グローバル・エイズ危機と世界エイズ・結核・マラリア対策基金

The Global Fund: turning the tide against the global AIDS crisis

 

『アフリカNOW 』No.89(2010年9月30日発行)掲載

稲場 雅紀
いなば まさき:AJF国際保健部門プログラム・ディレクター。2002年にAJF職員に就任。2004~2009年まで、世界エイズ・結核・マラリア対策基金理事会のNGO代表団メンバーを務める。著書に『流儀-アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(生活書院、山田真・立岩真也と共著)など。

※本稿は、9月4日にAJF主催で開催された緊急シンポジウム「グローバル・エイズ危機は終わっていない-エイズ・結核・マラリアと闘う世界基金に資金を 市民社会の取り組み」における報告をまとめたものです。

※本稿の内容は、緊急シンポジウム「グローバル・エイズ危機は終わっていない」が開催された9月4日現在の情報に基づいています。


今年の夏は連日たいへん暑い日が続きました。世界を見れば、パキスタンの大洪水やロシアの猛暑など、明らかに気候変動の影響と思われる異常気象が各地で起きています。しかし、「気候変動」に関する報道は、昨年の気候変動枠組み条約締約国会議[COP15]以降、かくだんに減りました。先進国経済の悪化の中で、地球規模課題の重要性が忘れられつつあるのではないかと、私は大きな懸念を持っています。エイズ・結核・マラリアなど感染症対策は、気候変動と同様の巨大な「地球規模の課題」であり、私たちはこの「地球規模の課題」への関心の低下に大きな危機感を抱く必要があります。

世界基金の成果

2002年に設立された世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)は、これまでに多くの成果をあげています。世界基金の資金によって、エイズ治療を受けられるようになった人がこれまでに280万人います。自発的カウンセリング・検査(VCT)(1)の実施数は1億2000万件にのぼります。結核・マラリアについては、抗結核薬治療を受けた人が700万人、マラリア予防蚊帳は1億200万張が提供されました。その結果、通算で570万人の命が救われることになりました。

G8のイニシアティブとエイズ危機

2000年のG8沖縄サミットで必要性が提起され、翌年のジェノバ・サミットで設立が決定されてできた世界基金は、G8の国際保健分野に関するイニシアティブの成功例です。G8がなかったら世界基金は設立されなかったでしょう。
G8のイニシアティブの背景には、エイズ・結核・マラリアによる深刻な状況があります。現在、世界中で3340万人がHIVに感染していると推測されており、いまだに年間200万の人びとがエイズによって亡くなっています。エイズはまだ完治しない病気です。最近、マイクロビサイド(HIVに効果のある消毒薬)を使った予防の治験で成果があったことが報告されましたが、まだまだたくさんの課題があります。また、治療を受ける必要のある人びとが1000~1500万人いると推定されていますが、治療にアクセスできた人はまだ500万人しかいません。必要とするすべての人にHIV/AIDSに関する知識、VCTの機会、治療、ケア・サポートへのアクセスを保障するユニバーサル・アクセス(普遍的アクセス)が目標とされていますが、この目標はまだ実現していません。結核菌とHIVへの重複感染、薬剤耐性ウイルスの拡大といった問題も起きています。エイズ危機は終わっていないのです。

グローバル・エイズ危機はなぜ起きたのか

世界規模でHIV陽性者が顕著に増え始めたのは1991年でした。1990年時点で800万人だった世界のHIV陽性者数は、1999年には約3000万人へと増加し、3倍以上になりました。国連合同エイズ計画(UNAIDS)によれば、1999年が新規HIV感染のピークでした。それに対して、国際的なエイズ対策に投入される資金を見てみると、1996年にUNAIDSが設立され、2000年に国連ミレニアム・サミットが開かれたころまではあまり増えず、2001年に国連エイズ特別総会が開かれて以降、急増しました。2002年に世界基金が設立され、2003年には米国の大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)が開始されるというように取り組みが広がり、投入される資金も増えてきました。
図1の2つのグラフを見比べると、HIV陽性者が急増した1990年代に対策に投入される資金がほとんど増えなかったことがわかります。1990年代には、HIV陽性者数が急激に増えていることを伝える最低限のサーベイランス・システム(調査報告の仕組み)が整備されており、統計も発表されていたにもかかわらず、国際社会がHIV/AIDSに対する取り組みを怠ったために、エイズ危機はとても大きなものになってしまったのです。1990年代は、エイズ対策にとって「失われた10年」でした。

エイズ対策の転換

1990年代エイズ治療を公共医療に組み込んだブラジルやタイのエイズ対策が成功し、その成功をもとに、南アフリカ、インド、東南アジアやラテンアメリカの諸国でHIV陽性者たちが治療を求めて立ち上がっていきました。また国境なき医師団が、ケニアや南アフリカを始めとする国々でパイロット・プロジェクト(先行的な取り組み)を行い、途上国でエイズ治療が可能であることを実証しました。
こうした動きを受けて、2003年にUNAIDSと世界保健機関(WHO)は、途上国でもエイズ治療を実施する方針を打ち出しました。そのための資金を供給したのが世界基金でした。世界基金はエイズ・結核・マラリアに関わる取り組みにとどまらず、保健システム強化に寄与する取り組みも進めてきました。

世界基金の資金メカニズム

世界基金は、WHOや国連本体とは違い、加盟国が分担金を出すという仕組みになっていません。世界中の国が自発的に拠出する資金によって運営されています。そのため、中長期的な資金見通しに基づく運営が困難です。実際、世界基金が発足してからの数年間は資金の見通しが立たず、新規案件募集をすべきか否かといった議論が理事会で繰り返されていました。
こうした問題を解決するために、2006年に「自発的増資メカニズム」(Voluntary Replenishment Mechanism)が設けられました。これは、2~3年の単位で「自発的増資期間」を定め、この期間の資金需要を算出し、その資金需要を満たすように各国が拠出する資金額を誓約する会議を開くという仕組みです。この会議で誓約された金額をもとに、世界基金は基金の運営を行うことになります。

第2次増資期間会議を受けた取り組みの結果

前回の第2次増資期間は、2008~2010年までの3年間でした。この期間の資金需要を算出する会議が2007年にオスロで開かれました。この会議を受けて世界基金の理事会は、3年間で150億~180億米ドルが必要であると算出し、各国に提示しました。その後ベルリンで増資期間会議の2回目の会合が開かれ、各国は拠出額を誓約しました。実際に誓約された額は97億米ドルで、算出された必要額を満たしてはいませんでしたが、この誓約があったおかげで、2008~2009年にはあらかじめ決められた日に案件募集を開始することができました。
案件募集が決められた日に始まることが確実であったことから、新規案件募集にはしっかりと準備された質の高い案件が多数寄せられ、2008~2009年には、2007年までを大きく上回る新規案件への資金拠出が決まりました。その結果、世界基金は、2010年に大きな資金不足に陥ることになりました。

第3次増資期間会議の課題

この春、第3次増資期間(2011~2013年)の資金需要を算出する会議がオランダ・ハーグで開かれました。10月4~5日には、ニューヨークで各国が拠出額の誓約を行う会議が開かれます。第3次増資期間の資金需要に関して、世界基金事務局は以下の3つのシナリオを提示しています。

【第1シナリオ】 130億ドル(新規事業に3年間で38億ドルもしくは毎年13億ドル)

・現在進行中のプログラムへの継続資金供給
・新規プログラムについては、近年の供給レベルに比べ著しく低い資金供給

このシナリオでは、現在進行中のプログラムへの継続資金供給は可能になる。また、新規プログラムについては、近年の資金供給レベルよりも著しく低いレベルでのみなんとか可能である。推定必要金額が毎年13億ドル以上となっているため、これからのラウンドはこれまでのラウンドで供給されてきたの資金の50%(第9回新規案件募集の総必要金額は26.5億ドル)と上限が定められる予定である。つまり、このシナリオは事実上縮小規模の要求になる。

【第2シナリオ】 170億ドル(新規事業に3年間で68億ドルもしくは毎年22~23億ドル)

・現在進行中のプログラムへの継続資金供給
・新規プログラムについては、近年の資金供給レベルにより近い資金供給
・現在進展しているものを維持するための資金供給

このシナリオでは、現在進行中のプログラムへの継続資金供給と新規プログラムで近年の資金供給レベルに近い資金供給が行われる。しかし、このシナリオは世界基金が近年達成してきたような増額を実現するものではない。

【第3シナリオ】 200億ドル(新規事業に3年間で120億ドルもしくは毎年35~45億ドル)

・現在進行中のプログラムの継続資金供給
・成果があがっているプログラムへの資金供給の拡大
・国連ミレニアム開発目標[MDGs]の保健に関する目標をより早く実現することができる新規プログラムへの増額

このシナリオは、現在進行中のプログラムへの継続資金供給を保障し、資金拡大を加速させる。しかし、この資金供給レベルでは、三大感染症対策のトレンドを変え、地球規模の目標を実現するのに必要となる額としては不十分なものである。

・現在進行中のプログラム継続のために3年間で85億ドルが必要
・新規案件は年間を通じて1度だけ募集される(1ラウンド)

3年間で200億米ドルの拠出が誓約されるとMDGsの達成にも寄与する取り組みができ、170億米ドルであれば現状をなんとか維持できます。しかし、130億米ドルにとどまれば取り組みの縮小を迫られることになります。

今年9月に開催される国連MDGsレビュー総会の後の第3次増資期間会議は、今後の国際的な感染症に対する取り組みにも大きな影響を及ぼし、MDGs達成にとっても重要な意味を持っています。そのため、さまざまなセクターが日本を含む先進国政府に対して働きかけを行っています。東京では9月5~22日まで、世界基金などが主催して写真展「命をつなぐ ”Access to Life”」が行われます。9月3日にはこの写真展の開会式典が開催され、菅直人総理が開会演説を行いました。
また、市民社会は先進国、特にG8諸国が200億米ドルの資金需要に対応する資金拠出をするよう働きかけを行っています。途上国で世界基金の治療薬で命をつないできた人びとが「私はここに」と声を上げる「私はここにいる ”Here I am”」キャンペーン(2)が展開されており、また、世界基金増資会議のための「世界行動週間 ”Global Action Week”」なども予定されています。

(1) Voluntary Counseling and Testing HIV/AIDSやHIV検査について十分な情報を得たうえで(プレ・カウンセリング)、自ら選択してHIV検査を受け、検査結果に基づいてポスト・カウンセリングを受けるという標準的なHIV検査の方法。

(2) http://www.hereiamcampaign.org/


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