腐敗に抗し、参加型民主主義とコミュニティづくりに人生をささげるザッキー・アハマット氏の挑戦
「世界選挙の年」2024年
2024年は欧州のほとんどの国で国政選挙が行われるほか、米国、メキシコ、インド、韓国、インドネシア、ロシア、南アフリカ共和国などG20の国々の多くでも大統領選挙や国政選挙が行われる「選挙の年」と言われている。このうち、南アフリカ共和国の総選挙は5月29日に行われた。現時点(6月2日)までに99%以上が開票されているが、現時点で、アパルトヘイト(人種隔離政策)廃絶以降、常に単独で政権を握ってきた与党「アフリカ民族会議」(ANC)の得票率が40%と過半数を割り込み、単独で政権を維持することができない状況が明らかとなった。2位につけるのは新自由主義的な政策を掲げ西ケープ州で与党となっている民主同盟(DA)、3位がジェイコブ・ズマ元大統領が最近創設し、東部クワズールー・ナタール州を基盤とするウムコント・ウェ=シズウェ(MK、「民族の槍」)党、4位が元ANC青年同盟の委員長であったジュリアス・マレマ氏を中心とする左派政党「経済的自由の戦士」(EFF)となっている。
独立系候補の出馬が可能となった南アの選挙制度改革
今回の南アの選挙がこれまでと異なるのは、2023年の選挙法改正により、選挙制度が大きく変わったことだ。これまでは国民議会の400議席全てが比例代表制によって選ばれ、有権者は政党に投票することしかできなかったが、2023年の選挙法改正により、200名は全国比例代表制で選出するが、残りの200名については各地方を選挙区とする選挙で選出され、そこには政党と共に独立した(無所属の)候補も立候補できることとなった。今回は6名の候補が政党に属さない独立系候補として立候補したが、そのうちの一人が、世界的なエイズ活動家として名をはせ、ノーベル平和賞候補ともなった市民活動家、ザッキー・アハマット氏(Abdurrazack “Zackie” Achmat、以下ザッキー)だ。
世界のエイズ治療を実現した南ア「治療行動キャンペーン」(TAC)
ザッキーが世界的に名をとどろかせたのは、世界最大のHIV陽性者人口を抱える南アフリカ共和国において、治療アクセスを要求する当事者団体「治療行動キャンペーン」(Treatment Action Campaign)を組織し、自らもHIV陽性の当事者活動家として、1998年、「全てのHIV陽性者がHIVの多剤併用療法にアクセスできるようになるまで、自らの服薬を拒否する」と宣言したことだ。これは、HIV治療薬や日和見感染症の治療薬を、途上国の貧しい人々には入手不可能な高額で販売する先進国の多国籍製薬企業、途上国でのHIV治療に踏み切らない国際社会や国際機関、憲法に保健医療は国民の権利と記述しているにもかかわらず、全てのHIV陽性者への治療アクセスを保障する政策をとらない南ア政府に対する、命を賭した闘いとして世界的に取り上げられ、国際社会を世界レベルでの治療実現に向けて動かす原動力となった。
ザッキーは人々の闘いが社会を変える原動力になると信じ、行動してきた。アパルトヘイトを打倒するために初めて直接行動に参加したのは14歳の時だ。その後、アパルトヘイト打倒を掲げる最大の組織、アフリカ民族会議(ANC)の熱心な活動家となり、1994年にネルソン・マンデラ政権が成立してアパルトヘイトが制度的に廃絶して以降は、ゲイの活動家として、「全国レズビアン・ゲイ平等連合」(NCGLE:National Coalition for Gay and Lesbian Equality)を設立、南アにおけるゲイ・レズビアンの権利確立に取り組んだ。1998年、南アのもう一人のゲイ・レズビアン運動のリーダーで「ウィットウォーターズランド・ゲイ・レズビアン機構」(GLOW)創始者のサイモン・ンコリがエイズで死去したことは、ザッキーに大きな衝撃を与え、これが「治療行動キャンペーン」(TAC)設立のきっかけとなった。
1997年、世界の製薬企業39社は、南アの薬事法改正で導入された「並行輸入」(より安価な市場から医薬品を調達すること)が南ア憲法に違反するとして南ア政府を訴えた。この「南ア薬事法裁判」で、TACは政府を支援する「法律の友」として裁判に参戦、知的財産権を盾に取った製薬企業の利権への執着を暴いた。2001年、各製薬企業は一斉に裁判から撤退、裁判は終結した。このことは、同年に世界貿易機関(WTO)で採択された「ドーハ特別宣言」(医薬品に関する知的財産権について一定の柔軟性を認める内容)とともに、世界を「エイズ治療・ケア・予防への普遍的アクセス」に向かわせる大きな原動力となった。一方、ムベキ政権下の南ア政府は、マント・シャバララ=ムシマン保健相(当時)を筆頭に「エイズ否定」(AIDS Denialism)ともとれる政策を展開、エイズ治療への国民すべてのアクセスを保証することに躊躇していたが、ザッキーはこれについても正面から闘い、世界のHIV陽性者運動の連帯を確保して、2003年までに政府の政策転換を勝ち取った。
より幅広いコミュニティ形成を目指したザッキー
ザッキーが創設したTACは南アのHIVや保健に関わる運動をけん引する存在としてあり続けており、また、保健への普遍的アクセスを目指す政策提言団体「セクション27」や「健康正義イニシアティブ」(HJI)もTACの運動をベースに生まれた団体である。一方ザッキーはその後、より幅広い運動を志向し、貧困層の住宅問題や、社会保障制度の改善、労働者階級の労働権の課題などについて、人々の運動の組織化と直接行動の取り組みをリードし続けてきた。ザッキーの今回の立候補は、こうした運動の延長上で、政党政治とは一定の距離を保ちながら、社会運動と法律や政策の策定とを結びつける「参加型民主主義」(Participatory Democracy)の実践という意味を持つ。
独立系候補は南アの選挙を勝ち抜けるか
ザッキーは今回、「国を修復する」(Fix the State)、「国会を再建する」(reclaim Parliament)「コミュニティを建設する」(Build Our Communities)を掲げ、腐敗から国家のサービスや行政、国会を救い出し再建すること、コミュニティを不公正や格差に立ち向かう基盤とすることを目指している。政党政治を向こうに回した選挙戦の道のりは、当然、平坦ではない。選挙の一日前の5月28日には、暴動がおこったケープタウン南部のフィリッピ地区(Philippi)でザッキーの選挙カーが銃撃を受けた。62歳になるザッキーは、それでも意気軒高である。ザッキーの基盤は、自ら行動するコミュニティだ。「他の政党が人々に食料を配給しているとき、私たちは人々に知識を提供する。人々が必要とするのは、食料と知識の両方だ。私たちが提供するのは、どのように食料を勝ち取るかに関する知識なのだ」。これは知識を基盤とする運動作りに関するザッキーの発言だ。ザッキーの選挙戦を支えるのは、普段は受け身で、民主主義とは投票だと考えている人々ではない。自らが動いて民主主義を作る「参加型民主主義」の実践者たち、障害者やLGBTIQ+、非正規労働者などをはじめとする、知識を得て能動的に動くコミュニティなのだ。