Japanese support for Africa and Fisutula Issues
『アフリカNOW』86号(2009年11月30日発行)掲載
執筆:中山 道子/NAKAYAMA Michiko
なかやま みちこ:東京大学法学部卒業。ハーバード大学公衆衛生学修士。海外不動産投資コンサルタント。2005年フィスチュラジャパン(現ハムリンフィスチュラジャパン)を創設し、代表を務める。以来、2008年11月の日本母性衛生学会メインシンポジウムや、2009年10月の対日アフリカ外交団定例会などで、産科フィスチュラ問題についてプレゼンを行う。
自分の出産をきっかけとして
医療問題などまったく縁のなかった私ですが、産科フィスチュラ問題にかかわるようになったのは、2004年の自分の妊娠がきっかけでした。このときアメリカに在住していた私は、テレビのインタビュー番組で、キャサリン・ハムリン(Catherine Hamlin)さんという産婦人科の医師の話をたまたま耳にするということがありました。そのときは、「アフリカなどの途上国には、出産を機に赤ちゃんを失い、糞尿が垂れ流しになってしまう人がいるとは。すこし寄付しよう」といった程度の気持ちで、この情報を受け流した私でしたが…。
その数ヵ月の後の経過は順調でした。
2005年春になって、子どもとの生活にひと段落がつくと、私は、フィスチュラ病院のイギリスの支援団体に小額の寄付をし、応援のメールを送りました。そのときは、それで自分の役割を終えたつもりでした。ところがそれがきっかけとなり、産科フィスチュラを支援する団体を日本で設立するように、病院のほうから依頼してきたのです。アジアでは、まったく支援や理解の輪が広がっていないのだということでした。そのとき私は、次のように思いました。
日本語で産科フィスチュラについての情報を探しても、インターネット上ではまったく見つからない。英語の文献はたくさんあって、生涯を産科フィスチュラの治療にささげてきたハムリン医師のような方もいるのに。多少、英語の文献を翻訳するくらいなら、私でもやらないよりはやったほうがましなのかもしれない。アフリカや世界、日本にも問題を抱え、悩んでいる人は多数いるが、エイズ、マラリア、失業やうつなどは、一応はイシューとして多くの人たちから認知されている。FGM(女性器切除)も、有効な対策はなかなか出てこないが、少なくとも日本に紹介されている。それなのに、産科フィスチュラは、日本において興味すらもまったく持ってもらえていないなんて、と。
産科フィスチュラ問題についての 認識の広まり
医療問題はもとより、アフリカ支援や途上国問題についても門外漢の私が、産科フィスチュラについては、立場上、専門家然として活動をしなければいけないのですから、私も薄氷ものです。しかし、『アフリカNOW』71号(2005年11月25日発行)に、「産科フィスチュラとは何か」という論考を寄稿し、アフリカ関係者にもこの問題について「知ってもらう」第一歩にしました。
人口関係の問題についてのひとつのランドマーク的な意味を持つ1994年のカイロ会議においては、FGMの問題は大きく取り上げられたようですが、産科フィスチュラの問題についてはまったく言及がなされませんでした。
私が英語圏について行ったリサーチから判断すると、この問題がブレイクしたのは、2002?2003年以降で、国連人口基金(UNFPA)の”End Fistula Campaign”(1)が発足した頃からでした。2003年5月16日付けの”The New York Times”紙には、ピュリッツアー賞を2度受賞したジャーナリスト、ニコラス・クリストフ(Nicholas D. Kristof)さんによる、産科フィスチュラについて言及した最初の論説”Alone and Ashamed”(2)が発表されています。
英語圏では、こういったブレイクスルーをきっかけとして、多くの団体が、産科フィスチュラ問題に関与していくこととなりました。「有名」な事例をあげてみると、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団が、ニューヨークに本部のあるNGOであるEngender Healthに、アフリカの産科フィスチュラ解決のために2003年から4年にわたって300万米ドルを拠出したり、アメリカの有力トークショーのホスト、オプラ・ウインフリーさんが、ハムリン・フィスチュラ・ホスピタルのための資金集めに奔走し、彼女の名前を冠した棟が増設されるなど、産科フィスチュラ問題は、より広く認知されるようになりました。
産科フィスチュラ問題と日本人
それに対して日本では、私が事情を調べた2005年当時、インターネット上での産科フィスチュラ問題についての情報はほとんど皆無で、大学などにおいて、FGMに準じて付随的に教えられる程度で、限られた認知にとどまっていたように思われました。先進国でも産科フィスチュラは見受けられますが、多くの場合、放射線治療の副作用として小さな孔が開いてしまうといったレベルの話として起こりうるというだけで、症例が少なく、また、孔のサイズや症状もアフリカなどにおける病状とは比べ物になりません。医学部では産科フィスチュラについて、あまり教える必要がないと認識されているようで、産婦人科医であっても、産科フィスチュラについてはほとんど知らない方も多いようです。
対アフリカ支援の関係者の中でも、「聞いたことがない」という声を聞くことがあります。ネパールやバングラデッシュなどのアジアの貧困・過疎地域でも産科フィスチュラが広範に分布しているのにもかかわらず、この問題についてのアジアとアフリカの交流は限られたものでしかないという印象を持っています。
ハムリンフィスチュラ インターナショナルについて
私が代表を務めるフィスチュラジャパンは、2008年に名称を変更し、ハムリンフィスチュラジャパンになりました。これは、キャサリン・ハムリン医師が率いるハムリンフィスチュラインターナショナル全体の世界イメージの統一を目的としています。2009年はちょうど、ハムリン医師が、エチオピアにおいて産科フィスチュラ問題に携わるようになってから50年になり、5月にはエチオピアで国際式典が催されました。
この50年間に、3万人以上のフィスチュラ患者が、エチオピア・アディスアベバのフィスチュラ病院でケアを受けることができました。現在、エチオピアの人口は8,000万人近くに膨れ上がっていますが、国家免許を有する助産師の総数はわずか1,000人ほどであり、大変な状況が続いています。ハムリンフィスチュラ病院は、2007年に付属の助産師大学を設立し、2010年以降は、奨学金を受けた最初の卒業生たちが、当病院グループのクリニック周辺の地域簡易診療所に赴任するという体制を進めることになりました。今後、エチオピアの事例をモデルとして、国際的なフィスチュラ絶滅の輪を広げるために、皆様のご協力をいただきたいと、大いに期待しています。
ハムリンフィスチュラジャパンは、残念ながらエチオピアでの国際式典には参加できませんでしたが、12月19日にハムリンフィスチュラ助産師大学の学長、アネット・ベネット(Dean Annete Bennette)さんを日本に迎え、シンポジウムを行うことが決まりました(3)。
本シンポジウムでは、支援先のアディスアベバのフィスチュラ病院を舞台にした、産科フィスチュラ罹患女性たちのドキュメンタリー映画”A Walk to Beautiful”の日本語版が上映されます。日本語版は「産科フィスチュラのことを教えたいけれど、教材がないから」といった大学の先生などの声に後押しされて、制作しました。この作品は、2007年の国際ドキュメンタリー協会(IDA)賞や2009年エミー賞を受賞した名作。美しい感動的な映像を、皆さんとエンジョイできることを楽しみにしています。
(1)http://www.endfistula.org
(2)http://www.nytimes.com/2003/05/16/opinion/alone-and-ashamed.html
(3)http://www.fistula-japan.org