8章 グローバリゼーションの中のアフリカ

-WTO農業交渉とのかかわりを中心に

執筆:池上甲一

2008年に発行した『アフリカの食料安全保障を考える』をウェブ化しました。

WTO農業交渉の経緯
グローバリゼーションはさまざまの顔を持っている。この小論では、農産物貿易とWTO農業交渉の側面からみたグローバリゼーションに焦点をあて、それがサブサハラ・アフリカ(以下、アフリカ)諸国に対してどのようなインパクトを与えているのか、逆にアフリカ諸国がその動きに影響を及ぼしうるのかどうかに限って議論したい。

ガット/WTO交渉はすでに半世紀以上に及ぶ歴史を持っているが、その過程においてアフリカはほかの途上国と同様にいつも「お客様」で、ほとんど交渉の蚊帳の外に置かれてきたといってよい。そのことは、アフリカの主要関心分野である農業交渉においても当てはまる。交渉当事者の座を与えられた熱帯産品交渉においてさえ、アフリカの意向が十分に反映されたとは到底いえない。にもかかわらず、アフリカでは依然として大半の国々が農産物輸出に外貨獲得を依存している(1)。その意味で、アフリカにとって農業交渉の行方は決定的に重要である。

しかし、WTOの設立が合意されたガット・ウルグアイラウンド(UR)の農業交渉では、基本的にアメリカとEUが交渉をリードするという旧来通りの方式で進められ、輸出補助金の削減、国内助成の削減、市場アクセスの改善が農業協定に盛り込まれた。アフリカにとってはいわゆる先進国に対する市場アクセスの改善(輸出増大)と、EUおよびアメリカの輸出補助金による安い穀物価格の流入制限(国内農業への影響緩和)が最大の関心であるが、議論の中心は先進国間の貿易調整におかれていた。

UR合意がカバーする期間は、1995年から2000年までの6年間である。それ以降の国際貿易体制の規律は、WTOになってからのラウンドで議論されることになっていた。しかし、交渉の方式や交渉対象などをめぐって激しい対立が続き、新しいラウンドの開始がなかなか合意に達しなかった。その象徴が1999年にカナダ・シアトルで開催されたWTO閣僚会議で、ここでは新ラウンドを立ち上げることができなかった。それでも2001年11月になってようやく、カタール・ドーハのWTO閣僚会議で、04年末を交渉期限とする新ラウンドの開始が合意された。

ところが農業交渉は、WTO農業協定20条に基づいて新ラウンドの立ち上げ以前から交渉が始まっていた。20条の規定する改革の継続とは、UR農業交渉における妥協の産物として、2000年になれば自動的に合意内容を見直すことを意味していたからである。つまり、農業交渉はいわゆるビルトイン・アジェンダ(2)だったのである。このためシアトル会議が失敗し、新ラウンドを立ち上げることができなくても、農業交渉を始めることが可能だったのである。とはいっても実際の所は、ラウンド本体が正式に始まっていない状況下で何らかの進展を期待することはできなかった。この状況は、ようやく01年にドーハ発展アジェンダが始まり、農業交渉が正式にその一部に組み込まれることで改善された。そこでは03年3月までに交渉の枠組み(モダリティー)を決め、05年1月の最終合意を目指すこととされた。

しかし実際には、その後の交渉で各国の意見がまとまらず、モダリティー設定期限内に合意に達することはできなかった。そればかりか、当初目標の05年1月をクリアーするための最後の砦と考えられた03年9月のメキシコ・カンクーン閣僚会議も失敗に終わってしまった。その理由のひとつが、先進国優位の貿易交渉に対する途上国からの異議申し立てだった。

カンクーン閣僚会議以後しばらくは交渉が下火になったが、04年になると農業交渉はにわかに活発化し、同年7月のジュネーブ一般理事会において関税削減方式を中心とする議長案が提示された。それを受けて、交渉の大枠のみが合意された(モダリティーの枠組合意)。市場アクセス分野においては、関税水準によって品目をグループに分け、高率関税のグループほど削減率を大きくするという「階層方式」と、それとは別扱いとする重要品目制度を導入すること、国内支持分野では貿易歪曲的な補助金の多い国ほど大幅に削減すること、「青」の政策の基準を見直すことなど、輸出競争では輸出補助金を期限内に撤廃すること、輸出信用の適用基準を明確化することなどが、主要な合意内容である。

大枠の合意は成立したものの、重要品目の数・範囲や上限関税の設定、国内補助金の削減幅など実際の運用にかかわる項目は激しい対立が続いたままで、結局当初の交渉期限を大きく越えた05年12月の香港閣僚会議でもモダリティーの最終合意に達することができず、06年4月まで目標期限を延期し、同年中の最終合意を目指すこととなった。香港閣僚会議宣言を受けて、06年6月に非公式閣僚会議(3)、翌7月にアメリカ、EU、オーストラリア、ブラジル、インド、日本からなるG6の会合が開かれたが、各国とも主張を譲らずに交渉は決裂してしまった。このためしばらくの間、交渉は中断・凍結状態のまま放置された。

06年8月の交渉凍結宣言以降、具体的な交渉再開の動きはなかったものの、07年にはいるとアメリカ大統領の議会に対する通商交渉権限(TPA)の期限切れ(07年6月末)を控えて交渉の促進を目指す動きが始まった。4月30日には農業交渉グループのファルコナー議長がモダリティーに関するペーパーを提出し、翌5月の非公式特別会合で議論が行われたものの、いまだ対立構図がゆるむ気配は乏しい。農業分野に加えて、鉱工業品の関税削減やサービス貿易、途上国支援など多くの対立が残るため、ドーハラウンドの包括合意そのものも危ぶまれている。

途上国の「覚醒」と南々問題の登場
2007年1月現在で、WTOへの加盟国は150ヵ国・地域であるが、そのうちアフリカが41ヵ国を占める。WTOの意思決定は基本的に国連と同様に1国1票だから、アフリカを筆頭とする途上国が結束すれば農業交渉に大きな影響を与えうる可能性がある。途上国が不透明な運営を批判したことがひとつの原因となって、WTOシアトル閣僚会議(1999年)が失敗したことはその可能性を如実に示している。シアトル閣僚会議は、途上国の「覚醒」が始まった記念すべき会議として位置づけることができる。

途上国のプレゼンスが高まったシアトル閣僚会議の流れは、その後のドーハ、カンクーンにもいっそう強化された形で引き継がれた。ドーハ閣僚会議では、新交渉を従来のラウンドという用語ではなく、「発展アジェンダ」という呼称を用いることになった。このことは、先進国も途上国の要求を入れざるを得なくなったことの反映である。言い換えれば、WTO交渉がいわゆる先進国の「円卓会議」から途上国の経済発展会議へと舵を切らなければならないというパワー・バランスの変化を示しているといえよう。

カンクーン閣僚会議はこの流れに沿った新しい三つの動きで特徴づけられる。第一に、シアトルで始まった途上国の覚醒がG20の結成によって具体的な姿をとって現れた。第二に、マーケット至上主義的なグローバリゼーションの孕む問題を告発するNGO/NPOのプレゼンスが飛躍的に高まった。第三に、途上国の覚醒と反グローバリゼーション運動とが結びつき、ひとつの潮流として新しい国際経済システムの生成可能性を示した。

だがそのような「もうひとつの可能性」は、カンクーン会議がある意味でピークだったといえるかもしれない。というのも、G20がブラジルやインドといった南の大国にリードされており、多くのアフリカの国々や小規模島嶼国とはなお大きな乖離があることである。実際、カンクーン以後のプロセスでは、ブラジル、インドがアメリカ、EU、オーストラリアとともにFIPS(Five Interested Parties)という形で、北主導の交渉枠組みに取り込まれてしまった。ブラジルとインドはG20の代表だというわけである。この5ヵ国・地域は後にG5と呼ばれるようになった(4)。

カンクーン以後の交渉は非公式閣僚会議でも高級事務レベルでも、FIPS内の二国間交渉が頻繁に行われるようになり、ふたたびガット時代の密室方式に戻りつつある。しかし、そのような少数の大国による交渉の独占には根強い反発と批判がある。そのため、さまざまのグループが組織されている。輸出国の集団であるケアンズグループ、有力途上国グループのG20のほかに、インドネシアなどからなるG33、後発途上国を多数含むG90、食料輸入国グループのG10などがある。

とはいえ、全体的な農業交渉の方向性に強い影響を与えるという意味での有力交渉プレーヤーはアメリカ、EU、ブラジル、インドからなるG4だということは否定できない。ドーハ開発アジェンダの行き詰まりは、アメリカ、EU、G20の三すくみ状態に原因があり、そこにG33やG90の主張が入る余地は極めて乏しい。要するに、食料輸入途上国、低所得食料不足国、小規模島嶼国などの意見が反映される構図とはなっていないのである。むしろ途上国代表としてのインドやブラジルとの間に関心の違いが生まれており、南北問題に加え、南々問題が対立軸として浮上しつつある。

アフリカ諸国は、後発途上国グループとして活動しているが、その存在感は依然として薄い。この点では、アメリカの綿花補助金について提訴した西アフリカ4ヵ国(ベナン、チャド、マリ、ブルキナファソ)の動きが注目される。この申し立てを受けて04年11月には綿花問題を議論する小委員会の設置が決まった。なお、アメリカの綿花についてはすでに04年4月にブラジルがパネルにおいて勝訴している(5)。

WTO体制下におけるアフリカ農業の課題
WTO農業交渉では、関税削減方式以外にも、関税の設定方式(タリフ・ピークやタリフ・エスカレーション)、輸出補助金、削減対象外国内助成政策の見直し、非貿易的関心事項の取り扱い、UR合意の点検・見直しなど多様な論点が存在していた。アフリカ諸国は、その中でもとりわけ先進国への市場アクセスの改善、先進国の国内支持削減(グリーンボックスを含む)を要求した。その論拠は、先進国の国境措置がアフリカ産農産物の市場拡大を妨げており、そのために社会・経済発展が達成できていないという点と、先進国の輸出補助金によるダンピングのみでなく国内の農業補助金によっても国際価格の低迷が引き起こされているという点であった。

先述の綿花を取り上げてみると、アメリカは国内の綿花農家に年額190億ドルの補助金を交付し、さらに輸出信用保証を付与することによって世界の綿花貿易の40%ほどを占め、世界最大の輸出国となっている。その補助金を廃止すれば、国際価格は12.6%上昇し、アメリカの綿花輸出は41%減少するとの予測がある(6)。

しかし、現在の農業交渉の基礎となっている2004年の枠組合意は結果的に関税削減へと収斂した。実はすでに、アフリカは農業分野において先進国以上に自由化が進んでいる。たとえば、OECD加盟国における農産物の平均関税率は20%であるのに、アフリカのそれは13%に過ぎない。この逆転現象はいうまでもなく、IMF/世銀の構造調整融資(SAL)を受けるためのコンディショナリティによるものである。むろん、SALは農産物貿易だけでなく、農業を含む経済全体の市場化・規制緩和を求めており、肥料・農薬補助や価格支持などの撤廃を通じても農業に大きな影響を与えている。

このように、アフリカ諸国の農産物貿易における歪みはたいへん小さい。それだけに、事態はいっそう深刻である。それは市場経済的グローバリゼーションの中で競争せざるを得ないことを意味するからである。アフリカ農業・農村の編成原理からすると、近代経済学流の生産コスト概念を適用することには無理があるように思われるけれども、グローバリゼーションの下では同一の計算方法によるコスト競争力が取引の判断基準となる。

アフリカ農業の労賃水準は確かに安い。しかし全体としてのコスト水準は、とくに国内の社会経済インフラと流通機構の未整備のために高くついているし、産地商人などの中間マージンもかなりの割合を占める。このため庭先価格はきわめて安いのに、国内の消費者価格や輸出価格はその何倍にも跳ね上がることが一般的である。したがって、補助金でダンピングされた先進国の穀物やタイの砕米などの流入を関税で防ぐことができない限り、価格競争に勝つことができずに食料生産が低迷してしまうことになる。事実、アフリカ諸国の穀物輸入は顕著な伸びを示している。それは何も旱魃や技術的な問題だけでなく、経済システム上の問題でもあることを指摘しておかねばならない。

国内食料生産が経済的インセンティブを持たないとすれば、国際価格の低迷に直面している輸出用換金作物への依存から抜け出すことは難しいし、仮に先進国への市場アクセスが改善されたとしても、当該農産物の市場はほぼ成熟しており、需要が大きく伸びるとは考えにくいという問題もある。

もうひとつの問題は、アフリカ諸国の政府が期待するように、先進国の国内支持や輸出補助金が削減され、国際価格が上昇したとしても、そのことはアフリカにとって二重性をもち、アフリカ農業やアフリカの人びとにとって微妙な意味をもつということである。ダンピング輸出の程度が小さくなれば(7)、それだけ国際価格は上昇すると見込まれる。だがその利益の大半は、農産物貿易を実質的に支配している多国籍アグリビジネスに帰属することになるだろう。それ以上に問題となるのは、国内生産では年間を通じての食料需要をまかなえないほどに農業部門が弱っており、その分輸入食料への依存度が高くなっていることである。輸出作物をあまり生産しない小農民でさえ、購入食料に依存しており、小規模であればあるほどその割合は高くなる。そういう状況下で、食料価格が上がれば生活費の上昇をもたらし、かえって貧困の度合いが増してしまうことさえ考えられる。この意味で、アフリカの小農民たちは、アンビバレンツな選択を迫られることになるだろう。


【注】
(1)
最近では、原油、天然ガス、レアメタルなどを産出するアフリカ諸国が注目を集め、いわゆる資源外交の草刈り場となっている感がある。資源輸出や金属類の国際価格の高騰によって輸出額を大幅に伸ばしている国もあるが、そのことが必ずしも国全体としての発展に結びついているとは限らない。

(2)
農業交渉のほかに、サービス交渉がビルトイン・アジェンダとされた。

(3)
このときの非公式閣僚会議に、農業交渉グループのファルコナー議長がモダリティー案を提出したが、そこには約760の対立点が併記されていた。

(4)
G5に食料輸入国の日本を加えて交渉が行われることもあり、その場合にはG6と呼ぶ。しかし時には日本とオーストラリアを除くG5で交渉を主導しようとする動きも強くなっている。

(5)
アメリカは、2004年10月に上級委員会へ上訴した。

(6)
Environmental Working Groupのウェブサイト(http://www.ewg.org/

(7)
アフリカの輸出農産物で先進国と競合している作物が、ダンピング輸出減少の恩恵を受けることになる。しかし、飲料作物や熱帯果実を筆頭にアフリカの伝統的な輸出作物はそれに該当しない。

>>『アフリカの食料安全保障を考える』目次