「ジェンダー視点からみた食料安全保障~アフリカの農村のケース」を企画して考えたこと

AJF食料安全保障研究会セミナー「ジェンダー視点からみた食料安全保障~南アフリカの農村のケース」を企画して考えたこと
Food security for women JVC’s activities and women in South Africa

『アフリカNOW』No.95(2012年7月発行)掲載

執筆:沖小百合
おき さゆり:東京農業大学国際食料情報学部4年在学中。2011年7月?2012年3月、AJF広報担当インターンを務め、在任中に食料安全保障研究会のセミナーを2度、企画・開催する。食料安全保障をジェンダーという視点で捉え返したら何が見えてくるのかを考えるために、2012年2月「ジェンダー視点からみた食料安全保障~南アフリカのケース」を実施。今秋には南アフリカへ渡航し、「国際協力NGOの南アフリカにおける環境保全型農業支援」をテーマに卒業論文を執筆する予定。


セミナーの企画趣旨

AJFでのインターン活動を通して、アフリカをはじめとする途上国における女性たちの食料へのアクセスや農業への取り組み、ジェンダーの視点から見た農業に興味を持った。しかし、「アフリカ」や「ジェンダー」という切り口で捉えてみても、国や地域によってさまざまに異なる状況にある。そこで、AJFでも取り組んでいる食料安全保障をジェンダーという視点から捉え返したら何が見えるのかについて考えてみるために、今回のセミナーを企画した。

また、このセミナーは最後に答えを出すものではなく、JVCのプロジェクトをジェンダーという視点を通して見直していき、食料安全保障などさまざまな課題に隠れているジェンダーの問題を探してみるために企画したものである。講師の渡辺さんには、JVCが南アフリカで取り組んできた環境保全型農業支援の活動などをジェンダーの視点からもう一度見直してもらい、そこから女性にとっての食料安全保障を考えてみるという趣旨で話してもらった。また、このセミナーを契機に参加者にも問題提起をしてもらい、他の事例についてもジェンダー視点から見つめ直すことを期待していた。

セミナーを準備する中で抱いた疑問点

途上国における食料へのアクセスや農業の現状を知る中で、女性たちがどのような問題を抱えているのかについて興味を持つようになった。そこで、JVCが取り組んできた南アフリカ・東ケープ州とリンポポ州における環境保全型農業支援に注目し、そのプロジェクトをジェンダーの視点で見直してみた。今回のセミナーに向けて企画立案のときから渡辺さんにインタビューを重ねていく中でいくつかの疑問点が生じてきた。

・JVCの活動の一環として、生産性を上げる技術を学ぶための研修を実施しているそうだが、それによって具体的にどれだけの生活や栄養の改善が見受けられたのか?
・南アフリカで農作業によって得られた女性のポケットマネーの使い道は?
・南アフリカにおいて現地の人が農業規模を拡大しようとするときの課題は何か?
・バングラディシュにおけるマイクロクレジットの成果を検証した世界銀行のレポート(1)によると、マイクロクレジットは、女性が財産の管理をすることで意思決定能力が向上すると言われている。グラミン銀行のようなマイクロクレジットは南アフリカでは行われていないのか?
・ 南アフリカではアパルトヘイトの歴史があったためか、男性は政府の配給や年金などに依存している人が多いそうだが、女性が独立して農作業を始めることに違和感はないのか?
・ 南アフリカではジェンダーの不平等が文化や社会の中に深く定着しているようだが、こうした現状を変えるためには男性と女性両方のための等しい競争の場を設けることが必要ではないか?

南アフリカの社会と歴史的背景

まず、南アフリカの基本的な社会構造と歴史的背景について、渡辺さんの話をもとに分析してみよう。南アフリカは、2010年に開催されたワールドカップで注目されたが、実に多様な側面を持っている。ワインがおいしく、自然も豊か、動物も多いなどの一方で、とても大きな格差が社会全般に拡大している。ジョハネスバーグのビジネス街は、日本の大都市のビジネス街とさほど変わらず、旧白人居住地の住宅街にはとても大きな家が並び、緑も多い。しかし、ここから10分ほど車を走らせた所には掘立小屋が建ち、電気も水もない地区もまだ多く残っている。

渡辺さんが、2005年に最初に南アフリカを訪れたときに驚いたのがこのギャップであった。なんとかして現地の人々の生活をサポートして変えていきたいと考えても、極端な格差社会を目の当たりにしたときに自分が何を目指して活動していけばよいのだろうと戸惑ったそうだ。南アフリカでは格差がストレートに見え、「世界の縮図」とも言われている。

これほどの格差の激しさの背景には、歴史的な要因が関係している。南アフリカは17世紀頃からオランダに植民地化され、その後イギリスからの入植も続き、約300年間の植民地体制が続いた。第二次大戦後の1948年にオランダ系の住民(アフリカーンス)を主な支持基盤としたNP (National Party 国民党)政権が誕生し、人種隔離政策であるアパルトヘイト(Apartheid)が制度化された。1994年にはアパルトヘイトの完全廃止による民主化を実現したが、アパルトヘイトの影響は現在でも根強く残っている。

アパルトヘイトはアフリカーンス語で「分離・隔離」を意味している。この体制は、現在でも南アフリカの格差社会に影響を与えていると言われるが、その根幹を形成していたのは、黒人をホームランドと呼ばれた原住民居住地に強制的に移住させるという政策であった。すでに20世紀前半には原住民土地法(1913年制定)と原住民信託土地法(1936年制定)によって国土の約14%がホームランドに定められていたが、1959年に制定されたバントゥー自治法の成立を契機に、1960年から1983年にかけてホームランドへの強制移住が行われた。白人が支配する都市や農場に居住する黒人はホームランドからの出稼ぎ者と見なされ(2)、パス法(1952年制定)によって南アフリカ国内であってもパスポートのようなパス(身分証明書)を持っていないと移動することさえできなかった。1970年の国勢調査によれば人口の約17%しかいない白人が約70%を占める黒人(3)を支配し、公共施設・交通機関から公衆トイレまで白人用と黒人用と分けられ、黒人には参政権もなかった。さらに、黒人は人頭税や家畜税をかけられ、バンツー教育法(1953年制定)によって、黒人の教育は黒人社会にのみ役立てばよく、白人社会での一定以上の階層における仕事に従事することは否定された。黒人は「劣った人種」として白人のために下働きをするだけの存在にされていったのだ。

こうした状況は、黒人が農業や商売、伝統工芸などを活かして生きていくといった生産行為、つまり自分の手を使って工夫をしながら生きていくことを限りなく困難にさせた。自分たちの暮らしている地域では生きていけないために、現金収入を求めて出稼ぎをする人々が大量に生み出された。農村部から大都市に出稼ぎに出た人々が自分の村へ帰るのは多くても年に一回程度であり、農業や牧畜は衰退していった。さらに、家族や地域社会が分断されたために伝統も受け継がれない。また、いつ解雇されるかわからない出稼ぎ先の仕事しかないので、生活も不安定になっていった。アパルトヘイトは黒人社会自体を崩壊させていったと言われているが、それが作り出した社会構造は現在も広範に残存していると言えるだろう。

南アフリカにおけるJVCの活動

JVCは民主化前の1992年から南アフリカで活動を行っている。当初は女性の収入向上をテーマに、女性を対象とした活動を行っていたが、その中で、特定のグループを対象にした活動の難しさや、外から持ち込んで実施する支援の難しさを実感したそうだ。その後、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)との連携による技術訓練や子ども支援の活動をしていく中で、農村部での活動に力を入れていくようになり、2000年代になってから農村での活動が増加した。JVCは、南アフリカ東ケープ州カラ地区で環境保全型農業の普及事業を、リンポポ州ではHIV/AIDSの予防・啓発活動と家庭菜園プロジェクトを行ってきた。

(1) 東ケープ州でのJVCの事業

東ケープ州では、環境保全型農業の研修プロジェクトを実施した。アパルトヘイト後の復興政策が都市部を中心に、都市貧困層の底上げのためにお金を稼ぎながら生活を改善していくという方針に基づいて行われていたために、どうしても農村部の復興は後回しにされていた。地方によって農村部の様子は異なるが、特に当時の東ケープ州の農村部は、広大な土地に牛もいなければ農業も行われておらず、土地がほとんど活用されていないという状況にあった。

南アフリカの農業といえば、アパルトヘイト時代は白人の大農場というイメージがあるが、現地の人たちに農業を行おうと提案すると、「水がない、種がない、農薬がない、トラクターがない、だからできない!」という「ないない尽くし」の反応が返ってきた。その中で、雨水の利用や枯れ草を使ったマルチ農法(保温や保水のために野菜の株元を資材で覆う農法)を行うなど、身近な資源を有効活用することから環境保全型農業を始めた。しかし、JVCの事業地は土壌浸食が激しく、渡辺さんによれば、農村部であるにもかかわらず食料自給率が10%以下しかないそうだ。この現実に対して、どのようにして自分たちが持っている/持っているはずの資源を活かして環境保全型農業が実施できるかということを考え、等高線農業によって雨水を活かし、土中の水分を保つなどの技術を取り入れていった。

研修は、参加者全員で畑の状態をモニタリングし、環境保全型農業を定着させながらミーティングを行っている。そうすることによって、最初は農業に対して自信がないと言っていた人も、すでにある資源を使うことで「こんなことでもできるんだ」という自信を持ち始め、さらに軌道に乗り始めると農業技術もとても早く上達していく。お金をかけずに自分自身で食料を生産できるようになったことにより、食費が減った、食料を買いに行く交通費がかからなくなった、食べ方が変わり病気になりにくくなった、医療費が減った、などの成果もみられた。

(2) リンポポ州でのJVCの事業

リンポポ州では、HIV/AIDSの予防・啓発活動と家庭菜園プロジェクトを実施している。南アフリカのHIV陽性者人口は世界最大であり、2010年の推計で538万人のHIV陽性者を抱えている4)。JVCは、1990年代から南アフリカにおいて人材育成プログラムを行ってきたが、その中で育成してきた若くて優れた人材が次々に亡くなっていくという事態に直面し、その背景にHIV/AIDSの問題があることを気づかされた。そこで、この問題に取り組むためのプロジェクトを開始することになったのである。

このプロジェクトは、現地のNGOと共同で実施している。医療機関が不足し医療従事者が少ない現状でHIV/AIDSの予防・啓発活動を実施するためには、現地NGOの役割がとても大きなものになる。このプロジェクトは、予防・啓発活動の強化と住民ボランティアによる在宅介護活動を活動の柱にしているが、在宅介護活動は、医療的なバックグラウンドを持たない人々が日々、患者の家を回ってケアをしている。JVCは、ボランティアの研修や、親のいない子どもやHIV陽性者への支援なども行っている。

またリンポポ州では、有機農法による家庭菜園作りの研修も実施しているが、この活動もHIV/AIDSの予防・啓発活動と密接に結びついている。HIV/AIDS治療薬であるARV(抗レトロウイルス薬)は副作用が強く、ARVを摂取するためには食事の改善が必須条件になる。そのために、生活改善の一環として家庭菜園作りの研修が始まった。

この活動も、東ケープ州での活動経験をふまえて、現地にある資源を活かすことを基本方針にしている。いかにして水や太陽光を効率的に活用して菜園を作っていけるのかという技術や種の採り方や保存法、苗の作り方を学ぶことにより、翌年に種や苗を新たに購入せずに持続することのできる家庭菜園作りに取り組んでいる。また、家庭菜園でとれた食料の栄養面や調理法についても研修を行っている。

自分で食料を確保することは、内面の自信にもつながり、さらに、食費などの支出が減ったことで生活の他の面で余裕が生じてくる。そうすると食料を得られればいいと考えるだけではなく、生活を改善するための他の取り組みも活き活きと始めるといった派生的な効果も見受けられた。この活動を通じて、食料の問題はただ単に食料だけについて考えればよいわけではなく、食料事情の改善が生活全体に影響を与えていることが分かったそうだ。

食料価格高騰がもたらした影響

南アフリカは、独自の農業や伝統が壊されてきたという歴史があるために、食べ物はどこかで買ってくるものであると発想する人々が多い。すると、ジャンクフードなどの手軽で調理せずに食べられる食品に走ってしまう傾向があり、健康面での影響も出てくる。

2008年に世界的に食料価格が高騰したとき、南アフリカでも2月には食品全体のインフレ率が14%を記録し、主食のトウモロコシ(メイズ)が約22%、精製した食パンが約20%、食用油が約66%の値上げになった5)。この時期にJVCがさまざまな人にインタビューしたところ、都市部で働いて子育てをしている人たちは、やはり食料を十分に買うことができなくなり、一回の食事の量を減らすか、食事の回数を減らすことでしか対応できないといったケースが多かったそうだ。一方で、農村部において自ら生産した食料でほぼ自給が可能な人たちは、食料価格の高騰の影響をあまり受けていないことも分かった。当時、食料価格が高騰した直接の原因として、石油価格の上昇のほかに化学肥料や種の値段が上がったこともあげられる。しかし、有機農業で食料を生産している人々は、こうした事情にあまり左右されずに家族が食べていくことができた、という報告もあった。

ジェンダー視点からみた南アフリカの農村

ここで、私が始めに提示した疑問点に対する渡辺さんからの回答を紹介しておこう(JVCの実践からすると、推測することしかできない回答もあるようだ)。

  • JVCの支援によって得られた生活や栄養の改善の具体例としては、一回当たりの食事の品数が増加した、食の自給自足が可能になったことで支出を減らすことができた、市場から自立できたことで食料価格高騰に振り回されなくなったなどの事例がある。
  • 女性が得たポケットマネーの多くは子どもの教育費などに使われ、その次に家族の医療費に使われるケースが多い。
  • 南アフリカの人々が農業を拡大しようと考えた場合、ライバルは白人の経営する大規模農場となってしまうため、農場を拡大しようという考えはほとんどない。また、他者からのねたみを避け人間関係を守るために、農業規模を拡大して成功しようと目論む人はほとんどいない。
  • マイクロクレジットのシステムを南アフリカで取り入れた場合、発生する利益が完全に平等でないとマイクロクレジットは成り立たないだろう。さらに、男性が女性の成功をはばむ可能性が大きいため、成功が容易ではないことも推測できる。
  • 男性だけでなく女性も政府の配給や年金への依存が大きい。また、女性が農作業を始めることへの違和感はない。ほとんどの世帯では、農作業や家事は女性が、畜産は男性が行っている。
  • 南アフリカのアパルトヘイト後の成果の一つとして、充実した憲法があげられる。しかし、憲法の理念に基づいたよい制度があっても、現実には執行されないことも少なくない。

南アフリカで行われているJVCのプロジェクトは、女性のみを対象にしたものではないにもかかわらず、プロジェクトの参加者は女性が中心になっている。この現状は、農地は女性が耕し、男性は財産としての家畜を扱うという、もともとの農村での男女の役割分担も影響している。そこから、女性の権利の源泉は土地や農業であるという発想が生まれた。自分で食料を生産し、収入を得ることは、自らが家族を支えているという誇りにもつながっている。

しかし、家畜や農業を中心とした近代以前からの農村部の社会構造は、アパルトヘイトや近代化などにより壊されてきた。男性は出稼ぎへ行き、シングルマザーが増加するなど、社会がいちじるしく変化する中で、食料生産の過程のみならず、生活全般において女性の負担が大きくなってきた。こうした社会状況を変えるには、男性の理解が必要だが現実にはかなり困難であろう。アパルトヘイトを経験した南アフリカでは、アパルトヘイト廃止後の憲法理念にもかかわらずジェンダーの不平等が文化や社会に深く根付いており、その流れを変えるためには、男性と女性、両方のための等しい競争の場を設けることが必要ではないだろうか。

私事であるが、自身の大学の卒業論文における研究テーマとして、「国際協力NGOの南アフリカにおける環境保全型農業支援」を取り上げようと考えている。渡辺さんにうかがった話を手がかりにして、実際に現地を訪れ、さらなる問題解明に努めていきたい。私は、「貧困」とはただ単に栄養が足りていないとかお金がないということだけでなく、チャンスや情報がとぼしいことも貧困を考える上で重要な視点であると考えている。その上で、南アフリカの農村部に暮らす女性たちがどのようにして外部からの情報を得ているのか、また、自分自身で人生を選択できるチャンスはあるのか、などの点についても調べてみたい。また、自分たちで食料を「生産」することから次のステップの「販売」することにどうやってつなげていくのか。自立が高まるような取り組みとしてはどんなことがあるのか。白人の大規模スーパーマーケットだけではなく、ローカルな規模で競争しながらお互いに成長でき、食料を販売するための基盤の整備が必要ではないだろうか。

(1) The World Bank Development Research Group, “Does Micro-Credit Empower Women? Evidence from Bangladesh”, 2003.
http://documents.worldbank.org/curated/en/2003/03/2183610/micro-credit-empower-women-evidence-bangladesh
(2) 峯陽一『南アフリカ?『虹の国』への歩み』、岩波書店(岩波新書)、1996年、pp.21-22
(3) 同上書p.23 表Ⅰ-1の数値をもとに計算。
(4) 「(南ア)HIV陽性者数、540万人に減少」、『グローバル・エイズ・アップデート』第179号、 2011年9月25日
http://blog.livedoor.jp/ajf/archives/51708768.html
(5) 平林薫「南アフリカ:食料価格の高騰が及ぼす影響と対策」、『アフリカNOW』第81号、2008年6月30日
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/africa-now/no81/top5.html


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