米国の援助停止と同時並行で進む米国国立衛生研究所(NIH)・米国疾病管理センター(CDC)の組織破壊・再編

世界は米国抜きでエイズ・結核・マラリアの世界的再流行に備えよ

米国トランプ政権は1月20日の発足早々に米国の援助の殆どを停止、米国国際開発庁(USAID)を廃止したことで、大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)、大統領マラリアイニシアティブ(PMI)および結核に関する米国の各種プログラムが全て実質上停止し、途上国の現場ではすでに大きな影響が及んでいる。米国の援助停止の影響は時間がたつに連れて徐々に大きく表れてくるものと想定される。国連合同エイズ計画(UNAIDS)は、米国の援助停止によって、2029年までに、HIV感染者が最大660万人増加し、HIV関連死も最大420万人増加すると予測する。

薬剤耐性ウイルス発生の恐怖

HIVに関する援助停止の影響は、感染拡大とエイズ関連死の増加にとどまらない。大きな懸念は、これまで治療にアクセスできていた人々が大量に治療アクセスを失うことで、既存の治療薬への薬剤耐性を持つHIVが大量に生じ、既存の治療薬の有効性が失われてしまうことである。実際、2010年の「医薬品特許プール」設置を嚆矢として、エイズ・結核・マラリアの新しい治療薬に関しては「知的財産権」という障壁が実質上取り除かれ、PEPFARやグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)が新薬の安価なジェネリック版を定期的かつ大量に供給することで、途上国でも、インテグラーゼ阻害剤の一つである「ドルテグラビル」をベースとする治療が実現することになった。PEPFARの停止が極めて危険なのは、これまで治療を受けていた大量の人口が、ドルテグラビル多剤併用治療へのアクセスを失うことによって、ドルテグラビル耐性を持つHIVが大量に生じることである。実際、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のマックス・マクルア氏とモニカ・ガンディ氏は英ランセット誌の論文「米国の資金削減後のHIV・結核の薬剤耐性の恐れ」(Threat of HIV and Tuberculosis resistance after US funding cuts)で、ドルテグラビル耐性を持つHIVが大規模に拡大した場合には、短・中期間におけるHIVの感染率と死亡率の拡大といった現象を越えて、中長期的に、不可逆的な形で、これらの疾病を管理する方法を奪われることになる、と強く警告している。

進む米国CDC・NIHの組織破壊・再編

薬剤耐性の出現に関して重要なのは、薬剤耐性を持つ病原体の出現状況を適時把握して、これらを抑制する手段を講じること、および、新薬の開発を促進することである。HIVについては、UNAIDS、WHOおよび米国疾病管理・予防センター(CDC)などの連携により、レベルの高いサーベイランス(感染動向調査)体制が敷かれてきた。また、新薬開発に関しても、数百万人の陽性者が先進国に在住し、膨大なHIV治療薬ニーズがあること、および、公的保険や社会福祉制度の適用により、製薬企業に膨大な収入がもたらされることもあって、結核・マラリアやその他の感染症に比して、極めて速いスピードで新薬の開発がなされてきた。しかし、米国トランプ政権の政策は、ここにも暗雲をもたらしている。米国CDC、および新薬開発の基礎研究等に多額の資金を供給してきた米国国立衛生研究所(NIH)において、大規模な予算削減と、感染症対策を弱体化する組織再編が急速に進められているのである。

米国立衛生研究所のロゴ

2025年6月9日、NIHの職員や元職員合計484人が署名した「ベセスダ宣言」(ベセスダは国立衛生研究所の所在地で米国の首都ワシントンDCの北西に位置する)は、トランプ政権下で急速に進められるNIHの破壊の規模を物語る。同宣言によると、トランプ政権発足以来、金額にして95億ドル(約1兆4千億円)、件数にして2100件の調査研究案件が打ち切られ、26億ドル(約3700億円)分の契約が破棄された。また、5000人以上の職員が解雇されている。これらにより、長年の研究の成果が台無しになるとともに、研究の参加者の健康にダメージを与え、国際的なネットワークに支えられた研究の土台も破壊している。調査研究案件の廃止は、独立した査読プロセスによる評価等とは関係なく、トランプ政権の政治的な志向に沿って強制的に行われている。

また、NIHは5月7日、外国の研究機関が資金の一部を受領して事業を実施する「サブアワード」を含む調査研究案件を全て廃止することを決定した。医薬品の研究開発やアクセスの促進に取り組む市民社会団体「治療行動グループ」(Treatment Action Group: TAG)、国境なき医師団等の調査によると、この措置によって、例えば南アフリカ共和国では、HIV関連の臨床試験27件、結核関連の臨床試験20件が廃止のリスクに直面している。これらの案件が打ち切られれば、南アの研究機関で数百人が解雇され、臨床試験の参加者も健康上の問題に直面することになる。

CDCの「国際保健センター」廃止を検討

米国CDCのロゴ

さらに、トランプ政権が連邦議会に示した2026年度の予算計画では、NIH予算の40%を削減し、27あった内部機関を8に統合再編することが示された。一方、米国CDCについては、予算の53%が削減されるとともに、人員や権限が、新たに設置される「健康なアメリカのための行政機関」(Administration for a Healthy America: AHA)に移行されるため、職員数も1.3万人から7500人に削減される。

米国CDCについては、トランプ政権発足早々の1月下旬に、ウェブサイトの一部が停止され、公開されていた一部データの閲覧ができなくなったほか、1960年以来毎週発行されていた「疾病・死亡週報」(MMWR)の発行が中断されるなど、不穏な動きが相次いだ。また、トランプ政権がWHOからの脱退を表明し、WHOへの資金拠出を停止したことにより、米国CDCとWHOの連携・協力が遮断された。その結果、CDCとWHOの連携で維持・発展してきた感染症に関する国際的なサーベイランス能力が著しく低下することとなった。さらに、トランプ政権の2026年度予算計画では、CDCの国際的な活動を統括していた「国際保健センター」(Global Health Center)が廃止され、国際保健活動の予算も7.1億ドルから2.4億ドルに削減されることとなる。これに先立って、4月1日、CDCの国際保健センターに所属していた「妊産婦と子どもの健康」部門(Maternal and Child Health Branch)が閉鎖された。この部門は、HIVの母子感染の防止等に取り組み、現在も世界で30万人の子どもと38万人のHIV陽性の妊婦に治療を提供していた。

世界は米国抜きで「エイズ・結核・マラリアの世界的再流行」に備えを

HIVをはじめとする感染症の新薬開発に大きな役割を果たしてきたNIHと、WHOとともに世界の感染症サーベイランスを担ってきたCDCの予算・人員削減と、極めて政治的に遂行されている組織破壊・再編は、援助停止によって進行するHIV治療停止と、これによる薬剤耐性ウイルスの発生・拡大という新たな事態に対して、世界が適時にこれを把握し、即応する能力を各段に低下させている。世界は米国抜きで、数年後ほぼ確実に来る「HIV・結核・マラリアの世界的再流行」に対処する準備を進めなければならない。