2章 アフリカの食料安全保障問題に関する体験的考察

-モザンビークの経験から

執筆:田中清文

2008年1月に発行した『アフリカの食料安全保障を考える』をウェブ化しました。

複雑化するアフリカ食料安全保障問題

衣食住の中でも、飢えないことは人類の歴史が始まって以来、人々が特に神に祈願してきてきたことであった。世界各地で今でもさまざまな豊作祈願の儀礼が行われているが、神頼りや雨乞いをするだけでは必要な食料へのアクセスが確保できなくなってきているのが、残念ながらアフリカの現実といえる。特に近年では旱魃や洪水といった異常気象だけではなく、政府の政策(あるいは無策)やグローバリゼーションといった人為的な要因によっても、人々の食料へのアクセスが妨げられる事態も生じてきている。本稿では、食料安全保障問題に対する考え方の変遷をみながら、現在のアフリカで人々への食料安全保障を確保するために必要なアプローチについて、私自身が仕事をしてきたモザンビークでの経験を通して考えてみたい。

食料安全保障問題に対する考え方の変遷

Maxwellは、食料安全保障問題に対する考え方は、1974年に開催された第1回世界食料会議以来、以下の3つの点において変わってきたと論じている。

  1. 「世界・国家」レベルの食料安全保障から、世帯・個人の食料へのアクセスに注目する「世帯・個人」レベルの食料安全保障の重視へ
  2. 人々は食料確保を何よりも優先させると考える「食料第一」(Food First)アプローチから、さまざまな外部要因に対する人々の適応力などを重視する「農村生計」(Rural Livelihoods)アプローチへ
  3. 食料生産・消費に関する「客観的指標」に基づく議論から、社会的弱者による「主観的選択」を重視する議論へ

このように考え方が変化した結果、1996年の世界食料サミットでは、食料安全保障の定義として、「すべての人々が、活動的で健康な人生を送れるように、食事のニーズと食べ物の好みを満たしながら、十分な量の安全で栄養豊かな食料に、いつでも物理的かつ経済的にアクセスできるようにすること」という、広く使われている定義を採択した。世界食料サミットでは特に、平時に食料が保証されるだけでは十分でなく、危機が生じた際にも食料へのアクセスが保証されるような仕組みを国家が作る責任があることが強調された。

食料安全保障の議論は一般に、以下の3つの要素に分けて論じられることが多い。

  1. 食料の入手可能性(食料入手源としては、国内生産、商業的輸入、食料援助、食料備蓄の4つがある)
  2. 食料へのアクセス(人々の食料へのエンタイトルメント、すなわち人々が食料を生産したり、購入したり、あるいは受け取ったりできる能力に着目する)
  3. 食料の分配と利用(食料の加工・分配・利用のされ方、特に家庭内の個人間の食料分配や、消費した食料に含まれている栄養を吸収・利用する個人の能力に注目する)

世界の多くの国で、1.の食料の入手可能性はもはや問題ではなくなってきており、2.の食料へのアクセスや3.の食料の分配と利用に注目が移っていっているが、アフリカの多くの国ではいまだに1.の食料の入手可能性に問題を抱えている。

食料安全保障と農村生計アプローチ

食料安全保障に影響するさまざまな要因が複雑に絡み合っている様子を理解する枠組みとして、近年では図1に示した農村生計アプローチが使われることが多くなってきている。農村生計アプローチでは、人々・地域社会は5つの生計資本(人的資本、社会資本、自然資本、物的資本、金融資本)を有していると考えられており、外的要因(脆弱性、政策、制度、プロセス)からの影響を受けつつ、これらの生計資本を活用しながら、生計目標を達成するために、さまざまな生計戦略をとると考えている。食料安全保障はその生計目標の一つではあり、長期的にその向上が目指されているが、短期的・一時的には他の生計目標(政治力、脆弱性の減少、天然資源のより持続的な利用など)の達成のために食料安全保障が犠牲にされる場合もあるとしている。

農村生計アプローチ

モザンビークでの村落開発の経験

筆者は2000年7月から2002年11月まで約2年半の間、国際協力事業団(現・国際協力機構)の委託を受けて、モザンビーク南部のマプト州マニサ郡ムングイネ村とマルアナ村で、地域住民の自立発展を目的とする村落開発に従事したが、当時モザンビークは1975年の独立直後から1992年まで16年間続いた内戦の後遺症にまだ苦しんでおり、また2000年2月には南部地域一帯が大洪水に襲われるなど、南部における食料生産は回復しておらず、地域住民の生活の回復と食料の確保は大きな課題となっていた。

モザンビークの村に入った私達を待っていたのは、内戦や洪水被害後の緊急支援で多くのドナー・NGOから食料等を無償でもらうことに慣れた地域住民であり、私達に対しても「日本人は何をただでくれるんだ?」と問いかけてきた。このように緊急援助を通してすっかりスポイルされ援助待ちという受け身の姿勢になっている地域住民を相手に、どうすれば自分達自身の力で村を復興していこうという自立的な開発を促進することができるのだろうか、というのが私達に突きつけられたチャレンジであった。村を回ってインタビューや調査を行った結果、以下のようなモザンビークの農村の実状が見えてきた。

  • 内戦中に家畜を軍隊に徴収されたため、家畜数がきわめて少ない
  • 果樹の回りに地雷を埋められたため、果樹のある土地に戻れなくなった住民も多い
  • したがって、農家は今年の食糧を生産するのに精一杯で、いざというときに処分できるような流動性の資産(ストック)(預金、家畜、果樹、余剰穀物等)がほとんどない
  • 内戦時に戦火を避けて居住地を転々と変えたため、居住村落としての歴史が浅く、まとまりが弱く(リーダーの力が弱い)、家族も核家族化しており(老人世帯、女性世帯主の世帯が多い)、地縁・血縁による伝統的な相互扶助機能が弱い(「社会資本」の少なさ)
  • 内戦の経験から外部者(ドナー、政府、NGO、他村落等)に対する警戒心・不信感が強く、容易に人を信じない傾向がある(外部主導による住民参加、組織化の難しさ)

このようにモザンビークの農村社会の特徴を理解した上で、自立的な農村開発を実現するための戦略として、私達は以下の方針を採用した。

  • まず、地域住民たちに、自分たちがもっている資源(自然資本、人的資本、社会資本等)の豊かさに気づいてもらうことが大切(そのために住民参加型農村調査を実施)
  • なるべく外部から新しいモノ(資機材、人材、資金等)を導入することを避け、地域で利用可能な資源を活用した村落開発プロジェクトを住民とともに考える(住民参加型で村落開発計画の策定)
  • 村落開発プロジェクトの選定で大事なことは、最初の立ち上げではドナーからの支援があるとしても、いずれドナーの支援は終わるので、ドナーの支援が終わった後も技術的・財務的・組織的に自分たちだけで維持管理・運営していけるようなプロジェクトを選ぶことである(持続性のために適正な技術・規模のプロジェクトを採用)
  • 短期の農村開発の目標として食料安全保証を重視し、少数の換金作物の増収を目指すのではなく、多様な土地に多種の作物や果樹を栽培し(低地部だけでなく高地部でも適地適作に取り組む)、家畜数も増やすことによって、システム全体としての多様性を高めて安定性を高め、住民の栄養改善・生活改善による豊かな暮らしの実現を図る(リスク最小化によるセーフティ・ネットの形成)
  • 村落開発の担い手としての地域住民組織を重視し、特に住民組織の運営能力、財務管理能力、リーダーシップの強化を図る(住民組織の育成・強化)
  • 住民組織の能力強化のためには、単に研修を行うだけでなく、研修と実施を一体として行うことが重要。つまり、住民組織にパイロット・プロジェクト実施の経験を積んでもらい、その過程で生じてくる問題に対応し、研修ニーズが生じれば研修を行っていくというプロセスを通して、徐々に組織能力をつけていくというアプローチをとる(パイロット・プロジェクト実施を通して住民組織の能力育成)
  • パイロット・プロジェクトの実施にあたっては、住民が自己負担してでもやりたい事業を支援することが重要なので、住民によるコスト・シェアリングを求める(コスト・シェアリングの率は、住民の負担能力や事業の収益性に応じて柔軟に考える)
  • スタディ・ツアー等を通して、モザンビークの農民同士が横につながりあい、お互いに学びあい刺激を与えあう関係を構築する(水平的農民ネットワークの形成)
  • このような自立的な農村開発の経験はまだまだモザンビークに少ないので、関連政府機関、ドナー、NGOと経験・ノウハウの共有化を図る(自立的農村開発に関する経験共有ネットワークの形成)

このような方針のもと、私達は、外部から資金を投入して大規模な農村開発プロジェクト(インフラ開発、大規模灌漑開発、高価な農業機械の供与等)をトップダウン型で実施するのではなく、適正技術に基づく小規模な村落開発事業を住民主導型で計画・実施していくということとし、以下のようなパイロット事業を実施した。

  1. 牛耕用の牛・犁、農産物出荷用の牛車の導入
  2. 低投入型循環農法の実演・指導(不耕起マルチ栽培、液肥づくり、自然農薬の活用、果樹利用のアグロフォレストリー導入、適地適作による高地部の砂地利用、等)
  3. 深井戸掘りと井戸管理組織の育成・衛生教育
  4. 女性の生活改善と環境保全のための手作り改良カマドの家庭での製作方法実演
  5. 養鶏による所得向上
  6. 戦争未亡人、シングル・マザーのための食料品店建設・経営
  7. 若者への洋裁技術研修による所得向上

モザンビークでの私達の経験は、アフリカ全体の食料安全保障問題を考えるにはあまりにもささやかな経験といえるが、複雑な要因が絡み合っている食料安全保障問題に対して草の根からの回答を模索した試みであった。地域住民の能力向上・所得向上・生活改善を中心に据えて、農村レベルでの食料安全保障を目標とした、このようなアプローチがモザンビークの農村開発の主流になればと私達は願っていたが、残念ながらモザンビーク政府の農業政策の中心は、隣国の南アフリカの産業的農業への憧れに基づく農業近代化・大規模化であり、小農への支援にはほとんど重点が置かれていないのが実状である。食料安全保障問題に対しては多方面からのアプローチが必要であるが、草の根レベルの食料安全保障を国家が支援していく必要性について、今後も訴え続けていきたいと考えている。


参考文献】

Maxwell, S. (1996) ‘Food Security: A Post-modern Perspective’, Food Policy 21(2), pp.155-170.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1858640172/africajapanfo-22

AJF/第3回公開講座報告 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/activities/fs_meeting.html

>>3章  アフリカにおける「飢えている人々」の規模 -飢餓人口 吉田昌夫

>>『アフリカの食料安全保障を考える』目次