Voices of Somali civil society
執筆:大津 祐嗣
おおつ ゆうじ:1973年生まれ。ナイロビ大学人文学部でアフリカ政治、国際関係、スワヒリ語、アラビヤ語などを学ぶ。2000年より(特活)ブリッジ・エーシア・ジャパンで、ミャンマー、スリランカでの支援事業に従事。ソマリランドにおける平和構築と人間の安全保障に関する論文を執筆し、2007年3月、明治学院大学大学院国際学研究科博士前期課程修了。
打ち続く内戦と外からの介入
アフリカの角の尖端を成すソマリア。ここでは、1991年1月にシアド・バーレ大統領率いる軍事独裁政権が内戦によって崩壊した。 1980年代初頭から反政府武装闘争を行ってきたソマリ国民運動(SNM)を中心とする北西部の人々は、1991年5月にソマリランド共和国の独立を宣言し、北東部のプントランドでは、1998年から自治が行われてきているが、ソマリア中・南部の多くの地域では、軍事政権崩壊以降、16年にもわたって内戦が続いてきた。 その間、国際社会は、内戦に歯止めをかけ、内戦による被害を軽減するためにさまざまな形で支援・介入を行ってきた。また、数多くの国家が自国の利益を追求すべくソマリアに干渉を行い、失敗を繰り返してきた。 そして今、世界は、そうした過去の失敗から何かを学ぶことができるのか、その学習能力を真剣に問われている。 政府間開発機構(IGAD)の仲介したエルドレット・ナイロビ和平プロセスは、2004年末に暫定連邦政府(TFG)を生み出し、2006年2月末にはソマリア南部のバイドアでTFGの議会が初めて開かれた。 しかし、その直前に、2004年末に首都モガディシオで結成されたイスラーム法廷連合(UIC)の勢力拡大を危惧する軍閥から成る「平和の回復と対テロ同盟」がUICと戦闘を開始し、首都は戦火に包まれていった。 アブドゥッラーヒ・ユスフ暫定大統領は、アメリカが軍閥に資金を提供していることを非難した。戦闘の末、2006年6月5日にはUICが首都を制圧し、ソマリア中・南部の各地に勢力を広げていった。 そうしたなか、バイドアのTFGは、エチオピア軍の支援を受けるようになっていった。 その後、9月4日には、アラブ連盟の仲介で開かれたハルツームでの交渉で、TFGとUICは、共同で国軍と警察を組織していくことと近隣国を紛争に巻き込まないことに合意したが、TFGはエチオピア軍の支援を受け続け、UICはバイドア方面へ部隊を展開していった。 11月中旬に出された国連の報告書は、10ヵ国が国連によるソマリアへの武器の禁輸措置に違反し、ソマリアに武器を送っていることを指摘した。 それによれば、エチオピア、ウガンダ、イエメンがTFGを支援し、シリア、イラン、エリトリア、ジブチ、エジプト、リビア、サウジアラビアがUICを支援していた。 このような諸外国による干渉はTFGとUICとの対立を悪化させた。 12月19日には、バイドアでエチオピア軍・TFGとUICとの激しい戦闘が開始された。 24日には、エチオピアの首相が、UICからエチオピアの主権を守るためにエチオピア軍の部隊がソマリアに派遣されたことを認め、28日には、エチオピア軍の支援を受けたTFG軍がモガディシオを制圧した。 そして、UICの勢力は離散し、一部はケニア国境方面へ逃走した。 ニューヨーク・タイムズ紙によれば、TFGは12月31日、在ケニア・アメリカ大使にイスラーム過激派に対して行動を取るよう公式に要請し、2007年1月8日には、アメリカ軍が、ケニア国境近くのラス・カンボーニで、イスラーム法廷評議会の指導者の1人を主な標的とした爆撃を行い、8人が死亡、3人が負傷した。 在ケニア・アメリカ大使は、一般市民は誰も死亡・負傷していないとしたが、ソマリアの国会議員は、この空爆で27人の一般市民が死亡したとした。 アメリカは、この爆撃はアメリカと国際社会をアル・カーイダによるさらなる攻撃から守るために必要だったと説明し、ユスフ暫定大統領もこの空爆を支持したが、国連安保理決議なしでこのような越境攻撃が行われたことに対して非難の声も上がった。
ソマリア社会フォーラムのワークショップ
そうしたなか、ナイロビの世界社会フォーラム(WSF)の会場で、ソマリア社会フォーラムが、「もうひとつのソマリアは可能だ(Another Somalia is Possible)」と題されたワークショップを開催した。 1月22日に開かれたこのワークショップでは、ソマリアの若者たちが、まず、自分たちが直面している問題について語った。 彼らによれば、対立が続くソマリアでは、若者の失業が深刻で、甚大な経済的・社会的損失を生んでおり、貧困の再生産も起こっている。 そして、雇用機会の不足から、多くの若者が民兵になったり、仕事や安全を求めて北米や欧州へ移民として流出したりしてきた。 また、収入を得られる若者のなかにも、1日1ドル以下で暮らす者が多い。 こうした問題認識の下、発表者は、平和と教育、社会参加の重要性を指摘した。 「特に、失業問題の解決にあたっては、教育が鍵を握っている。 識字率の改善のほか、技術訓練も不可欠となる。若者が民兵にならないようにするには、スキルを身に付ける機会を与える必要がある。 また、若者の表現や参加の自由を拡大することも重要である。意思決定への効果的な参加は、市民としての権利・責任であり、社会的な結束にも役立つ」。
その後、発表を行った若者の一人は、会場からのさまざまな質問を受けて、以下のように発言した。
「ソマリアでの紛争は政治的なものである。 紛争を抑止する伝統的なメカニズムも存在するが、政治的危機が続いている。その背景には、さまざまな国々による介入がある。 アメリカは、石油利権に関心を持っており、イギリスは軍事的利益を見出している。エチオピアはソマリアを支配したいと考えている。 アラブ諸国は、ソマリアの海に関心を示し、エチオピアに対抗しようとしてきた。 それぞれの国が、ソマリア国内の勢力と結びついており、ソマリアにおける政治的紛争は、グローバルなものになっている 。国際社会は、さまざまな利益を調整し、ソマリアに害を与えないようにすべきである」。
女性の発表者は、次のように話した。 「ソマリアの人々は、すべてイスラーム教徒で、同じ言語を話し、同じ民族である。 問題は、人々の間での誤解にある。 エチオピアによる侵攻の前には、スーダンで和平交渉が行われていた。 UICは人々から認知されており、TFGは、国際社会から認知されている。 この両者を結びつけることが必要とされている。対立する勢力は、木の下に集まり、見解の相違を解消すべきである。 ソマリア人の間での相互の信頼を回復することが重要である」。
「ソマリアの市民社会には、平和を促進するシステムがあるか?」という質問に対しては、男性の発表者がソマリア市民社会の果たしてきた活発な役割をアピールした。 「市民社会は、軍閥指導者に、平和への道を歩むよう説得を行ったり、TFGとUICに、ハルツームで交渉を行うように呼びかけたりしてきた。 また、アメリカのアフリカ問題担当者に、声明を送ったこともある。さらに、和解、平和意識向上、動員解除、FMラジオを通じた平和の呼びかけなど、さまざまな活動を行ってきた」。 そして、女性の発表者は「ソマリア人は、恒久的な平和と持続可能な発展、説明責任のある民主的な政府を望んでいる。 ソマリア人は、今、世界の経験から学んでいるが、ソマリア社会に存在する民主的な伝統も活かしていく」と話し、ソマリアの伝統的システムの有用性にも言及した。
ソマリア市民社会の声に耳を
ソマリア社会フォーラムは、このワークショップのほか、「アフリカの角での戦争か平和か」というセッションを開き、エチオピアとアメリカに抗議するデモも行った。 エチオピアは、1月23日、モガディシオからの撤退を開始することを表明したが、この日アメリカが、ケニア国境に近いラス・カンボーニとクルビヨウでUIC指導者を標的とした2度目の爆撃を行い、数多くの民間人が負傷したことが伝えられた。 テロを抑止する必要があることは言うまでもない。また、UICのなかに過激派がいたことも確かである。 しかし、暴力的措置や排除によってテロの温床をなくすことはできない。一般市民をも巻き添えにするような暴力は、さらなる憎しみと暴力を呼びかねない。 そして、何よりも忘れられてはならないのは、ほぼすべてのソマリア人はイスラーム教徒であり、ソマリアで持続的な和平を達成するには、これまでUICと関わってきた人々との共存が必要とされるということである。 3月1日、ユスフ暫定大統領は、ソマリア社会のさまざまな層と氏族から約3,000人が参加し、2ヵ月間続くソマリア国民和解会議を4月16日から開催することを表明した。 この会議には、政治指導者、氏族指導者、宗教指導者だけでなく、ディアスポラの人々や市民社会の代表も参加する。 この会議が、「ソマリア人の間での相互の信頼を回復することが重要である」という市民社会の声に耳を傾け、UICの穏健派も巻き込んだ包括的な政治プロセスとなり、真に代表性を持った民主的な政府への移行の道筋が立てられることを期待したい。