報告書への健全な批判と議論の深化なしには
改革への道は開けない
「国主導での保健システム強化」がビジョン
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックを踏まえ、グローバル・ヘルスのニーズや世界経済の構造変化、国際的な開発資金の構造の変化の中で、どのように国際保健の諸システムを再設計していくか。これを模索する枠組みの一つが、2022年に組織された「国際保健イニシアティブの未来」(FGHI:Future of Global Health Initiatives)である。このイニシアティブについては、当コーナーの7月25日の記事にて概要を紹介した。FGHIは8月17日、その内部機関として設置された「調査コンソーシャム」(Research Consortium)が取り纏めた調査報告書をウェブサイトに公開した。
「調査コンソーシャム」はジュネーブ大学、スコットランドにあるマーガレット女王大学(Queen Margaret University)、南アフリカ共和国の西ケープ州にあるステレンボッシュ大学、パキスタンのカラチにあるアガ・カーン大学およびセネガルのシェイク・アンタ・ジョップ大学(Cheikh Anta Diop Univdrsity)が主導する枠組みで、この報告書は総勢200人の専門家が参加してつくられたという。報告書はまだ、FGHIのガバナンスを担う運営グループ(Steering Group)の承認を得たものではないが、今後、これをたたき台として、運営グループメンバーや、より幅広いステークホルダー間での議論に供されることになっている。まずは、8月28日から9月1日まで開催される世界保健機関(WHO)のアフリカ地域委員会の年次会合で討議された上、10月4-6日に英国のウィルトン・パークで、また、11月26日にザンビアのルサカで、これをたたき台としたFGHIとしての対話が開催され、提言内容のアップデートが行われることとなっている。
報告書は全部で75ページあるほか、インタビューや各国での調査結果など12の別添資料を有する大部のものである。この報告書では、現在、資金を媒介に途上国の保健に大きな影響を与えている国際保健イニシアティブとして、グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)、Gaviワクチンアライアンス、子ども・女性・若者のための地球規模資金ファシリティ(GFF)、UNITAID(国際医薬品購入ファシリティ)、感染症対策イノベーション連合(CEPI)、革新的新規診断技術協会(FIND)の6つを対象に分析を行い、今後の国際保健における国際保健イニシアティブの在り方についての提言を行っている。その目的は、現代世界の構造変化や危機の在り方の変化(気候変動、環境汚染、地政学的対立の深化など)、開発援助に関する資金動向の変化、非感染性疾患(NCDs)のインパクトの拡大などの保健不可の変化などに対応して、国際保健イニシアティブの役割をどう変えていくかということにある。ビジョンとして設定されているのは、国際保健イニシアティブが、各国の優先課題とニーズおよび国レベルでの強くしなやかで持続可能な保健システムの構築を通じて、国が主導するユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成と各国の人口規模の保健と福利の増進にどのように効果的に寄与できるか、ということである。
「国主導」を掲げつつ、政府・国家の在り方に関する分析は不在
この報告書の中心をなす考え方は、2か所に渡って2005年の「援助効果に関するパリ宣言」に言及がある通り、基本的に、被援助国の開発を最優先とし、国家(政府)によって形成された戦略を、援助国・援助機関が調和化と調整によって効果的に支える2000年代の「援助効果」である。この考え方は援助の本来の在り方としては正しいものではある。しかし、2000年代に英国労働党政権や欧州諸国、および市民社会によって支えられたこの考え方と、それに基づく援助は、2008年のリーマン・ショックとそれに続く世界金融危機で支持を失い、「援助効果に関するハイレベル・フォーラム」は2011年の韓国・プサン以来開催されていない。開発資金についての考え方は、新興国の経済成長や民間資本の成長に伴って、公共と民間の資金をどう連携させるか(ブレンデッド・ファイナンス)や、政府が焦点を当ててこなかった底辺層・脆弱層の人々のエンパワーメントをどう実現するかといった観点から、政府のみを主役とするのでなく、市民社会やコミュニティ、民間セクター、民間財団を含めた「マルチ・ステークホルダー」によるアプローチに変化している。民間セクターも途上国でのロビー活動を強化し、企業利権が途上国の意思決定に反映される可能性は以前より強まっている。援助国の多くは、新たに援助国となった経済規模の大きな新興国を含めて、2000年代よりも、自らの外交的利益や利権確保に回帰する傾向にあり、また、被援助国も経済成長とともに、権威主義的な体制を確立する傾向にある。このような状況においては、「国主導」で形成する戦略が、その国の本来の保健ニーズに基づき、適切な形でその国の人々の保健と福利のための保健システムを形成するものになるかどうかには疑問符が付く。
さらに、世界全体で生じている保守化の流れの中で、ジェンダーやSRHR、LGBTIQなどをめぐる各国の世論は、中南米などを除いて後退局面にあり、各国政府が主導して保健政策を形成した場合、脆弱層の保健が中心的に位置づけられるとは考えにくい。2000年代の「援助効果論」は、それから20年を経た現代には通用しない。FGHIは「自らのマンデートから外れる」というのであろうが、本来、国際保健イニシアティブの役割の検証に当たっては、前提として、2000年代の援助効果論のような「古き良きセオリー」を持ち出すのではなく、時代と環境の変化を分析し、「2020年代の現実を踏まえた国家論」を形成することこそが必要なのである。
NCDsの増大、薬価の高騰…グローバル資本の分析も不在
この報告書のもう一つの課題である、「疾病負荷の変化」にどう対応するかについても、重要な認識論的課題がある。非感染性疾患(NCDs)やメンタルヘルスは、そもそも90年代~2000年代に国際保健イニシアティブが相次いで形成された時期から、DALYS(障害換算生存年)などを見てもわかるように、統計的には感染症と同様の負荷があった。この報告書では、NCDsの増加の原因を世界的な高齢化の進展においているが、G20等でも取り上げられている「子どもの肥満」の課題などを見てもわかる通り、NCDs増加のもう一つの理由として、途上国における都市貧困層の増加と、この人口層における生鮮食料品など「安全な食」へのアクセスの困難を見る必要がある。これら都市貧困層においては、多国籍のフード・ベバレッジ産業やこれと結びついた地元フード産業が廉価で販売するジャンクフードや清涼飲料水への依存が、途上国のNCDsをシステム的に増大させており、これがいわゆる「肥満とNCDsのシンデミック」と言われる現象となっている。途上国における疾病負荷をNCDsの方向に大きく誘導しているのは、平均寿命の向上や高齢化以上に、都市化とグローバル資本の展開であるということができる。
また、報告書では、エイズより結核の方が疾病負荷が大きいのに、「グローバルファンドは、より多額の資金をエイズに投入している」との記述がある。この素朴な比較は、エイズと結核という二つの病気と資本、社会との関係をみていない。エイズ治療薬は種類も結核薬より格段に多く、価格も高い。また、医師・専門家主導で対策が組み立てられてきた結核に対して、市民社会・コミュニティの動員で病気に立ち向かってきたエイズは、関係するステークホルダーの数が格段に多い。その中で、途上国において、医師・専門家主導の結核対策の在り方を変え、市民・当事者コミュニティのエンパワーメントに乗り出し、結核に関するステークホルダーの育成・拡大に努めているのは、エイズ・コミュニティなのである。
これらを見れば、国際保健イニシアティブのあり方を検討する前提として必要なのは、国家論に加えて、2020年代のグローバル資本論なのであるが、FGHIは「それは我々のマンデートにない」というのであろう。国家の在り方、資本の在り方が大きく変化している現代においては、国際保健イニシアティブの在り方を考えるにも、「保健を超えた」視点が必要であって、それがなければ正しい処方箋が書けず、失敗の歴史を繰り返すことになりかねない。
「なぜ、こうなったのか」の分析も不在
報告書では特に、国際保健イニシアティブの中でも資金力の大きいグローバルファンドの問題について特別に触れられている。曰く、各国の保健ニーズに対して、エイズ・結核・マラリアを優先し、国レベルの保健システム強化に貢献していない、各国の保健制度の外に別のシステムを作っている、ドナー主導である、理事会が大きく、十分機能しておらず、南の声を吸い上げていない、といった内容である。一方、世界銀行主導の「女性・子ども・若者のための地球規模資金ファシリティ」(GFF)は、国のシステムを強化することに一定機能しているとして評価されている。これについては、この報告書を執筆した「調査コンソーシャム」が集めたインタビュー等での証言が、その背景や主張の正当性などを検証することなく、結論ありきで編集されていることに一つの問題がある。ただ、それ以上に問題なのは、グローバルファンドなど国際保健イニシアティブを取り巻く政治的な環境が充分に分析されていないことである。
グローバルファンドは2002年に日米の主導によって設立されたが、この際強調されたのは、「国連機関のような官僚主義にとらわれず、スピード感を持って資金を投入し、事務局はなるべく小さくして運用・間接コストを減らす」ということであった。また、その頃主流であった援助効果論をベースに、各国が三大感染症戦略を実施するうえで必要な「追加資金」を供与するという役割規定にそって、特に2代目のミシェル・カザツキン事務局長(フランス)の時代には、援助効果に対応する戦略形成が強力に進められた。ところが、リーマン・ショックを経て、西アフリカのマリでの資金流用疑惑に対する報道をきっかけにグローバルファンドは大改革を強いられ、各国の案件管理の重点化と、3年ごとの増資で得られた資金を各国に配分する「新資金拠出モデル」(New Funding Model)に基づく資金メカニズムへと大きく変貌を遂げた。この中で、人権やジェンダー、最脆弱層への資金拠出の重要性への認識がさらに拡大し、市民社会・コミュニティ組織への資金配分がより積極的に行われるようになったのである。国際保健イニシアティブは、時代に応じた国際環境の変化に大きな影響を受け、変化し、多義性を含んだ複合的なものになっていくわけだが、その変化には必ず「理由」と「経緯」が存在する。こうした理由や経緯、それをもたらした力関係について、その機関の歴史に内在する形で分析することなしに、正しい改革を組み立てることはできない。
歴史の繰り返しを避けるためには
この報告書には、COVID-19を経た「パンデミック予防・対策・対応」(PPPR)の重要性が反映されていない、また、ゲイツ財団や、FGHIの事務局を担うウェルカム・トラストといった巨大民間財団をはじめとする、保健に関するステークホルダーの政治的関係などについての分析が弱いなど、他にも多くの問題点が存在する。これらの問題点を含め、FGHIの今後のプロセスにおいて、この「報告書」が依拠する考え方や分析の在り方についての批判がしっかりと表明されることが必要である。この報告書に基づいてこのまま改革がなされれば、資金の配分の在り方を変えるだけで、国際保健への取り組みの縮小再生産に道を開くことにつながりかねない。