南アの市民社会理論家に聞く:コロナ関連知的財産権の免除はなぜ必要か

南の世界に「自らの課題を自ら解決する」という尊厳を認めよ
=南・東アフリカ貿易問題・交渉研究所(SEATINI)リアズ・ハーリド・タヨブ氏に聞く=

講演するリアズ・タヨブ氏

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンが急ピッチで実用化され、一部先進国や産油国などの高所得国を中心に、すでに接種が開始されている。これら高所得国が製薬企業との間で大量のワクチンを事前買取契約によって買い占めているため、このままでは途上国の人々がワクチンにアクセスできるのは2023年以降になる、といった予測も出てきている(注1)。途上国にワクチンを供給するための国際協調の枠組みとして、ACTアクセラレーター(COVID-19関連製品アクセス促進枠組み)の中に設置されているCOVAXは、設定しているカバー率が人口の2割と低く、資金不足もあって十全に役割を果たせていない。業を煮やした途上国は、南ア・インドを筆頭に11ヶ国が、COVID-19収束までCOVID-19の予防・封じ込め・治療に関わる知的財産権を免除することを求める提案(以下「南ア・インド提案」)を世界貿易機関(WTO)に提出し、100ヶ国以上の途上国の支持を得るに至っている。

南アフリカ共和国(南ア)は、この提案を正面から掲げ、ジュネーブで行われるWTOの貿易関連知的財産権協定(TRIPs)理事会でも、先進国と真正面から切り結んでいる。共同提案国11ヶ国のうち、アフリカはモザンビーク、ジンバブウェ、エスワティニ王国、ケニア、エジプト、南アと半分以上を占める。また、WTOのアフリカブロック43ヶ国は、同提案への支持でまとまっている。アフリカは何を目指すのか、また、アフリカの市民社会はどのようなビジョンを持っているのか。アフリカ市民社会きっての貿易問題の理論家リアズ・ハーリド・タヨブ氏に聞いた。リアズ氏は現在、南ア・リンポポ州の州都ポロクワネで、南北格差と貿易・経済に関する調査や提言を行う「南部・東部アフリカ貿易情報・交渉研究所」(SEATINI)の事務局を担っている。前職は貿易や開発の課題に調査とアドボカシーで切り込むNGO「第3世界ネットワーク」のアフリカ代表で、ジュネーブに駐在して貿易・投資や開発の問題に取り組んでいた人物である。

(アフリカ日本協議会(AJF))南アフリカ共和国は、WTOでアフリカグループや途上国をまとめ、「知的財産権保護免除」の提案で先進国に立ち向かっていますね。南ア政府は一枚岩と言えるのでしょうか。

(リアズ)外からはそう見えるかもしれませんが、南アは決して「一枚岩」というわけではありません。南アはここ数年の経済の落ち込みで国内総生産に対する債務比率が危機的なレベルまで上昇し、緊縮財政を余儀なくされています。製造業の大部分は欧米資本やそれと連なる白人資本の所有で、輸出志向、グローバル志向が強く、南ア自身の発展には関心が低いのが現実です。貿易や投資の障害になることを嫌う傾向が強いのです。南アの医薬品やワクチン産業は力がないうえ、外国資本の系列下にあり、知的財産権保護を緩和して国内生産を強化する意思に乏しい状況です。共同提案国であるインドと南アには大きな違いがあります。インドには、国内資本が所有する強力なジェネリック薬産業があり、知的財産権保護の緩和が資本の利益に直結するので、この課題でも政府と産業界の連携が図れるのです。しかし、南アはそうではありません。

(AJF)では、この動きは政府主導と考えて良いのでしょうか。

(リアズ)はい。南ア政府の中でこの提案を主体的に推進しているのは通商産業競争省(Department of Trade, Industry and Competition: DTIC)です。DTICは長年、医薬品アクセスの問題に取り組み、個人的にも強い意思をもって取り組んでいるエブラヒム・パテル通商産業大臣に率いられ、強い意思を持って取り組んでいます。また、南アの外交的な立場を強固なものにしようとする外交・協力省もこの提案を強く支持しています。市民社会はと言えば、HIV治療へのアクセスに取り組んできたHIV陽性者団体「治療行動キャンペーン」(TAC)、民衆の保健アクセスの権利を規定とした憲法第27条にちなんだ「セクション27」、「ヘルス・ジャスティス・イニシアティブ」、南アで多剤耐性結核に関するプロジェクトなどを実施している「国境なき医師団・南アフリカ」などの市民社会は、通商産業競争省を支持し、積極的に取り組んでいます。

(AJF)COVID-19に関わる知的財産権の免除によって、何が実現できる可能性が出てくるのでしょうか。先進国は「知的財産権は問題ではない」などと主張しています。

(リアズ)最大の課題は、アフリカが自ら医薬品やワクチンを製造し、供給することができるようにする、そのための能力を強化する必要がある、ということです。現在、南アのみならず、アフリカでは、南アを始め、アフリカでは医薬品やワクチンを広範な民衆にアクセス可能な形で製造・供給する能力が不十分です。開発された製品を知的財産権で独占し囲い込むのではなく、技術を広く共有し、製造・供給できるようにすることが必要です。また、南アだけでなく、周辺諸国を含めて、「地域レベルでの取り組み」を強化する必要があります。南アは現在、国境を閉ざしているが、医薬品の製造能力の強化という視点から見れば、国単位でなく、地域単位で取り組んだ方が、経済規模も拡大し、各国が対抗して破壊的な競争をする必要もなくなります。実際、モザンビークとジンバブウェは自国でエイズ治療薬を製造しています。今回の南アのWTO提案は、モザンビーク、ジンバブウェ、エスワティニ王国が共同提案国となっていますが、こうした国際機関への提案のみならず、現実に医薬品の生産能力を共同で増やし、地域レベルでニーズを満たすような連携が必要だと思います。

(AJF)先進国は南ア・インド提案に反対する理由として、「ACTアクセラレーター」や、そのワクチン・パートナーシップである「COVAX」を設立して「公正なアクセス」に取り組んでいることを上げています。

(リアズ)南部アフリカはHIV/AIDSを経験し、一つの教訓を得ました。それは、この課題の解決には「二つの速度」が必要だという教訓です。まず、「第1の速度」は、緊急の医薬品ニーズにこたえること、「第2の速度」は、保健サービスを人々に公正に届けられるように、医薬品の製造・供給能力を含む保健システム、保健インフラを構築していくという、時間のかかる厳しい仕事です。これは「公正さ」の在り方にも関わっています。もちろん、緊急のニーズへの「対応的公正」(reactive equity)は必要ですが、アフリカが自ら学び、イノベーションを実現する能力を強めることにはつながりません。アフリカのイノベーションと地域での製造・供給能力の増大によって、自らの保健ニーズを自ら満たす「積極的公正」(proactive equity)こそがより重要なのです。

(AJF)その意味で言うと、南部アフリカはエイズとの闘いにまだ勝利していないということでしょうか。

(リアズ)はい。南アはまだ、エイズ治療薬についても、広範な民衆にこれを供給する能力を得ていません。この意味で、エイズとの闘いに「敗北している」とすら言いうるのです。確かに、米国の「大統領エイズ救済緊急計画」(PEPFAR)などで、治療薬がHIV陽性者に無料で供給され、当座のニーズは満たされました。しかし、自ら医薬品を生産・供給する能力は育っておらず、援助や輸入に依存する状況は変わっていません。欧米先進国は、知的財産権保護の世界化で自らの開発した製品を独占しつつ、巨大な援助の仕組みを作って、南の世界を依存させ、市場を確保しているわけです。資本主義の必然である競争と知的財産権による独占は、競合する企業の間に猜疑心を生み、人々が真に必要とする医薬品を協力して開発し供給する新たな仕組みを作ることを阻害しています。このような、独占と相互不信に基づいた仕組みによって、COVID-19や、これから来るパンデミックにグローバルに立ち向かうことができるでしょうか。私は、そうは思いません。

(AJF)北の世界の一画を構成する日本の市民社会は、「知的財産権免除」を求める南ア・インド提案や、南の世界の主張にどう向き合うべきでしょうか。

(リアズ)まず、日本を含め、北の世界が例えば今回の南ア・インド提案に反対することによって、南の世界を害することを止める、ということが必要です。不公正な貿易ルールを変革することによって、南の世界は、特に公衆衛生の分野では、「自らが直面する課題を自ら解決する」という尊厳を、確立する道が開けるのです。言い換えれば、世界化された知的財産権保護という、グローバルな資本主義の基本的ルールが変革されなければならないのは、まさに、それが南の世界の自立と尊厳の確立を阻害するからなのです。そのうえで一つ言いますと、日本は独自の技術と能力を持つ国です。その日本に、ぜひ、南の世界と技術の共有を進めてほしいのです。アフリカ、アジア、ラテンアメリカは歴史的に、世界の進歩に貢献してきました。イノベーションとは、本来、研究・開発に金を撒いたらこんなことが出来ました、という程度のものではないはずです。信頼の構築と健康のための技術によってもたらされる利益の共有に基づく、公正なイノベーションのためのシステムが、COVID-19パンデミック下の今こそ、必要なのです。

(注1)英エコノミスト誌調査ユニット(Economist Intelligence Unit)More than 85 poor countries will not have widespread access to coronavirus vaccines before 2023
https://www.eiu.com/n/85-poor-countries-will-not-have-access-to-coronavirus-vaccines/