「国家保健コンパクト」の規定力が課題
UHCの「首都」東京

2025年12月6日、東京・港区の「赤坂インターシティ・カンファレンス」で「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)ハイレベル・フォーラム」が開催された。フォーラムの開会セッションでは高市早苗総理のビデオメッセージが公開された他、片山さつき財務大臣が、途上国の保健財政の能力強化を旨とする研修機関「UHCナレッジ・ハブ」を東京に設立したことを宣言した。また、10月のIMF・世界銀行年次総会で発足した、UHC促進のための世界銀行・世界保健機関(WHO)・日本政府の協調イニシアティブ「ヘルス・ワークス」の下で策定された15か国の「国家保健コンパクト」(National Health Compact)が公開された。このイベントは、2030年以降の「ポストSDGs」時代に向けた、国際保健政策の「UHC」への収斂を方向づけるとともに、国際的に「UHCの『首都』東京」を印象付けるものとなった。
UHCをめぐる過酷な現実
同様にこの日に発表されたWHOの「UHCグローバル・モニタリング・レポート2025」では、UHCをめぐる状況は、統計的には一定の好転がみられる。WHOが開発した「サービス・カバレッジ指数」(SCI:リプロダクティブ・ヘルス・母子保健や感染症、非感染性疾患、サービスの能力やアクセスに関する14の指標に基づく指数)は、2000年に54ポイントだったものが2023年には71ポイントに向上、医療費による経済的困難に直面している人の人口も、2000年の34%から2022年には26%に向上している。ただ、進展のスピードは年を追うごとに鈍化している。一方、医療費の支払いのために貧困に陥り、また、その状況が悪化した人口は16億人(世界人口の5人に1人)を数え、必要な保健サービスを受けられずにいる人口は46億人(世界人口の56%)を数える。医療費による経済的困難の最大要因は医薬品の購入費用であり、データがある国の4分の3において、医療費の自己負担の55%は医薬品の購入費用である。過酷な医療費負担に苦しんでいるのは貧困層であり、2022年時点で、最貧困層の4人に3人が医療費による経済的困難に直面している一方、最富裕層では、25人に1人以下となっている。実際、「ヘルスワークス」の対象国であり、12月6日に「国家保健コンパクト」を発表したモロッコでは、南部の都市アガディールの国立病院「ハサン2世地域病院」で短期間に8名の妊婦が死亡したことがきっかけで、「(2030年ワールドカップ向けの)サッカースタジアムでなく、病院に投資せよ」と叫ぶZ世代の全国的な蜂起へとつながった。政府が発表する「改善」の数字は必ずしも実態を表していない。「UHCの首都・東京」を拠点にUHCの牽引役となった日本の責任は大変重い。
「国家保健コンパクト」は一方通行?
世銀・WHO・日本政府のイニシアティブ「ヘルス・ワークス」は、2025年に保健のための開発援助(DAH)が21%の低下を記録する中で、途上国がより多くの資金を保健に充て、希少性の上がった開発援助など外部資金をより効果的に活用することによって、「2030年までに、新たに15億人に入手可能で質の高い保健サービスを提供する」ことを目的に打ち出されたもので、対象となった国には「国家保健コンパクト」の策定が求められ、15か国がUHCハイレベルフォーラムに間に合う形で「国家保健コンパクト」を策定した。米英シンクタンク「世界開発センター」(CGD)は、このコンパクトを分析して、「一方通行のコンパクト:なぜ世銀の国家保健コンパクトは双方向の取引であることが必要か」という論文を発表している。この論文で筆者らは、このコンパクトについて、保健省や財務省などの各省庁、民間セクター、市民社会などの参画によって練り上げられるものとなるなら、各国の国内保健セクターの計画としては意味のある、良いものとなるだろう、と評価しつつも、これらのコンパクトは援助対象国の政府の改革を焦点化するだけで、外部資金を提供する多くの援助国・援助機関側の変革については全く述べておらず、「一方通行のもの」になっていると批判する。これでは、援助される側の国が多様なドナーの恣意的な課題選びや、ドナーの都合による援助の拡大や削減に振り回され、途上国政府の保健政策に関するオーナーシップが弱体化する現状を変えることができない、というわけである。
CGDの上記論文では、既に各国は多くの計画や戦略を有しているのに、さらに短期間で「国家保健コンパクト」を準備したかについて、各国が「ヘルス・ワークス」イニシアティブに参画することで、世銀から新たな資金を確保することができると踏んだからではないかと指摘している。実際に2023年にナイジェリアが策定した類似の「保健コンパクト」については、その後、国際開発協会(IDA)から5億ドルのローンと「女性・子ども・若者のための世界資金ファシリティ」(GFF)の7000万ドルの無償資金が提供された。しかし、実際には今のところ、「ヘルス・ワークス」ではコンパクト策定国に対する新たな資金提供は示されていない。この論文では、「ヘルス・ワークス」を主導する世銀や日本、援助国・援助機関として参加している英国、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)やGAVIなどが拠出する資金をコンパクトに沿った形で運用することになるのではないか、と推測している。
「国家保健コンパクト」に意味を持たせるためには?
CGDの論文では、国家保健コンパクトの質を向上させるために、各国政府がデータに基づいて優先すべき保健課題と資金分配の方針を決めること、優先課題には援助の前にまず国家予算を充て、援助は補完的なものとすること、外部資金の管理の在り方をコンパクトで決めること、を提言し、そのうえで、コンパクトを双方向的にするために、政府が主導して各援助機関がコンパクトに沿って資金提供を行うことに合意させ、ロードマップを策定する、各機関はコンパクトに沿って各国に資金を提供する、各機関は世界レベルでコンパクトに沿って資金を提供するという方針を確立することが必要だ、と述べている。
CGDの論文は、「ヘルス・ワークス」の核である「国家保健コンパクト」をUHC達成にとって実際に意義あるものとするにはどうするか、という観点から書かれているが、これには異論もある。数年前に「国際保健イニシアティブの未来」(FGHI)の検討プロセスを事務局として主導し、「ヘルス・ワークス指導者連合」にも参加しているウェルカム・トラストのロッティンゲン最高経営責任者は、国家主導の原則には賛同しながらも、政府に余りに力を持たせることは、権威主義的な政権の人権抑圧に手を貸すことになりかねないと懸念を表明し、透明性と市民社会等による監視が必要だと述べている。同様に、UHC推進のための国際調整機関「UHC2030」の市民社会枠組である「市民社会参画メカニズム」(CSEM)は、日本の「グローバルヘルス市民社会ネットワーク」(GHネット)と連名で出した提言書で、「国家保健コンパクト」制定に際しては市民社会を含む国家レベルでのコンサルテーションが必要だ、と主張する。一方、米国トランプ政権は全く独自にアフリカ各国政府との二国間交渉を行い、各国と5年間の協定を結んでいる。
供給側の論理から「人々のニーズに基づいたUHC」への転換が必要
こうした呉越同舟の状況について、ベルギー・アントワープの「熱帯医学研究所」のウェブサイト「国際保健政策」(IHP)に掲載された論文「国際保健アーキテクチャー改革はUHCに基礎を置くべき」では、これまでの「国際保健アーキテクチャーの改革」が国際保健に関わる各機構の役割分担の調整に終始してきたと批判する。実際、UHCを目指すイニシアティブは「ヘルス・ワークス」だけではなく、グローバルファンドやGAVI、GFFなどの「国際保健イニシアティブ」の連携・協力の道筋を検討したFGHIの成果文書である「ルサカ・アジェンダ」等もあり、うっかりすると、全体性と包摂性の強化を目指していたはずが、さらなる断片化と無力化を招きかねない。上記IHP論文では、UHCを基礎に、国際保健アーキテクチャーの改革について、「人々のニーズに信頼性・公平性・持続性をもって応えること」を原則に、UHCを基礎に据えて、主権・公平性・レジリエンス(強靭性・復元性)の確立を主目的に行うべきだと述べている。そのためには、「国家保健コンパクト」を始め、各国の保健政策の根幹をなす戦略文書の策定において、市民社会を含むマルチ・ステークホルダーの主体的な参画を保証することが不可欠である。












