が出ない間でも、HIVは増殖し、免疫細胞は減少していきます。HIV/AIDSの現状の進行段階を知る検査がCD4検査とウイルス量検査です。CD4検査は、免疫機能をコーディネイトする細胞であるヘルパーT細胞の標識というべきものであるCD4の数をカウントする検査で、CD4が少なければ少ないほどAIDSの進行が進んでいるということです。ウイルス量検査は、文字通り、HIVの数をはかる検査です。多ければ多いほど状態が悪いということになります。

2. エイズと抗HIV薬の開発史

抗HIV薬とは、正確には抗レトロウイルス薬(Anti-Retrovirals:ARV)と言います。なぜ抗HIV薬といわないかというと、HIVは「レトロウイルス」というウイルスの一種であり、抗レトロウイルス薬は、HIVだけでなく全てのレトロウイルスに対して効果を持つからです。HIV以外のレトロウイルスで有名なのは、世界の中で西日本を中心に広く感染者を有する成人性T細胞白血病(ATL)の病原体であるHTLV(ヒトT細胞白血病ウイルス)です。

80年代、エイズの原因は何かという話でアメリカ・フランスの研究者が発見にしのぎを削った際、アメリカのロバート・ギャロ博士はHIVがHTLVの一種ではないかと考え、HIVをHTLV-3と名付けたのですが、その固定観念があって真相を発見できず、フランスのパストゥール研究所のリック・モンタニエ博士にHIV発見の先を越されたという事件がありました。結局、どちらが先に発見したかで論争となり、レーガン大統領とミッテラン大統領で手打ちをして、「両方が同時に発見した」という決着をさせたということになりました。(この辺については、ランディ・シルツ著「そしてエイズは蔓延した」(草思社刊。80年代前半におけるエイズの状況が非常によくつかめます。その後、エイズ・アクティヴィズムは非常に面白くなってくるのですが、この辺について日本語の書籍が全く出ていないのは残念です)

さて、この時代、エイズは米国では、ゲイ、ドラッグ・ユーザー、セックス・ワーカーの病気と捉えられていました。当時の共和党レーガン政権は、これらのマージナルなコミュニティに対するネガティブな意識が強く、研究費・対策費をほとんど出しませんでした。しかし、1985年にロック・ハドソンが実はゲイであり、かつ、エイズで死んだことが明らかになったことによって、米国のエイズ政策は大きな転換点を迎えます。大規模な資金を投入しての研究が進んだのです。すると、以前、副作用が強くてお蔵入りしていたガンの治療薬であるアジトチミジン(AZT、またの名をジドブジンZDVともいう)がHIVに直接作用することが分かり、1988年、AZTは抗レトロウイルス薬第1号として市場に出されました。

そのころになると、米国ではゲイ・コミュニティを中心に強力なケア・サポート団体(例えばニューヨークのGay Men’s Health Crisis)、ワシントン連邦政府へのロビー団体、そして患者・感染者(PHA: People Living with HIV/AIDS)の直接行動団体(ACTUP: AIDS Coalition to Unleash Power)という市民社会の三位一体のアドボカシー構造が完成しており、これらが連邦政府に対して、医薬品開発とアクセスに関して、超強力なアドボカシーを展開することになります。その結果、治験や認可が非常に早くなされるようになり、90年代に入ると、AZTと同じタイプの抗レトロウイルス薬が複数、発明・認可されるようになりました。

こうした流れの帰結として、エイズ治療に革命が起きたのが1996年です。AZTを始めとする既存の抗レトロウイルス薬は、HIVの増殖プロセスの一つを阻害する効果しかなかったために、同じ薬を飲んでいるとすぐに耐性ができ、薬を変えてもすぐに効果が失われ、結局、亡くなるというパターンが続いてきました。ところが1996年に、HIVの増殖プロセスに別の方向から作用する二つの新たなタイプの治療薬が認可されたのです。その結果、この3種類を同時に飲むことによって(三剤併用療法:当時はHAART: Highly Active Anti-Retroviral Therapyと呼ばれた)、HIVの増殖を抑え、HIVの数を減らし、かつ、耐性ウイルスの発生を押さえ込む、ということが可能になったのです。その結果、先進国ではエイズによる死亡が極端に減少しました。HIVは先進国においては、治療不能の感染症から、コントロール可能な慢性病へと変わったのです。

問題は、抗レトロウイルス薬は非常に強力な薬なので、副作用が激しいということ(全身に発疹が出るとか、太る、腎臓結石ができる、抑鬱感を生じる等)、また、定時に飲まなければならない、例えば水を1.5リットル一緒に飲まなければならない(インディナビルの場合)など、服薬が困難な面があるということでした。また、耐性ウイルス管理をどうするかという問題があり、当初はHIV完全治癒を目標に「できるだけ早期に、できるだけ強力な」治療を、と言われていたのですが、抗レトロウイルス薬では完全治癒は無理だということが判明するに及んで、なるべく薬剤耐性の出現を遅くするという観点から、治療が必要でない段階では治療は開始しないとか、治療がある程度の効果を上げた場合、治療を中断して悪化のスピードを見る、といった、より緩やかな手法が組み合わせられるようになりました。また、その後、新たな新薬の開発が成果を上げられない中で、研究はむしろ、副作用や服薬の困難さをどう解消するか、といったことにも向けられるようになりました。その結果、より副作用の少ない、もしくは、より服薬の簡単な治療薬が発明・認可されるようになってきています。

3. 抗レトロウイルス薬の種類

ここで抗レトロウイルス薬の種類と効能についてまとめておきます。

HIVは、人の免疫細胞の一つであるヘルパーT細胞に侵入して増殖します。侵入されたT細胞は死滅してしまい、その結果、免疫機能が弱体化していくわけです。抗レトロウイルス薬は、このHIVがヘルパーT細胞に侵入して増殖する際に出す酵素を阻害することによって、HIVの増殖を抑えるわけです。HIVは増殖ができなければ死ぬだけですから、結果として、HIVは減少していき、うまく行けば、検出値以下にまでHIVの数を減らすことができます。このタイプの薬として、

  • ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤(NRTI):AZT、ddI、3TC、d4Tなど(1989~)
  • 非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤(NNRTI):ネビラピン、エファビレンツなど(1996~)
  • プロテアーゼ阻害剤(PI):インディナビル、ネルフィナビルなど(1996~)

があります。逆転写酵素阻害剤とは、HIVが増殖過程で出す「逆転写酵素」を阻害する薬、プロテアーゼ阻害剤はプロテアーゼという酵素を阻害する薬です。これら3種類の薬を、薬剤の効果を確かめながら組み替え、組み替えして飲んでいくことによって、HIVの増殖を抑え続けていくことができます。これにより、HIVはコントロール可能な慢性疾患へと変わっていったわけです。

ただ、ここで「HIVは先進国では克服された」と安易にいうことは禁物です。患者・感染者(PHA)にとって、毎日の服薬や副作用、治療薬の選択、治療の効果が上がっているかどうかを見る診断検査(CD4検査、ウイルス量検査等)はたいへんな負担です。また、いずれにせよ、15年~20年たつうちに耐性ウイルスが登場し、使える薬は限られてきます。とくに、感染してからの期間が長いPHAの人たちの話を聞いていると、まさに自分の体の中で、自らが軍司令官となって最新の兵器を導入しながらHIVとの戦争を展開している、ということがよくわかります。絶え間ない新薬開発は、PHAにとってまさに必須となります。

新薬開発の努力は、市場のある先進国の患者・感染者向けに続けられており、最近は、この3種以外に、同じく逆転写酵素阻害剤として「ヌクレオチド系逆転写酵素阻害剤」(NtRTI)であるテノフォビル、および全く新しいタイプの、そもそもHIVが細胞に入るのを阻害するフュジオン阻害剤というものが発明されてきています。

●エイズ治療薬については、以下のホームページが詳しいです。

厚生労働省エイズ治療薬研究班 https://labo-med.tokyo-med.ac.jp/aidsdrugmhlw/portal

4. 途上国のHIVと特許権の問題

これらの治療薬のほとんどは、先進国のPHA向けに、欧米の巨大な多国籍製薬企業によって開発されています。主要な企業としては、ファイザー、グラクソ・スミス・クライン、ロシュ、ブリストル・マイヤーズ・スキッブ、ベルリンガー・インゲルハイムなどがあります。これらの企業のいうところによれば、治療薬の開発には多額の資金が投入されており、特許権によって発明の権利を守り、きわめて高額の価格をつけなければ割に合わない、というわけです。その結果、これら企業の設定価格では、三剤併用療法をするのに年間150~200万円程度のお金がかかります。

しかし、先進国の場合、公的医療、医療保険、社会保障等の制度が整っており、通常、これらのお金はPHAが個人で負担するのでなく、これらの制度によって公的に負担されている場合がほとんどです。日本の場合、PHAは、その感染経路を問わず、1997年以降、その症状の段階に応じて「免疫障害者」として障害者認定を受け、都道府県の障害者医療費減免制度によって、低価格で治療を受けることができるようになりました。香港、台湾、韓国でも、制度は違いますが抗レトロウイルス治療は低価格で受けられることになっています。
(※欧米の多国籍製薬企業の抗レトロウイルス薬新薬開発の努力は、こうした社会保障の存在する欧米・東アジア等の市場を主な対象として強力に続けられており、この市場で資金の回収や利益を維持することができれば、新薬開発を現状の勢いで継続することは全く可能であるということが言えるでしょう。欧米の多国籍企業の抗レトロウイルス薬の売り上げのうち、途上国での売り上げは非常に微々たるものとなっています。逆に言えば、途上国でインド等によって製造される低価格のジェネリック薬が普及したとしても、それらの薬が先進国に逆輸出されることを防ぐことができれば、欧米の多国籍企業はほとんど損失を被らないということになります。途上国で抗エイズ薬を安く売りに出されると、多国籍製薬企業の新薬開発へのインセンティブが働かなくなり、全体として不利益が生じるというのは、よく言われることですが、そもそもこれら多国籍企業は途上国を市場として認識していなかったのであって、この主張は全体として疑わしいものであると言われています。)

問題は、こうした制度が整っていない、もしくは、公的医療の制度は存在するが抗レトロウイルス治療が対象となっていない途上国の場合です。ブラジルは1997年以降、抗レトロウイルス薬を無料でPHAに供給するシステムを作り上げた結果、エイズ対策に成功しています。しかし、同様の措置をとっている途上国はなく(現状で、ボツワナ政府は米国CDCと連携して抗レトロウイルス薬の無料提供を開始しています)、現状では、途上国でいますぐ治療が必要な600万人のPHAのうち、抗レトロウイルス治療にアクセスしているのは30万人にすぎず、そのうちの半分程度がブラジルのPHA、という厳しい状況です。

HIV感染の拡大に対して、打つ手はないのか……途上国の保健担当者として最初に考えつくことは、治療薬の自国内生産です。しかし、そこにはネックがあります。「特許権」の問題です。1996年、「世界貿易機関」(WTO)が発足し、これに加入するには、先進国並みの特許権保護を義務づける「貿易と知的所有権の側面に関する協定」(TRIPS協定)にも加盟しなければならなくなりました。ブラジル・インドなどは、それまで、公衆の健康のための措置を特許権に優先するため、医薬品に特許権を認めない特許法を有していましたし、アフリカ諸国の多くは国内の特許権関連法の整備が十分に進んでいなかったのですが、WTOへの加盟によって、経過措置はあるものの、2005-6年までに国内特許権関連法の整備を義務づけられることになったのです。その場合、特許権による保護の対象となるのは、それまで医薬品に対する特許権を認めていなかった国の場合でも、TRIPS協定が施行された1997年以降に発明された医薬品は、自動的に特許権によって保護されることになるのです。

ブラジル・インド・タイは、現在、抗レトロウイルス薬のジェネリック薬(特許権を所有する/していた企業以外が製造した、同じ薬効を持つ薬)を製造している途上国です。

ちなみに、この分野でこれまで書かれてきた新聞記事や論文などの中には、致命的な誤りが含まれているものが複数あります。まず、特許法は、その国の国内で適用される法律です。ブラジル・インド・タイは、自国の特許法による保護をうけていない医薬品を、ジェネリック薬として、自国の特許法の枠内で生産してきたのであって、これら三国が、特許権を無視して、もしくは強制実施権を発動して、それぞれの国の特許法による保護を受けている医薬品を製造したことはありません。

これらの国々が、ジェネリック薬の製造・販売(インドの場合、輸出)に踏み切ったことによって、途上国において、特許権保有企業のブランド薬との価格競争が生じ、また、2001年に南アフリカで製薬企業側が特許権裁判を取り下げたこと、WTOのドーハ宣言で、加盟国が医薬品に関して特許の強制実施権を発動する自由が文面上保障されたことによって、途上国におけるエイズ治療薬の価格は急落し、現在では年間300ドルを切るに至っています。もちろん、それでも途上国の貧困層にとってエイズ治療薬は高価格です。これについて、WHOは2002年のバルセロナ国際エイズ会議で「2005年までに、途上国で300万人に対して治療へのアクセスを保障することは可能だ」と宣言、途上国における「治療へのアクセス」への取り組みは、メジャーな課題として、大きくその道を開かれることになりました。そのために各国が立案するエイズ治療プログラムに対して、資金拠出を行っている主要なドナーが「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(GFATM)です。そして、その「治療へのアクセス」の実現を具体的に担保しつつあるのが、インドでジェネリック薬企業によって生産されている安価なジェネリックの抗レトロウイルス薬なのです。また、タイ・ブラジルは、ジェネリック薬の製造技術をアフリカ等に移転することによって、アフリカで抗レトロウイルス薬を製造できるようにするための南南協力を実現しようと取り組んでいます。

5. ジェネリック薬をめぐる攻防とこれからの課題

アフリカ諸国でも、ジェネリック薬の導入は進んでいます。現状では、各国がGFATMにエイズ治療プログラムを提案し、GFATMがそれを承認して提供した資金によって、インドのシプラ社・ランバクシー社製のジェネリック薬を導入して、安価な値段でこれを供給する、という方法が主流です。また、中産階級以上の場合、私立の医療機関でジェネリック薬や、特許権所有企業がディスカウントで提供したブランド薬を購入するという方法が以前から存在しており、現在では、例えば南アフリカで2万人、ウガンダでも2万人の人が、プライベートに抗レトロウイルス治療にアクセスしています。

このジェネリック薬を巡って、新たな争闘戦が展開されようとしています。一つは米国ブッシュ政権が提唱する「エイズ軽減緊急計画」のもとで、アフリカ12ヶ国(+ハイチ・ガイアナ)に5年間で150億ドルの資金が流れ込もうとしていることです。

当初、米国のこのコミットメントはアフリカへの貢献として大きく取り上げられましたが、現在では、ブッシュ政権の欧米大規模製薬企業や新興製薬企業との癒着関係から説明されることが多くなっています。つまり、現在アフリカや最貧国のエイズ治療薬市場を席巻しているインドのジェネリック薬に対して、欧米のブランド薬企業が自己のブランド薬をダンピング輸出できるようにするための「補助金」的な側面が強いというわけです。これを裏付けるように、ブッシュ大統領は先日、この150億ドルの執行責任者として、抗精神薬や生活習慣病治療薬に強い米国の多国籍製薬企業イーライ・リリー社の元CEO、トビアス氏を任命しました。トビアス氏自身はエイズに関する経験が全くなく、また、イーライ・リリー社は共和党への大口献金者として有名であることから、この人事は欧米やアフリカのアドボカシーNGOによって厳しく批判されています。

いずれにせよ、この予算は米国の会計年度2004年から執行されますが、これが本格的に導入されるようになると、対象となっているアフリカの国の抗エイズ治療の状況は一変するのではないかと思われます。すなわち、インドのジェネリック薬が駆逐され、欧米企業による抗エイズ薬市場独占が復活するのではないかということです。「国境なき医師団」(MSF)などは、途上国のジェネリック薬の導入とブランド薬との競合による自由競争が、抗レトロウイルス薬を途上国に入れていく上で必要であると言っていますが、米国のこの計画はこれをご破算にするものとなる可能性があります。

もう一つの問題は、さきのTRIPS協定が、インド・ブラジル・タイの3ヶ国が作ることのできるエイズ治療薬の種類を事実上限定しているということです。インドは、2005年までは医薬品に特許をかけない特許法が維持されるので、今のところ、法的にはどんな治療薬でも作れるわけです。しかし、2005年になると、1997年以降に発明された抗レトロウイルス薬については、強制実施権を発動しなければ、製造することができなくなります。ブラジル・タイは、すでに1997年以降に発明された抗レトロウイルス薬を自国内でジェネリック薬として生産することは法的にできない状況になっています。

先に見たように、抗レトロウイルス治療の革命は1996年に起きています。ですから、ブラジルはなんとか、その年に発明されたNNRTIとPIそれぞれ一剤ずつ(ネビラピンとインディナビル)を自国内生産しています。しかし、これら二剤は、最初に発明された薬ですから、副作用が強く、服薬が困難な過酷な薬です。その後開発された、より服薬が簡単な薬、副作用が弱い薬などについては、TRIPS協定により、自国内生産は不可能となっているのです。

現在、アフリカで導入されている抗レトロウイルス薬の主流は、NRTIである3TCとd4T、NNRTIであるネビラピンで、インドのジェネリック企業により生産されたものです。たとえばナイジェリアでは、これら3剤を一ヶ月1000ナイラ(=1000円程度)で供給するというプログラムが、全国25箇所のARVセンターにおいて実現しつつあります。しかし、3TC、d4T、ネビラピンの3剤の併用療法では、おそらく早晩、耐性が生じ、これで治療をうけられるようになっても、5~6年しかもたないという状況になるでしょう。では新しい薬はあるのか。1997年以降に発明された薬をジェネリック薬として生産することは、TRIPS協定の壁に阻まれ、法的に不可能です。さりとて、強制実施権の発動(ある企業が持っている特許権を、政府が強制的に別の企業に付与すること)は、アメリカを中心とする先進国の圧力に阻まれ、事実上、非常に困難となっています(ブラジルですら、ブランド薬企業との価格交渉で相手に対して強く出るために「強制実施権の発動」をにおわせたことはあるものの、実際に行使したことはありません)。

こうした意味で、途上国における「治療へのアクセス」の問題は、TRIPS協定に代表される世界規模の「知的所有権保護」の構造それ自体の是非の問題と、将来的に大きく絡んできます。治療薬はあり、その製造技術もある、ところが、「法的に」治療へのアクセスが阻害される、ということが将来的には生じてくるわけです。先進国の市民社会が、どの立場に立脚し、どう行動するかが問われてくることになるだろうと思います。(以上)

【附記】2017年2月 稲場雅紀「「治療アクセスと知的財産権の闘い」の歴史と現在=映画「薬はだれのものか」から何を学ぶか=」を収録しました。 → 「治療アクセスと知的財産権の闘い」の歴史と現在=映画「薬はだれのものか」から何を学ぶか=