主要団体はプラスチック条約の医療業界への適用を求める
ジュネーブでの交渉は決裂

8月5日から15日まで開催されていた、プラスチックによる環境汚染や健康被害などを減らすためにプラスチックを多国間で規制する「プラスチック条約」の交渉は、一日延長して協議を続けたにも拘らず合意に至らず決裂した。対立はプラスチックの生産量の上限と有害化学物質に対する法的拘束力のある規制を世界レベルで行うかというところにあり、合意を葬ったのはサウディアラビアなどの産油国や米国など少数の石油産出国であった。報道によると、コロンビアの代表団は「毎回合意を拒絶する少数の国の妨害で合意形成が失敗した」と述べ、プラスチックによる海洋汚染に悩む小島嶼国の代表団は、この合意の失敗により、膨大な量のプラスチックが海に捨てられ、生態系、食料安全保障、生活や文化に大きな悪影響が続くだろう、と懸念を示した。
プラスチックにより非感染性疾患を中心に膨大な健康被害が発生
保健・医療セクターはプラスチックの課題について困難を抱えている。プラスチックによる環境汚染の人類にとって最大の問題は、人間の健康への影響である。プラスチックの健康被害は年間1.5兆ドルにも相当するとされる。特に、プラスチックはがんや脳血管障害、心臓疾患、呼吸器疾患など非感染性疾患の増加と密接な関係がある。プラスチックの生産工程における二酸化炭素排出量は年間20億トンに上り、これが気候変動によって多くの健康被害を作り出している。専門家によると、マイクロプラスチックの身体への進入により、心筋梗塞や脳血管障害などの原因になっているほか、呼吸器系・生殖器系・消化器系にも悪影響を及ぼし、癌の原因にもなっていることが証明されつつある。プラスチックは、石油や石油ガスに由来する16000もの化学物質によって構成されているが、このうち4200は有害と判明している。これら有害物質は永久に分解されないものや、体内の内分泌系の機能に有害な影響を与えるものであり、慢性疾患や、脳の発達障害の発生率を増大させている。胎児・幼児・子どもにとってプラスチックは危険であり、流産や小児がんにつながる。路上廃棄されたペットボトルが感染症を媒介する蚊の温床となるといった問題もある。
膨大な量のプラスチックを使用・廃棄する保健・医療セクター
一方、保健・医療セクターは膨大な量のプラスチックを消費している。医療業界はプラスチックによる包装や使い切りのプラスチック製品によって効果的かつ衛生的な医療サービスを実現してきた。新型コロナ感染症パンデミックにおいては、毎月1200億枚のマスク、650億枚の手袋を始め、記録的な量のプラスチック製個人防護具が使用されたとされる。診断機器、ハンドジェル、手術器具等の包装材、薬のボトル、輸血バッグやカテーテル、点滴用輸液バッグ、注射器など使い捨ての医療機器はいずれもプラスチック製である。米国を例にとれば、医療業界は年間170万トンのプラスチックを廃棄しており、病院による廃棄物の20-25%がプラスチック製品である。また、国全体の温室効果ガス排出量の8.5%が医療セクターによるものである。これらのプラスチックは焼却処分されるか、埋め立てや海洋投棄によって処理されており、これらは膨大な健康被害の原因となっている。
プラスチック製品の削減と再利用に舵を切る保健・医療セクター
保健・医療セクターにおけるプラスチックの削減は困難な課題だが、不可能ではない、とプラスチック削減に取り組むマルチセクトラルなネットワークである「プラスチック汚染問題連合」(PPC: Plastic Pollution Coalition)は述べる。保健・医療セクターにおいてプラスチック問題に取り組んでいる市民社会ネットワークとして、「害のないヘルスケア」(HCWH: Healthcare Without Harm)がある。これらの団体の分析によると、保健・医療セクターのプラスチック排出は、食料・飲料提供サービス(ラッピング、プラスチックのボトル、食器類等)、医療器具・衛生用品等のパッケージ、個人防護具(ガウン、マスク、手袋など)、薬剤関係(パッケージや瓶など)、使い切りの医療用品(注射器、チューブ、バッグ等)などによってもたらされている。HCWHは、特に使い切りの製品を再利用できるものに変えることで、かなり多くのプラスチックの排出を防止できるし、実際、プラスチックの使い切り製品の導入以前は、ゴムやガラス等の製品の使用によって、安全に再利用してきた経緯があると主張する。例えば、使い切りのガウンをやめ、再利用できる医療ガウンを用いることで、一つの病院につき13トンものプラスチック排出を防止できるという。これらの団体は、病院や医療施設が適切な二酸化炭素排出削減のための施策をとること、廃棄物の管理を向上させること、プラスチック製品を別の製品へと変えること、使い切り製品をやめ、再利用できる製品に変えることを保健・医療セクターに呼び掛けている。
今回のジュネーブでの交渉に向けて、保健・医療セクターの多くの団体が、プラスチック条約の適用からの保健・医療セクターの包括的除外に反対する提言書を出した。その中には、世界医師会(World Medical Association: WMA)、国際看護師協会(International Council of Nurses: ICN)などが含まれている。世界医師会の提言では、保健・医療分野を「不要で有害なプラスチック削減の優先行動分野」として位置づけること、再利用可能な代替品の活用促進などが含まれている。世界医師会のアショック・フィリップ(Ashok Philip)代表は声明発出に当たって、「プラスチックに対する世界的な取り組みからヘルスケアを除外するのは近視眼的であり、さらには医療の倫理的義務にも反する」と述べている。