アフリカの現場から:ケニアの子どもたちの教育と労働

On the Spot in Africa : Kenya

『アフリカNOW』87号(2010年2月28日発行)掲載

執筆:荒川 勝巳
あらかわ かつみ:1985年、東アフリカを旅行し、ナイロビのスラムで子どもに絵を教えるボランティアを行う。1992年、ケニア人2名とともにサイディアフラハ(スワヒリ語で「幸せの手助け」)を設立。現在、サイディアフラハの運営とコーディネーター、施設の寮父を担っている。また、おもにウガンダで子どもの支援活動を実施しているアルディナウペポ(スワヒリ語で「大地と風」)のコーディネーターでもある.


ケニアの首都ナイロビから30km離れたキテンゲラに、私が所属するサイディアフラハの地域自立支援プロジェクトサイトがあり、児童養護施設とトレーニングセンター、保育園を運営している。キテンゲラは工場地帯としての立地条件に優れていたために、もともとサバンナのマサイ人の住む地域が開拓され、現在では近辺に工場が建ち並び、地方からいろいろな民族の人々が大勢あつまっている。15年のあいだに人口が5,000人から15万人へと膨れあがり、これからもどんどん発展しそうなところだ。
私の住んでいるキテンゲラの郊外を歩いていると、よく牛や山羊を連れたマサイ人の子どもに会う。彼らはたいがい色あせすり切れた服を着ていて、自分の引き連れている牛や山羊を注意深く見守っている。私がそういう少年のそばを通り過ぎようとすると、彼らも私のような東アジア人がこのへんで珍しく、気になっていたようで、二コッと笑って「ハロー」とか「ジャンボ」とかいって、声をかけてくる。私はそれに応えると、それで安心したように、またすぐ牛や山羊に目をむける。小学校の授業のある時期にこれらの子どもと出くわすと、「学校へ行かせてもらえないんだな」と推察できる。そういうとき私は「学校へ行けないのは辛いだろうな」と思う反面、「学校へ行くだけが人生ではない」とも考える。
最近ケニアの新聞を読んでいたら「いまケニア農業の就業者年令の平均は50歳代後半」という記事があり、驚いた。日本農業の就業者年令の高齢化が叫ばれて久しいが、ケニアでも若者の農業離れが深刻化してきているようだ。しかしケニアは人口の70パーセント以上が農牧業にたずさわる農牧国である。それにもかかわらず若者の農業離れが激しいとは、いったいどういうわけなのか?
ケニアには50ほどの民族が共存していて、マサイ人のように民族・伝統文化を重んじる民族がある。しかし近隣諸国と比べると、全体的には欧米志向が強く、工業化をめざしている。ただ工業化をめざす意欲は強いが、それに技術力がともなわず、食品加工などの軽工業以外の工業化はそれほど進んでいるとは思われない
ケニアでは欧米化・工業化意欲が教育に反映し、小学校の教科では英語や算数が非常に重んじられている。そのつぎに社会、理科、スワヒリ語が重視され、これらの5教科だけをほとんど詰め込み式で学習する。音楽や美術など、その人の情操や創造に関わる教科の授業になると、公立の小学校ではまず実施されていない(中流階級以上の子弟が入学する私立の小学校では音楽や美術の授業がある)。 高校(セカンダリースクール)(1)でもこの傾向は同じである。
こうした教科の偏重を考えると、これは欧米化・工業化に必要な人間をつくるというよりも、より正確にはホワイトカラーになる人間を育成するために教育が行われているようにみえる。しかし、ケニアにおけるホワイトカラーの職業は、学校の先生や政府職員、銀行員など、ごくわずかしかない。しかも、それらの職業はほとんどが、英才教育で短大や大学を卒業した中流以上の家庭の子弟によって占められている。この状況において、小学校はおろか高校を卒業して就職活動をしても、一般家庭の若者では、ホワイトカラーの職業を見つけることは非常に難しい。
それならば農業に就けばいいと思うのだが、すでにホワイトカラー育成教育の洗礼を受けている若者たちは、農業を軽蔑している。それに、農業に意欲を燃やす若者がいたとしても、田舎の自営農家の母親はいまでも多産であるため、子や孫の代になると、受け継ぐことのできる土地はごくわずかになる。そうすると多くの若者には、町や都会に働きにでるか、農家の下働きのような仕事しか残っていない。そして、町や都会に行ったとしても、手に技術がないし、自分で創意工夫して仕事をつくる能力もとぼしい。だから、行商やマーケットでの物品販売など、技術がいらず、手っ取り早くできるが、収入の少ない仕事にしか就けない。そのために無職や日雇いが大量に発生している。2007年のケニアの大統領選挙・総選挙後に起きた全国的暴動の原因の一つとして、若者の職がないことをあげる識者もいるほどに、この問題は深刻だ。
キテンゲラには工場が建ち並ぶが、サバンナの中で年間降雨量が少なく、農業はふるわない。そこでサイディアフラハでは、低額所得者や一般家庭の子どもたちを対象にして、裁縫教室や溶接・板金教室のトレーニングセンターをはじめた。
そして、2007年末の暴動による避難民の少女たちなどにサイディアフラハの児童養護施設に入ってもらい、裁縫の技術を身につけて、社会に出そうという試みを行っている。しかし、裁縫は農業と同様に少女たちには好まれず、どんなに境遇が悪くても小学校の授業の成績のよい子は、こういうところには鼻も引っかけようとしない。裁縫教室に来るのは成績が悪く、高校に行く望みを絶たれた少女だけである。
一般家庭の子どもも、こうした手仕事を嫌うことは変わらない。高校の費用は高額で、親がその費用を負担できない子どもたちにとってトレーニングセンターはよいところなのに、なかなか入学したがらない。では小学校や高校を卒業した貧しい家庭や一般家庭の若者は何をしているかというと、家で親の細腕をかじっている。それができなくなると男の子は、人口増加が激しく、建築ラッシュが続いている地元で、技術のいらない賃金の安い建築作業の下働きをしている。これでは結婚して家庭を持つことはできない。女の子は、ケニアでは一般家庭でもメイドを雇うので、メイドになっている。そうしているうちに少女たちの多くにはボーイフレンドができ、子どもが生まれる。
だがボーイフレンドの多くは家庭を持つだけの収入がないので、少女たちから逃げてしまい、彼女たちがシングルマザーになるケースが非常に多い。この国では日本のような近代的な法律はあるが、伝統的な慣習では、子どもは母親が面倒を見ることになっていて父親は面倒を見る必要がないため、子どもの面倒をみたがらない男性が多い。
シングルマザーの多くは、道ばたやマーケットにおける野菜・果物の販売や洗濯仕事などに従事している。これらの仕事で少女たちを見かけないのは、それだけ成熟した交渉能力や計算能力を必要とするためではないだろうか。
サイディアフラハではシングルマザーたちのために、午後の2時間の時間帯で、かなり低額の授業料で受講できる裁縫教室を開いた。しかし、彼女たちはその日の糧を得るために忙しく、生活の展望も持てないためか、裁縫教室にはほとんど来なかった。ここに来るのは、小学校を卒業したばかりか、小学校から「落ちこぼれて」メイドに従事している未婚の少女たちだけである。
こうした若者たちの生き方をみていると、牛や山羊を追って伝統の中で生きているマサイ人の若者たちのほうが、まだ平穏で安定した日々を過ごしているのではないかと思えることもある。ただし、マサイ人の少女たちにも女性性器切除(FGM)や早期婚・売買婚など、改善しなくてはならない問題があり、サイディアフラハでは、早期婚などをいやがって家庭から逃亡したマサイ人の少女たちも施設で受け入れているのだが。

(1)ケニアの小学校は入学が6歳から8年間、その後、4年間のセカンダリースクールに進学する。そこで便宜上、セカンダリースクールを高校と訳しておく。


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