パンデミック条約交渉:物議をかもす新たな草案テキスト

公的資金によって開発された医薬品へのアクセスに関する記述が弱められる

6月の「起草グループ」会議に向けた新たなテキストの共有

新たな草案テキストをリークした「保健政策ウォッチ」

今後のパンデミックなど保健緊急事態への地球規模の予防・備え・対応のあり方を包括的に定める「パンデミック条約」の策定交渉は、世界保健機関(WHO)の枠組みに設置された「政府間交渉主体」(Intergovernmental Negotiation Body: INB)で進められている。策定期限は2024年5月の世界保健総会と定められており、5月21日~30日に開催された今年の世界保健総会が終了したことから、タイムリミットまで1年を切ったことになる。INBは現在まで5回開催されているが、来年の世界保健総会まで合計9回開催されることとなっており、このINBと並行して、「起草グループ」(Drafting Group)が開催される形となっている。

この「起草グループ」は、昨年12月に開催された第3回INBで、その構成やあり方が定められたが、基本、WHO加盟国とオブザーバー(Holy See(=ヴァティカン)とパレスチナ)および地域共同体等がメンバーとなり、詳細な文言調整などの交渉が行われる会議体となっている。

第6回のINB会合は7月17-21日に、上記「起草グループ」と共に開催されることになっているが、その前の6月16日に第5回INB会合の「再開セッション」(Resumed Session)が持たれ、その前の12-15日に「起草グループ」の会議が持たれることになっている。この「起草グループ」の会議に供するため、5月22日、パンデミック条約の新たな草案テキスト(Draft Bureau’s Text of the WHO CA+)が加盟国等に共有された。

この新たな草案テキストは、2月に発表された、パンデミック条約策定交渉のベースとなる「ゼロ・ドラフト」に対するINBの第3回・第4回会合での加盟国等の意見を集約し、整理して、議論の生じている事項について、討議を詰めることが出来るように幾つかの選択肢(Option)を示したもので、「ゼロ・ドラフト」には掲載されていなかった幾つかの事項を加えたり、重要な事項について新たなセクションを設けるなどがなされており、ゼロ・ドラフトが38章あったのに対して、こちらは41章立てとなっている。この新たな草案テキストが、国際保健政策に関するニュースサイトである「保健政策ウォッチ」(Health Policy Watch)にリークされ、若干、物議をかもしている。というのは、幾つかの箇所に関して、「ゼロ・ドラフト」よりも文言が後退しているからである。

専門家や市民社会が指摘:「公的資金によって開発された製品へのアクセスに関する記述が弱められた」

「保健政策ウォッチ」が指摘しているのは、公的資金によって行われた研究開発の結果として開発されたパンデミック対応医薬品などについて、世界で公平なアクセスを実現するために、技術移転や技術共有を進めることを定めた条項について、記述の在り方に後退がみられる、という点である。実際、これを取り扱う第9章を見ると、オリジナルの「ゼロ・ドラフト」には入っていなかった「国内法に従い、また、適切な場合には」(shall, in accordance with national laws and as appropriate)という文言が挿入されている。「保健政策ウォッチ」の記事は、「もともとのゼロドラフトでは、極めて明確に示されていた事項が、非常に弱められている。これでは、各国が法律に基づいてこのような措置をとることが難しくなり、(開発企業の)『自発的な措置』に依存することになってしまいます。他の箇所でも、この『適切な場合には』が濫用されています。48箇所も出てくるのです」という、ジュネーヴ国際・開発高等研究所/国際・開発研究大学院のスエリー・ムン共同所長(Co-Director)の発言が引用され、新しい草案テキストの後退ぶりが示されている。

国際保健政策のニュースサイト「ジュネーヴ・ヘルス・ファイルス」(Geneva Health Files)は、「国際保健ウォッチ」よりも詳細にこの原案テキストを分析している。このサイトでは、上記のような、「弱められた」テキストは他にも幾つかあるとして実例を挙げる一方、「ゼロ・ドラフト」には入っていなかった「技術のプーリング」(Pooling of Technology)についての章が新たに設けられるなど、進歩したところもある、と指摘する。また、先進国や製薬産業の激しいロビー活動にもかかわらず、病原体の情報へのアクセスとセットにする形で「利益配分」の条項が確保されていること、また、債務救済などについての条項も存在していることを指摘したうえで、これらが最後まで残るかどうかはこれからの交渉に委ねられている、と指摘する。

期限に向けて集中した審議が予定されるパンデミック条約交渉

今後、パンデミック条約交渉は、7月に第6回、11月に第7回、1月に第8回のINB会議が開催されるほか、かなりのペースで、加盟国等のみの参加による「起草グループ」の会議が開催され、3月8日から29日までほぼ3週間に及ぶ第9回INB会議で締めくくられることになる。これに向けて、市民社会のアドボカシーも、「パンデミック条約における人権に関する市民社会同盟」(CSA)を軸に活発になってきている。上記のような細かい文言を含めて、今後、いくつかの重要な論点に関する、製薬産業のロビーをうけた先進国と、途上国・市民社会との神経戦が展開されることとなる。とわれているのは、COVID-19の教訓を、世界が真摯に受け止め、次のパンデミックに向けて、「独占から共有へ、競争から協力へ、利権から人命へ」の移行をなしうるか、ということである。