『アフリカNOW』 No.28(1997年発行)掲載
アフリカ日本協議会では現在では300人を越す会員の規模になっていますが、そのきっかけはほんの数名の個人が集まったことに端を発しています。1993年3月に開催された東京アフリカ開発会議準備会号の記事を読んだNGOスタッフや研究者が集まり、草の根の声を政策に反映させようと会議への働きかけを始めました。その働きかけは、アフリカシンポジウムをつくり、現在のアフリカ日本協議会へと続いています。
来年の秋、ふたたび東京アフリカ開発会議が開かれます。この5年でアフリカの状況は良くなったのか、何に力点を置いて政策が決められるべきか、Africa NGOs Voices to be heardの実行を呼びかけてきた協議会としても、この会議へのプロセスが、活動を開始して最初のおおきな節目となります。
1993年3月におこなわれた、東京アフリカ開発会議(以下TICAD1)の準備会合の新聞記事を受けて日本国内のアフリカ研究者、NGOを中心としたアフリカに関心のあるものが集い、「アフリカの現状を理解し、アフリカの問題を自分たちの問題として考える」ことを目的でアフリカシンポジウム実行委員会を組織、同年10月2~3日に東京の早稲田大学国際会議場で「アフリカシンポジウム~地域自立に立ち上がる人々」を開催した。
ゲストスピーカーにはアフリカから9名(国籍はセネガル、マリ、ケニア、エティオピア、ジンバブエ、ザンビア、南アフリカ)のNGOスタッフを招き、当日のプログラムとして、基調講演2つ、4つの分科会(緊急救援、女性、農業と環境、教育と文化)、2つの全体大会(構造調整、提言書作成)をおこなった。さらに、「市民提言書」の採択を会場の参加者とおこない、アフリカの開発に関する問題を積極的に考え、行動して行くことを表明した。その際、開発の際の基本姿勢に加え、「アフリカNGO協議体(仮称)」の設置についてうたい、研究者やNGOが既存の枠を超えて情報交換、相互協力をし、アフリカの開発問題にさらにもっと積極的に参加し、行動していくことが盛り込まれた。
「アフリカシンポジウム」は2日間で述べ700名を越す参加があり、新聞・テレビでも大きく取り上げられた。(朝日新聞、毎日新聞、TBSニュース23、NHKラジオなど)。シンポジウムに参加したアフリカのゲストは、四国や関西でも開かれたセミナーや講演にも参加するなど、民間独自のイベントがこれほどの規模でおこなわれ、反響を得たことはかつてなかったことである。
採択された「市民提言書」はTICAD1の前日、シンポジウム実行委員長岩崎駿介からTICADの議長である黒河内康氏に手渡された。当初「TICAD1」ではNGOの参加を予定していなかったが、直前になってオブザーバー枠3名の参加(分科会には10名の追加参加)が認められ、アフリカ1名(セカイ・ホーランド女史・ジンバブエ)、欧米1名(マーク・ラポルテ・カナダ)、日本1名(尾関葉子)が参加した。TICAD1の当日、会場に「市民提言書」の英文・邦文を持参し、会場で配布された。会議では、発言の機会は与えられなかったが、黒河内康議長が会場の席上、シンポジウムの内容を紹介した。また、会議の合間にマシーレ・ボツワナ大統領と面会するなど、会場から市民サイドの声として注目を集めた。
その後、アフリカシンポジウム実行委員会は「市民提言書」でうたったアフリカNGO協議体(仮称)構想の実現のため、発展的に組織改変し「アフリカ日本協議会」を設立するに至った。アフリカ日本協議会ではその後も、積極的に国際会議に参加し、日本とアフリカNGOと連携している。
これまでに参加している国際会議
砂漠化防止条約制定のための政府間交渉委員会(INCD) 1993年8月(マリ)1993年12月(NY)、1995年8月(ケニア)GCA “The Future of Africa”1995年11月(マーストリヒト)
ECA/FAVDO NGO Forum 1995年7月(セネガル)
NGO/CSO Regional Consultation of Governance in Africa 1997年5月(アディスアベバ)