書評:南アフリカの土地改革

『アフリカNOW』86号(2009年11月30日発行)掲載

佐藤 千鶴子 著
日本経済評論社、2009年1月20日 第1刷発行、
横組、本文252ページ、定価 :3,800円+税、
ISBN:978-4-8188-2038-8

評者:尾関 葉子
おぜき ようこ:1994年のAJFの設立時から1998年度まで初代事務局長。2001年にDADA(アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト)を設立。相互自立を目指してアフリカと日本とで活動をしている。 http://dada-africa.jp/


アフリカに関わる者であれば、アフリカは一つの国ではなく大陸であり、サブサハラだけでも48の国があるという説明をした経験があるだろう。隣の国であっても、異なる歴史と自然環境があり、私も自分が関心を持つ国以外のことはよく知らないというのが現実である。そんな当たり前のことを書いたのは、佐藤千鶴子さんが今年の初めに出版した『南アフリカの土地改革』を読んだからである。アフリカの国として内外に最も知られている国の一つである南アフリカには、多くのアフリカ関係者が感じているように「アフリカらしからぬ」点が多い。ジンバブウェに関わるひねくれた評者などは、つい隣の大国に対して「南アフリカはアフリカじゃないから」という言葉を発したくなったりするのである。
しかし、その違いが「人類史における汚点」と評されるアパルトヘイトの歴史ゆえであることは誰もが理解しているし、本書を読めばアパルトヘイトという制度の巧妙さ、罪深さを再認識することになるだろう。さらに、読み進んでいくうちに、実は、アパルトヘイト制度を支えた政策もこの制度を廃止した政策も、すべてはある経済観念から生まれているということに、読者は気づくであろう。
217ページに渡る本書は、佐藤千鶴子さんが2000年に立命館大学に提出した博士論文「南アフリカにおける土地改革と農村開発の展望」が元になっている。その後の8年間で変わった南アフリカの土地改革政策や初期の改革で土地を得た農村コミュニティの変化など、部分的に刊行されたものも加えて一部を再構成し、加筆されて今回出版された。研究史における農村の捉え方に始まり、歴史の概要、土地改革政策の背景と分析、改革が実施された地域の事例を通じて、土地改革は人種和解と黒人の貧困絶滅に貢献しているのか、そして改革を推進または阻止する要因は何かを洗い出そうとしたのが本書である。
しかし、土地改革と言ってもひと言では片付かない。南アフリカのように特殊な歴史を持つ国においては、「土地改革」「農村」「農民」といった見慣れた言葉一つひとつにまで注釈をつけなければこの国の複雑さは見えてこない。本書では、何度も繰り返し「南アフリカの二重構造」やそれぞれの構造の中の複雑な分断が説明される。
「土地改革」に関して、1994年発表のRDP(復興開発計画)で、「最初の5年以内に土地改革を通じて30%の農地を黒人に再配分する」(pp.3)ことが約束されたことは多くの人が記憶に刻んでいることと思うが、その中身には3本の柱があり、貧しい者に対する土地を配分する土地再配分事業、強制移住などで土地を奪われた者に対する土地返還事業、そして現在居住していたり保有していたりする土地に対する既得権益を法的に保護する保有権改革事業に分かれている。
また、筆者は「農村」、「農民」という言葉を使う時の注意を喚起する。南アフリカにおいて、それらは、白人農場の小作人世帯であり、白人農場がほとんどの農村地帯の中の「ブラック・スポット(※1)農民」であり、アフリカ人居留地の中の「農村」であって、それぞれに置かれている状況が異なり、対処は容易ではないことが伝わってくる。土地問題だけが南アフリカの政治的歴史ではないが、本書を読破すれば、南アフリカをよく知らない者でも、その複雑さがおおよそ理解できるに違いない。
中でも私の注目を引いたのは、筆者が、アフリカ人農村社会にとって「土地」と「家畜」が持つ意味を再検討する必要があると指摘する点である。筆者は、とりわけ政策などに対して農民が一様に「反応」・「抵抗」するキーワードとなるものが、「家畜」である点に着目する。都市労働者とは異なって、政治的動機を持った抵抗運動があまり活発でなかった農村地帯での農民反乱の一番の理由が、牛の間引きや消毒の強要など、「家畜」とりわけ牛に関わる点だというところが興味深い。
「土地」と「家畜」の存在意義について触れられている箇所は、全体を通じてそれほど多くはないが、随所に顔を出す。「土地」や「家畜」に対するアフリカ農民の意識は、南アフリカのみならず、南部アフリカの農村を理解しようとする者にとって重要な視点を提供している。
第5章から第7章では、土地改革が実施された3つの地域の事例研究が報告されている。いずれもアパルトヘイト後の早い時期に土地改革がおこなわれた地域であり、それぞれに南アフリカの「農村」の異なる形態を持つ。第5章では、タウンシップへと強制移住させられた元ブラック・スポット農民の土地返還運動、第6章では白人農村地帯に住むアフリカ人労働小作人と農場労働者の土地獲得までの闘争を、そして第7章では、白人農場地帯における土地改革後のアフリカ人住民の生活の変化の事例をそれぞれ検証している。
興味深いのは、1994年までの南アフリカの経済発展を支えたのが、植民地、人種隔離の時代を経たアパルトヘイト政策であり、同時に、アパルトヘイト政策の廃止を決断させたのも、経済発展のためであった点である。
例えば、1970年に政府に提出されたマレー=デュプレシス委員会の報告書は、「白人農場主の上から1/3が全生産高の85%を生産し、下から1/3は3%しか生産していないことを発見」(p.63)し、下から1/3の農場主に対して政府補助金やローンを出すことに否定的な助言を行ったが、これが政府に受け入れられたことが、政府の「いかなる犠牲を払ってでも白人農場主を土地に留まらせておく」(p.63)という姿勢を破棄した初めての方針転換となる。
1980年には、経済制裁を恐れた財界の要人たちが、国内でアパルトヘイトの廃止を主張し始める。同時に、国外のANC(アフリカ民族会議)幹部と接触を始めるのだが、経済制裁といえば、日本でも南アフリカ産の桃の缶詰や清涼飲料水アップル・タイザーの不買運動が広がったことを覚えている人もいるだろう。
筆者の指摘する「改革の内的な圧力は、(1)白人政権内部、(2)財界、(3)アフリカ人の抵抗運動という主として3つの方向から加えられていった」(p.62)という一文からみても、アパルトヘイトを実施している側において、経済主流の意識が大きな役割を担ったと言えるだろう。
経済主流、つまりは「経済的効率を最優先に考える」という意識はアパルトヘイト後も政策に表れる。当初、RDPによって「貧困対策」として土地改革の第一の柱になった土地再配分事業が、後に「(土地を得た)受益者の経済的な所得の向上が見られず、土地改革が農業生産に貢献しているという証拠がまったく見られない」(p.120)と判断された点である。貧困対策として土地をもらった女性グループなどの自給的農業については、国として高い評価をしていないということになる。
その後、土地改革の主流は、貧困層の集団を対象としたプロジェクトから新興農民育成へと転換、補助金も個人対象へと変わっていく。RDPから新しいマクロ経済政策GEAR(成長、雇用、再分配 マクロ経済戦略)へと移っていくのもこの頃である。
経済主流の意識は、政策だけではなく、人びとの間にも大きく表れている。実際に、2008年に発表された統計によれば、土地返還事業において、都市住民が金銭による賠償を選んだ率は72.7%と圧倒的であり、農村部においても46.6%と、土地による賠償を選んだ48.5%とほぼ変わらない。筆者による土地委員会関係者へのインタビューでも、都市部のみならず、農村地帯においても「農村地帯の返還申し立ての解決においては、土地省自体は決して金銭的賠償を優先的解決策とは考えていないが、現金需要の高い農村地帯の返還申し立て人側からは金銭的賠償を求める声が強く存在する」(p.125)ことを証言している。
こうした点は、ジンバブウェとまったく異なる。ジンバブウェでは、商業農業を目的とする土地配分(A2スキーム)も行われたが、広く国民に土地を再配分するA1スキームが優先政策とされてきた。人々自身もまた、土地を回復し自ら耕すことを強く意識している。評者は、ジンバブウェの首都ハラレから南アフリカ国境の町メッシーナへとつながる幹線道路をよく走る。沿道に続くあまり肥沃ではない地域では、2000年以降小規模な土地配分を受けた農家が少しずつではあるが、畑の面積が広がり、家(ハット)が増え、ある年は収穫がなく、ある年は豊作になり、それでも確実に日々の暮らしが向上していることがわかる。
1994年の第1回民主選挙から15年経った。筆者が「この不平等な土地保有構造=土地問題が放置され、解決されなかったならば、国民の間に現実に対する失望感が広がり、南アフリカにおいても隣国ジンバブエのような政治的な危機が訪れかねない」(p.2)と指摘した土地問題は、金銭的な解決で決着したのだろうか。
筆者自身も、「金銭的賠償の効果は一時的なものでしかありえない」(pp.125-6)と述べ、「長期的な展望」が必要であると考え、「土地改革は『福祉』政策であるべきかそれとも『経済』政策であるべきかという問題は、(略)簡単に答えが見つけ出せるようなものではない」(p.127)としている。数字では見えにくいが、自給をベースとする農村・農民をどこまで容認できるかが、その国の底力となるはずと評者は考えているだけに、隣国の土地改革は他人事ではない。南アフリカの政策において、自給的農業がどのように扱われていくのか、これからも注目していきたい。

(※1)本書によれば、白人の土地に黒くシミのように残されたアフリカ人所有地の命名で、強制移住政策の主たる対象になった。


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